第94話 大切な思い出

 言ってしまった。


 後悔がアンジェリーナを襲ってきていた。


 あぁ言っちゃったよ。しかも許婚の、次期国王に。

 統一民族政策なんて、国家の最重要政策じゃない。

 どうしよう。反逆思考を持った変な姫だと思われる。


「では考えてみましょうか」

「え?」

「統一民族政策の撤廃について」


 果たして事の重大さに気づいているのか。

 アンジェリーナの予想に反して、クリスは先程と変わらず、すんとしていた。

 これでは逆にこちらが取り乱す。


「え、え、え、いいの!?」

「いい、とは?」

「てっきり却下されるかと」


 するとクリスはすっとアンジェリーナと目を合わせた。


「言論の自由という言葉があります。誰でも自由に発言ができるという権利です。一応、この国の法律でも定められているのですよ?知っていましたか?」

「え」


 いきなり!?

 クリスの突然の切り返し。

 なんかもう、慣れてきたな。


 アンジェリーナはふぅと一息つき、脳内をリセットした。


 本題の質問。

 言論の自由、という言葉はどこかでは聞いたことがあるような気がするけど、自分の国にも適用されていただなんて、全然知らなかった。

 でも――。


「実際は王に逆らったら即処刑、なんてこともざらに聞くよね」

「はい」


 私が法律について知らなかったように、普段の生活、国民が法について意識することはほとんどない。

 基本、王の言うことは絶対、というような慣習が根付いてしまっているのだ。


「今、この国の法律はほぼ機能していません。法とは国民を制御するためのものであると同時に、本来は国民を守るものでなければなりませんから」


 それが、今のポップ王国では達成されていない、と。


 アンジェリーナはうーんと、眉間にしわを寄せた。


「では、撤廃したとして、アンジェリーナ様はその後どうしたいのですか?」

「え?」


 クリスはこちらをまっすぐに見つめている。


「どう?」

「はい」


 その瞳は真剣そのものだ。


「何々が嫌だ、反対だ、と言うだけならば簡単です。ですが、大事なのはその先にあります」


 クリスは机の上にぱっと手を開いて見せた。


「机上の空論という言葉をご存じでしょうか。机の上でこうだったらいいのにな、などと考えるだけではいけないということです。実際に、どうすれば世の中がより良くなるのか、どうすれば自分が思い描く国を作れるのか、それを考えることが重要なのです」


 どうすれば。どうすれば?


 考えれば考えるほど、頭の中がぐるぐると回ってしまう。

 アンジェリーナの思考回路はショートした。


「わ、わからない、わからないよ、クリス」


 思わず泣きつく。


「大丈夫ですよ」


 その様子に、クリスは優しく声をかけた。


「最初から何もかもできる人などいないのです。ゆっくり、一つずつ考えてみましょう。一緒に」

「一緒に?」

「はい」


 この人は、本当に私を見てくれているんだな。


 どうしてかそのとき、アンジェリーナはそう自覚した。

 同時に肩の荷が少し下りたような気がした。


 落ち着いたのを確認し、クリスは尋ねてきた。


「アンジェリーナ様はそもそもどうして、統一民族政策を廃止したいのですか?」

「それは――」


 そのとき、アンジェリーナの脳裏に、父イヴェリオの記憶が再生された。


 お母様が負った悲しい運命。

 お父様が抱えた悔しさ。

 もともと何となく嫌いだった政策ではあるけど、その記憶を思い出してからはより一層嫌いになった。


 でも――。


 アンジェリーナはちらっと後ろのジュダを確認し、そして再びクリスに視線を向けた。


 お母様の話を、私が勝手に話していいのか、わからない。

 お父様は今でもお母様の素性を隠しているし。

 この二人がぺらぺらと口外するような人ではないとは思うけど。


 アンジェリーナはゆっくりと口を開いた。


「ある人の話を聞いて。その人には大切な恋人がいて、でも恋人は少数民族で、対するその人自身はとても身分が高かったの。どうにか結ばれはしたんだけど、いろいろあって――」


 そこでアンジェリーナは言葉を切った。

 これ以上言えば、何かいけないことをしゃべっていしまうような気がしたのだ。


「なるほど。アンジェリーナ様にとって、その方はとても大切なのですね」

「え?えーっと」


 アンジェリーナは思わず目を逸らした。


 そう捉えられるのか。

 まぁ、お父様の話だ、なんてことは一言も言ってはいないんだけど。


 クリスをちらっと確認する。


 うん、表情がわからない。

 ガブロのように鋭い目というわけではないんだけど、なんだか心の底まで見透かされてそうな感じがするんだよね。

 もしかして、バレてる?

 その上でこの質問だったら、相当意地悪な気が――。


 そこまで考えて、アンジェリーナは再度、クリスの言葉を反芻した。


『アンジェリーナ様にとって、その方はとても大切なのですね』


「――うん。そうかも」


 アンジェリーナは静かにうつむいた。

 その頬が静かに赤らんだように見えた。

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