第96話 共感、熱狂

「はぁ」


 大きなため息をつきながら、ジュダはとぼとぼ帰路についていた。


 今日の仕事は終了。

 なんだか精神的に疲れた。

 クリス様との面会は1時間余りだったが、とても濃い内容だった。


「ねぇ、見た?アンジェリーナ様の許婚」

「見た見た。クリス様」


 ここでふと、声が聞こえてきた。

 目の前から使用人の女性が二人、歩いてくる。

 ここは居住棟。王や姫直属の使用人や兵士が寝泊まりする区画である。

 だからこういう世間話もよく聞こえてくるのだ。


「あのお顔立ちの整ったこと。すでにお家のことも手伝われていると聞くし、さぞかし優秀なのでしょう。次期国王となるのにも納得だわ」

「問題はアンジェリーナ様だわ。これまでも許婚の話を出すたびに嫌な顔をされて――」

「そうでもないみたいよ?」


 ジュダが向かってくることなどお構いなし。

 使用人はにやりと笑って話を続けた。


「今日のアンジェリーナ様、クリス様とお会いになってからもう、今まで見たことがないくらいにご機嫌で」

「本当!?」

「えぇ。部屋での会話も弾んでいたようだし。まぁ、何話していたかはわからないけれど」

「はぁ、さぞかし甘い話をされたのでしょうね。アンジェリーナ様も、やはり女の子でいらっしゃいますもの」


 勝手に盛り上がり、二人は去っていった。

 ジュダは思わずケッと顔を歪める。


 何が“甘い話”だ。

 やたら大きい声で話しやがって。

 聞いていないからそんなことが言えるんだ。

 実際のあいつらの会話と言ったら――。




「今日は前回できなかったお金の話にしましょう」

「よし来た!」


 こんな色気もない。

 許婚同士の会話というよりも、教師と生徒だろ。


 初回から一週間後、日曜日の午後。

 再びアンジェリーナとクリスはアンジェリーナの部屋にて、机を囲んでいた。

 そしてそこには、その様子をじっと見つめるジュダの姿も。


 前回はなんだ?

 王制だとか議会だとかいろいろ聞こえてきたが、小難しい話題過ぎて、大半理解できなかった。

 本人たちは至って楽しそうだし。

 ほら今日も――。


 ジュダはアンジェリーナの横顔をちらりと見た。


 ニッコニコだ。


「アンジェリーナ様は魔界共通通貨のことはご存じでしょうか」

「知ってる。“マリン”でしょう?」

「えぇ。それでは、マリンの名前の由来はご存じで?」

「え?」


 なるほど。今日は通貨の話らしい。


 クリスは持ってきた本をぺらぺらっとめくった。


「“創造神マリナ”のことは?」

「もちろん――ってえ?そういうこと?もじったってこと?」

「そのようですね」


 創造主マリナ。

 大昔に魔界を創造したとされる神だ。

 その存在くらいは俺でも知っている。


「へぇ。なんか意外」


 ジュダは再び机のほうに視線を向けた。


 俺自身、護衛という立場上、アンジェリーナの授業には毎回立ち会っているが、そのときのあいつと、今のあいつでは態度が大違いだ。

 こんなに楽しそうに授業が受けられるのかと、昨日も内心驚いていたが。

 内容があいつの好きなもの、というのもやはり大きいのだろう。

 しかし、それよりも――。


 ジュダは何やらかばんをガサゴソと探っている、クリスを見つめた。


 クリス様、あの方の教え方がうまいんだ。

 いや、もはや教えるという感じではないのだろう。

 すぐに正解を出すのではなく、質問を投げかけ、あくまで相手に考えさせる。

 その上で、難しくなり過ぎないように言葉を選んで、わかりやすく知識を伝えている。

 唯一問題なのは、いつまで経っても表情が変わらないところなのだが――どうやらアンジェリーナの奴、先週の一回を経て、すっかりクリスの扱いに慣れたらしい。

 もう、無表情を気にする素振りはない。


「それでは今日の本題に入りましょう。何が教材としてふさわしいかと考えていたのですが――」


 そう言うと、クリスは本を一冊、机に出した。


 ん?なんだ?


 ジュダはじっと目を凝らした。


 先週と違って、教科書のような難しい本という感じではないが――これは、普通の単行本?


「これが良いかと。旅日記にはなるのですが、これは――」

「D.Dの『魔界放浪記』!!」


 クリスの話を遮り、アンジェリーナは突然大声を出して立ち上がった。

 そしてその勢いのまま、本棚へと走っていった。


 いきなりなんだ?


