第98話 水面下の口撃

「わぁ、わぁ、わぁ、わぁ!!」


 騒がしいな。


 アンジェリーナが本棚の周りをぐるぐると歩き回っている。

 バスタコ領の秘密の本屋、秘密の部屋の扉近く、ジュダは一人アンジェリーナを観察していた。


 子犬かよ。


「本当、楽しそうに動き回っていますよね」


 その声に思わずビクッとなる。

 ジュダの隣、いつの間にかクリスがそこにいた。

 くるりと視線をこちらに向ける。


「一対一でお話しするのは初めてでしたよね。改めてクリス=ミンツァーです。よろしくお願いします」

「――ジュダです。クリス様」


 近くで見るとますます小綺麗な顔だな。


「あの、申し訳ないのですが、今は護衛に付いておりますので、私語は――」

「大丈夫ですよ。ここは先々代から懇意にしている店ですから、信用できます」

「ですが――」

「目を離さなければ問題ないでしょう」


 うっ、強引な。

 しかし仮にも次期国王の頼みをこれ以上断るわけにはいかないか。


「わかりました」


 ジュダは観念した。


「ジュダさんはアンジェリーナ様の剣術のご指導をなさっているのですよね」

「はい、そうですが――あの、クリス様」

「はい?」


 さっきから気にはなっていたが、ここで言っておいた方がいいだろう。


「その敬語やめていただけませんか?」


 アンジェリーナに敬語を使うのはまだわかる。

 次期国王といえど、現在の身分は姫のほうが高いからだ。

 だが俺はどうだ。

 平民以下のパレス兵だぞ?


「そのように敬語を使われると、こちらも立場がありません」

「あぁ、気にしないで良いですよ」


 ジュダの申し入れを全く気にする素振りもなく、クリスはケロッとそう言った。


「ですが――」

「私、これが標準装備なんです」

「え?」

「誰に対してもそうなんですよ。子どもの頃からそうらしくて。父曰く、『敬語を覚えさせたつもりはないのに、気が付いたら敬語でしゃべるようになっていた。言葉を覚え始めたころからだぞ?本当にわからない』と」


 え、えぇー。


 ジュダは目をぱちくりさせた。


 どういうことだよ、それ。

 作り話か?

 いや、あのガブロ様がそうおっしゃるというのなら、事実か?

 それはそれでどうかしている。

 ガブロ様がわからないというのがよくわかる。


「話を続けても?」

「え、あぁはい」


 どうにも腑に落ちないが、仕方ない。


 ジュダはクリスの話に耳を傾けた。


「アンジェリーナ様、どうですか?」

「どうと言いますと?」

「剣の腕は」


 どうしてそんなこと。


 疑問に思いながらもジュダは答えた。


「なかなかのセンスは持ち合わせているようです。剣の扱いにもすっかり慣れて、問題があるとすれば――」


 ここでジュダは口をつぐんだ。

 しまった。

 ここまで言うことではないだろ。


「あるとすれば?」


 しかしすでにクリスはその先に興味を示してしまった。

 立場上、自分より何倍も身分の高い相手の質問に答えないわけにはいかない。

 ジュダはためらいながらも口を開いた。


「あるとすれば、まだ木の剣触らせていないことでしょうか」


 その答えに、クリスはふむふむと頷いた。

 そして唐突に切り出した。


「私は正直国王になるべきではないと思っているんです」


 突然の告白に、ジュダは思わずクリスの顔を見た。

 冗談を言っている感じでもなく、クリスはただただ淡々としている。

 目を丸くするジュダに顔を向け、クリスは続けた。


「イヴェリオ様にもお話したのですが、私の夢は国王の右腕になることなんです」

「国王の右腕?」

「はい」


 どういうことだ?


 ジュダは混乱していた。


 許婚ともあろう方が気軽にこんなこと言っていいものなのか?

 いやそもそもどうしてこんなことを俺に告げる?


「アンジェリーナ様は非常に重い業を背負っておられるようだ」

「え?」


 その言葉にはっとした。

 こいつ、どうしてそのことを。


「すみません。事前にイヴェリオ様から聞いていたもので」

「そう、ですか」


 ほっと胸をなでおろす。

 いやしかし、どうして急にそんなことを。


「ジュダさんはアンジェリーナ様のことをとても大切に思われているようですね」

「は?」


 あ、思わず。

 しかしクリスに気にする様子はない。


「だって剣術指導において、今のことだけでなく、将来のことまで考えていらっしゃるみたいですから」


 その発言にジュダは顔を引き締めた。


 さっきの発言からそこまで。

 この男、一体どこまでわかっている。

 話がころころ変わって付いて行くのがやっと。

 すっかり相手のペースだ。


「申し訳ありません。先程から意図がわからないのですが」

「あぁすみません。昔からよく父に、お前はもったいぶって話す癖があると注意されてきたのですが」


 それにしては反省しているように見えないが。


「要はですね」


 クリスはジュダの目をまっすぐに見据えた。


「私の夢実現のためには、アンジェリーナ様が必要なんですよ」


 話が極端すぎる。

 意味がわからない。


 表情を伺おうにも無表情からは何も読み取れない。


 “夢”?

 国王の右腕になりたいとかいうやつか?

 というか“必要”ってなんだ?


 ジュダの頭の中はごちゃごちゃになっていた。


 回りくどいのも問題だが、それにしては飛躍しすぎじゃないか?

 整理しろ。つまりどういうことだ。


 ジュダはどうにかこうにか頭を動かし、そして自分なりの結論を導き出した。


「それは、アンジェリーナ様を利用したい、ということですか?」

「そんな悪いつもりではありませんけどね」


 否定はせず、か。

 しれっとしやがって。


 やっぱりこいつは危険だ。

 この男をこのままアンジェリーナのそばに置いておけば、何が起きるのか、想像もできない。


 だが――。


 ジュダは正面に向き直った。

 本の森の中、好奇心にきらきらと目を輝かせる少女の姿が映る。


 ジュダはにやりと笑った。


「あの方はあなたの思い通りにはなりませんよ」


 その言葉に、クリスはほんの少し目を見開いたような気がした。


「――同じことをおっしゃられるのですね」

「え?」


 今、クリスがぼそっと呟いたような。

 “同じ”?


「いえいえ、余計に楽しみになりました。やはり面白い方ですね。アンジェリーナ様もジュダさんも――きっと私の望みを叶えるには必要な存在でしょうしね」

「どういう意味――」

「あっ、あったよ!」


 そのとき、本棚の森の奥、アンジェリーナの声が響いた。


「クリス!ほらここ、『魔界放浪記』!」


 アンジェリーナがぶんぶんと手を振ってクリスを呼んでいる。


「はい。今行きます――呼ばれたので失礼します」

「あ、ちょっと」


 真意を明らかにすることなく、クリスはすたすたとアンジェリーナのもとへ歩き去って行ってしまった。

 聞きたいことはたくさんあったのに。

 逃げられた。


 やはり口撃では敵わない。

 だが今日改めてわかった。

 あの男は決して油断してはならない。


 楽しそうに談笑するアンジェリーナとクリスを視界に置きつつ、後方のジュダは一人、決意を新たにしていた。

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