第97話 禁書の森

「――ということで、今日の授業はこのくらいにしましょうか」

「ふぅ」


 アンジェリーナはぐーっと伸びをして、椅子にもたれかかった。


「先週越しに、ようやくお金の流れについて説明できましたね」

「先週は結局、1時間近く熱く語り尽くしちゃったもんね」


 そう。『魔界放浪記』の話で盛り上がって――。


「はぁ」

「どうしましたか?」

「いやぁ、『魔界放浪記』の最新刊がさぁ」


 アンジェリーナは口を尖らせ、机に突っ伏した。


「イヴェリオ様にお願いしてみては?」

「いやさすがに誕生日でねだったばっかりだし」


 ここ2年、アンジェリーナは誕生日プレゼントに『魔界放浪記』をもらっていた。

 というか『魔界放浪記』はそもそも禁書だから、お父様にねだってようやく手に入れられるようなもの――ん?


 アンジェリーナはそこで違和感に気づいた。


「ねぇクリス、クリスはどうやって手に入れたの?」

「え」

「え?」


 二人は顔を見合って固まった。


「あぁー、まぁ」

「まぁ?」


 クリスがあからさまに目を逸らした。


「知り合いの伝手というかなんというか」


 つまり、人に言えないような手を使ったと。


 アンジェリーナはじとっとクリスを見つめた。


「では来週、買いに行きましょうか」

「え?」


 その視線を逸らすかのように、クリスは唐突に話を切り出した。


「な、何を?」

「『魔界放浪記』の最新5巻を」


 その言葉に思わずぽかんとする。

 数秒経って、意味を理解するや否や、アンジェリーナは事の重大性を理解した。


「え、え、ダメダメダメ」


 アンジェリーナは手を前につきだし、ふるふると振った。


「どうしてですか?」

「どうしてって――私、外出禁止されているから」


 アンジェリーナはごにょごにょとつぶやいた。


 2年前、アンジェリーナの無断外出。

 それにより連続して起こった事件。

 あの一件以来、アンジェリーナは外に出ることを一切禁止されていたのだった。


 実際、2年前より前も外出は禁止だったんだけどね。あれはただバレていなかったというか。

 まぁ、禁断の森を通れば外に出られるのは変わっていないから、いざとなれば城を抜け出すことはできるんだけど――。


『頼む。お願いだから外には出ないでくれ』


 ――そんなふうに懇願されたら、一体どうしろと?

 あんなお父様の苦しい顔、初めて見た。

 今でも覚えている。


 今よりももっと細い私の腕をぎゅっと掴んで、下を向いたまま、その声はかすかに震えていた。

 表情は見えなかったけれど、まるで泣いているような。

 威厳に満ち溢れた国王としての姿は微塵もなく、プライドを捨て、頼りない一介の父親の姿がそこにはあった。


 子どもながらにあれは、響いた。

 だから、これは絶対に守らなければならないと思った。

 ただそれだけだ。


「わかりました。ではもし許可が下りれば行く、ということで。まぁ来週でなければならないというものでもないですしね」


 それ以上話したがらないアンジェリーナの様子に、クリスは詮索をやめた。


「でも勉強に関わらず、欲しい物は欲しいのですよね?」

「そりゃあもちろん」

「私からイヴェリオ様に聞いてみましょうか?」


 諦めないクリス。

 実際、その提案は魅力的だけど。

 アンジェリーナはうーんと唸った。


「――いや、聞かなくていいよ。聞くとしたら私から直接聞いてみるから」


 親子の問題に、他人を動かすというのも気が引けるし。


 そこでアンジェリーナは顔を歪めた。


 とは言っても、どうしよう。

 約束は約束だからなぁ。

 外出はもちろんしたいし、最新刊も欲しいけど、できないものは仕方がないし――。


 ――――――――――


「いいぞ、別に」

「え!?」


 その日の夕食、事の顛末をイヴェリオに話したアンジェリーナは、思わず大声を出して固まった。

 その反応をうるさいと言わんばかりに、イヴェリオが露骨に嫌な顔をする。

 対するアンジェリーナは未だ唖然としていた。


 それもそのはずである。

 イヴェリオにより外出が禁止されて約2年。

 その間、約束通り一切外に出ていなかったアンジェリーナにとって、イヴェリオの発言は信じられないものだった。


 ダメもとで話したのに、そんなあっさり?


 イヴェリオはくぴっとワインを口に運んだ。


「許婚との外出という名目ならば問題あるまい。それに、護衛が常に付くというのだからな」

「まぁ、そうだけど」


 未だ疑わしそうな視線に、イヴェリオはゴホンと咳ばらいをした。


「前のときとは状況が違うんだ。考えてみろ、あのときお前は一人で、無断で、飛び出していったんだ」


 うっ、これには言葉が出ない。


 散々迷惑をかけた手前、この話題が出されると、アンジェリーナは一気に弱くなる。

 イヴェリオはきりっと鋭い目つきでこちらを見た。


「くれぐれもはしゃぎすぎるなよ。たとえどんなに隠れていようとも、姫である限り、存在感を完全に消すことは難しい。常に周りから見られていると思え。いいか?外面は保てよ」

「はーい」


 糠に釘だな、とかいうイヴェリオの失礼な発言が聞こえたような気がしたが、まぁいいだろう。

 それよりも、それよりも!