 思わず顔をしかめる。


 アンジェリーナはそこで何冊か本を手に取り、すぐにこちらに戻ってきた。

 バンとその本たちを机に置く。


「私も、持ってる!『魔界放浪記』!」


 その言葉に、心なしかクリスの目がほんの少し開いたような気がした。


「ほら、1巻から4巻まで」


 アンジェリーナは満面の笑みを浮かべ、席に着いた。


「本当ですね。これはすごい」

「ねぇねぇ、クリスも読んでるの?」


 明らかにアンジェリーナのテンションが上がっている。


「えぇ、5巻までしっかり読んでいますよ」

「5巻まで――え?」


 机にバンと手をついて、再びアンジェリーナが立ち上がった。


「5巻!?最新刊出てるの!?」

「はい、確か5月の頭ごろに」


 はぁと、へなへなアンジェリーナは座り込んだ。


「もう、知らなかった。そんなことなら、誕生日プレゼントもう少し待って2冊買ってもらえばよかった」


 アンジェリーナはがっくりと、机に突っ伏していたが、すぐにぱっと顔を上げた。


「じゃあじゃあ、今日はこれを教材に使うってこと?」

「はい。『魔界放浪記』は旅日記という形ではありますが、魔界の経済状況について、とても細かく描かれていますからね。というのも著者であるD.Dは――」

「「行商人!」」


 二人の声がハモった。


「D.Dは各地の特産品を仕入れては売り歩く、行商人。その行動範囲はとても広く、魔界のどの国にも足を運んだことがあるとか」

「加えて、取り扱う商品も面白いよね。薬草から武器から食べ物からアクセサリーから変な鉱物まで。一体どこから仕入れているんだって」


 なんだなんだ?


 白熱する二人の様子を、ジュダは唖然として見つめていた。


 いきなりスイッチが入ったように二人とも豹変した。

 急に早口になって、一体どうしたんだ?


 ここでぱっとアンジェリーナが手を挙げた。


「聞いてもいいですか!」

「何でしょう?」

「――D.Dって馬鹿だと思います?」


 わざとらしく確認を取ると、アンジェリーナはすっと机に顔を近づけ、声をひそめて言った。

 その質問に、クリスも声を小さくして囁く。


「それ、聞いちゃいます?」


 アンジェリーナがにやりと笑った。


「ねぇ、やっぱり思うよね、それ」

「はい」


 今の、何が、盛り上がるところなんだ?


 ぽかんと佇むジュダを置いて、二人の会話は続く。


「D.Dって一見、考えなしのように見えるんだよね。だって、あちこちでトラブルに巻き込まれるし。捕まることだって何度も――でも、それだけじゃないんだよね。D.Dは」

「はい」


 熱が冷める様子もなく、アンジェリーナは続けた。


「実際、すごいよね。交渉術とか。よくわからない石ころ一個と薬草1キロ交換したときは、どうしたのかと思ったよ」

「ですがその後、その石はとても貴重な鉱物ということが判明し、結果的に薬草10キロと同じくらいの値段で売れたんですよね」

「そうそう!第一、ふらりふらりの行商人で食っていけてる時点でだいぶすごいんだよ。普通上手くいかないでしょう?」

「臨機応変というかなんというか。その場の判断力には驚かされますよね。それと、物も人もいい出会いに恵まれるような運命力も感じます」

「うんうん」


 アンジェリーナは満足そうにうなずいた。


「と思ったら、へまするんですよね」

「そうそれ!ただの旅日記じゃないんだよ。『魔界放浪記』は」

「面白いだけじゃない。でもやっぱり面白い。知らないうちに経済が学べるいい教材ですよ」

「ね?」


 いつの間に友人の会話になったんだ?


 ジュダは依然話について行けずに戸惑っていた。

 その間にも二人の会話は白熱している。


「――そうそう。登場人物も濃いんだよね。D.D自身もそうなんだけど」

「なんだかんだで一緒にいる“イズハラ”なんてのも、良いキャラクターですよね」

「出た!イズハラ君!」


 誰だ誰だ?


「あの人って、一応、D.Dを追いかけているんだよね?警察だったっけ?」

「えぇ。ですがいつもD.Dと一緒に旅をする羽目になって」

「そう。もうD.Dのほうは、友達と思ってるよね、完全に」


 だからイズハラって誰なんだよ。

 というか当たり前のように話が進んでいるけど、『魔界放浪記』は旅日記なのか?

 D.Dは行商人?

 勝手に話がどんどん膨れていくばかりで、内容が全く頭に入ってこない。


「ねぇ、ジュダもこっち来て読んでみたら?」

「え?」


 いきなり話しかけられて、ジュダはぱっとアンジェリーナのほうを見た。

 いつの間にか、二人は会話を中断し、こちらを見ている。


「な、なんで?」

「だって、知りたそうにしていたから」


 まさか、そわそわしていたのが空気感で伝わっていたか?


「ほらほら」


 アンジェリーナの手招きが、魅力的に感じてしまう。

 しかしジュダはその場を一歩も動かず、姿勢を正した。


「行きませんよ。今はアンジェリーナ様とクリス様との時間でしょう?私が介入する必要はありません」

「そうだけど――」

「第一」


 ジュダはちらっと本の中を盗み見た。


「私は、字が読めません。日常生活に困るほど読めないというわけではありませんが、そのような字がびっしりと入ったような本は、とても読めません」


 これでいいだろう。

 これで引き下がってくれれば。


 ジュダの返答にアンジェリーナは不満そうにしていたが、諦めたのか、くるっとクリスのほうへ向き直った。


「ねぇクリス」


 そこでアンジェリーナはクリスに顔を近づけた。


「国の識字率についても、今度取り上げない?」


 なっ。

 全く諦めてなかった。

 それどころか、次の原動力にしやがった。


 アンジェリーナのその提案に、クリスもクリスでアンジェリーナに顔を近づけた。


「いいですね」


 その返答に、アンジェリーナはふふっと笑った。


 改めて思う。

 確かに二人はうまくやっている。

 仲も深まっている。

 だがその方向は絶対におかしい!


 知識欲の塊二人に翻弄されながら、ジュダは心の中でそう叫んだ。

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