 ――――――――――


「2年ぶりの外だ!」


 アンジェリーナは青空を見上げ、ぐっと手を突き上げた。


 ごほん、と咳払いが聞こえ、アンジェリーナはそろそろと手を降ろした。


 後ろのジュダの視線が痛い。


「では行きましょうか」


 クリスが先導し、三人は歩き出した。

 アンジェリーナは周りをきょろきょろと見まわした。


 見慣れない街並み。

 行き交う人の多さ。

 わくわくと胸が躍る。


 ここはいつもの王都ではない。

 ミンツァー家が統治するバスタコ領である。

 バスタコはもちろん王都には劣るものの、国全体で見れば5本の指に入るほどの大都市である。

 その町並みは昔ながらの趣を残しつつ、また大都市でありながら自然も多く残っているなど、魅力にあふれた領地である。


 買いに行きましょうか、などと簡単に言い放ったクリス。

 問題は一体どこで禁書を手に入れられるか、という話だったのだが――。


『あぁ、うちの領地にありますよ』

『え!?』


 とまぁ、こんな具合で軽く言われてしまったわけで。

 それにしても、仮にも収めている側の人間が、そんなにあっさり禁書を取り扱う店の存在を認めていいものなのか。


「さぁ、着きましたよ」


 クリスが立ち止まり、ぱっと目の前を指さした。

 その風貌にアンジェリーナは目を疑った。


「え?ここ?」

「はい、ここです」


 そこはなんと、大通りに面した普通の本屋のようだった。


 ここが禁書を取り扱う店?

 本当に?


「行きましょう」

「え、うん」


 頭の整理ができないまま、クリスに促され、アンジェリーナは中に入った。


 うん。中もやっぱり普通だ。


 いつかの古書店とはまるで異なり、本は整然と棚に並べられている。

 禁書などまるで見当たらない。

 それどころか、専門書さえないような。


 一体どういうことだ?


 訝しく思いながらアンジェリーナはクリスの後を追った。


「お久しぶりです」

「あぁ、お待ちしておりました。クリス様」


 店の奥から誰か出てきた。

 店員?店長か?


「どうぞ奥へ」


 促されるがまま、三人は店の奥へと足を進めた。

 ここは、バックヤード?

 それでも先へ歩き続ける。


 とここで、店長が足を止めた。

 その前には木の扉がある。


「それではどうぞ、お楽しみください」


 そう言って、店長はゆっくりと扉を開けた。

 クリスに続き、アンジェリーナも恐る恐る足を踏み入れる。

 次の瞬間、アンジェリーナは目を丸くした。


「う、うわぁー」


 そこには本、本、本。

 表とは比べ物にならないくらいの数の本が並んでいた。

 それも見たことのないものばかり。


「こ、これ、もしかして全部禁書?」

「全部というわけではありませんが、大部分がそうですね」


 アンジェリーナは棚の隅から隅まで目を動かした。


「どうしてこんなに!?」


 ばっとクリスを振り返る。

 対するクリスはあくまで淡々と答えた。


「まぁ、ここは要はミンツァー家御用達というか、禁書輸入のための仲買いの役目を負ってもらっているんです。国の法律上、禁書に指定された本の輸入は禁止されていますが、現実問題、他国のことを何も知らずに外交も内政もできませんからね。だからこうやってこそこそと裏をかいたようなやり方をしているんです。ほら、王城の秘密の書庫も、そういう役割ですよ」


 秘密の書庫?

 確かにあそこは禁書もたくさんあった。

 どうして城の中にそんな違法なものがあるのだろうとは思っていたけど、今の説明を聞いて納得。


 というか、国民には売ったり買ったりするのはダメって言っておきながら、自分たちはやっぱり都合悪いからって密かに持っているの、なんか不平等。

 そんなに面倒臭いことになるのなら、もういっそ輸入解禁しちゃえばいいのに。


「さぁ、アンジェリーナ様。今日はここの本、全部見ていいですからね。どこかに『魔界放浪記』もあるでしょうし。どうぞ、お楽しみください」

「え?」


 クリスの呼びかけに、アンジェリーナは改めて周りを見渡した。

 今さらっと見た棚でも、びっしりと本が詰まっていたのに、それが1、2、3…ざっと数えても10以上ある。

 これ、全部見ていいの?


 そのとき、もうアンジェリーナは、あくまで“許婚との外出”だという名目をすっかり忘れていた。

 ただただ楽しい時間がやってきたと。


「や、やったぁー!!」


 アンジェリーナは笑顔を花開かせ、本の森に飛び込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る