第92話 異端児

「アンジェリーナ様、君主制と共和制の違いはご存じですか?」

「きょ、きょうわせい?」


 さっそくクリスの授業が始まった。

 見知らぬ単語に、アンジェリーナはしどろもどろになった。


「君主制は王制とも言いますが、要はこの国のような王様がいる場合の政治制度ですね。一方、王がいない国の政治制度を共和制と言います」

「あぁなるほど。王がいない国もあるんだもんね」


 一応知識として知ってはいるけど、本当にあるんだもんね。 

 こう鎖国国家だと、他国を意識することが少ないから、実感が湧かないけど。


「共和制については、詳しいことはまた後日ということで、今日は一旦君主制に絞ってお話ししますね」

「はい」


 そうしてクリスは本を開いてみせた。


「君主制には大きく分けて2つ、専制君主制と立憲君主制があります」


 出た、さっきのやつ。

 いかにも難しい名前。


「専制君主制というのは、ポップ王国のように、国王が直接実権を握り、政治を行う制度のことです。対する立憲君主制は、国王こそいますが、法によってその力は制限される制度を指します」

「制限っていうと?」

「例えば、王が政治を行うのではなく、実際は内閣、つまり議会によって行われるというパターンがあります」

「え?」


 頭が追い付かない。


 アンジェリーナの体が固まった。

 そしてどんどん疑問が湧いてくる。


「え、どういうこと?王が政治を行わないことなんてあるの?それなら、王は何をするの?」

「いい質問ですね」


 お、褒められた?


 クリスは手早くページをめくった。


「これもまた例を示しますが、国王を“象徴”として扱う国なんかがそうです」

「象徴?」

「えぇ」


 クリスは頷くと、こちらに視線を向けた。


「世間には『君主は君臨すれども統治せず』というような言葉があります」

「ほう?」


 クリスは続ける。


「つまり、上に立つという点では変わらず、しかし、政治自体は議会に任せ、自身は国の象徴として、国民の心のよりどころとなる、というパターンです」

「うーん?」


 いまいちよくわからない。


 アンジェリーナは今の発言を、どうにか噛み砕こうと頭を動かした。


「ということは、国王は特に何もしないっていうこと?国民の代表っていう名目はあるけど、実際に政治をするでもなく――何て言うんだろう。“お飾り”みたいな?」

「――まぁ、そういう場合もあるでしょう」

「なるほ、ど」


 一応合っていたみたい。


 アンジェリーナはほっと一息ついた。


 それにしても、お飾りかぁ。

 散々、姫・王妃なんてものは王を引き立たせるための装飾品に過ぎないなんて、言われてきたからなぁ。

 あんまり、良いとは思えないな。


「いきなり難しかったですか?」

「え?」


 うつむき黙ってしまったアンジェリーナに気を遣ってくれたのか、クリスが優しく尋ねてきた。

 いや、表情は相変わらず見えないのだが、声色が、少し優しいような気がしたのだ。


「いや、大丈夫、だと思うけど」


 アンジェリーナは語尾を濁した。


 実際、理解しているかと言われれば、怪しい。


 そんな様子のアンジェリーナを、クリスはじっと見つめた。

 そして突然、パタンと本を閉じてしまった。


 どうしたんだろう?


「では、具体例を示しましょう」

「ん?具体例?」

「えぇ。思考実験です」

「しこうじっけん?」


 聞いたこともない。


 新たなワードに、アンジェリーナは首を傾げた。


「いろいろと想定して、仮定して、頭の中で考えてみるんです。もし、こうしたらどうなるかって。試しに二人でやってみましょう」

「え、うん」


 全然理解できていないけど。


 戸惑うアンジェリーナを置いて、クリスは思考実験とやらを始めてしまった。


「それではまず、今日は専制君主制の国が、立憲君主制になったらどうなるのか、考えてみましょう」

「え」


 いきなり振られ、アンジェリーナは急いで頭を働かせた。


 えーっと、専制が立憲になるんだから、つまり――。


「国王が政治をするんじゃなくて、議会とかが政治をするようになるっていうこと?」

「はい、その通りです」


 クリスはアンジェリーナの目をまっすぐに見て言った。

 その反応に思わず口をぎゅっと結んだ。


 クリス、さっきもそうだったけど、いちいちこういうときに褒めてくれる。

 向こうが無表情だから、余計に意味通りに言葉が響いてきて、少し恥ずかしい。

 けどなんか、新鮮というか。

 

 今までの家庭教師は、こういう細かいところは無反応だったし、第一、褒められたこともほぼ無かったんじゃないのかな。

 いやもしかしたら褒められていたのかもしれないけど、『よろしい』とか、高圧的な感じだったし。


 うん。だから、こういうちょっとしたところに気づいて、反応してくれるのは素直に嬉しい。

 そのたびにやる気も出るし、こういうの、いいかも。


 気分が乗ってきたアンジェリーナは、クリスの思考実験に乗っかってみることにした。


「で、具体的っていうのは――」

「はい。ここ、ポップ王国を舞台に考えてみましょう」

「――え?」


 アンジェリーナの思考が停止した。


「今、なんて?」

「ですから、この国を例にしてみましょう」

「え、え!?」


 アンジェリーナは驚きを露わに、目を丸くした。


「そ、そんなことできるの?」

「はい。もちろん」


 クリスは平然と、机の上で手を組んだ。


「実際にはできない、あり得ないことを想定し、考えるのが思考実験の醍醐味です。今回は、君主制の枠を出ませんが、例えば、共和制にしたらどうなるか、つまり、国王がいなくなったらどうなるのか、なんてことを考えるのも面白そうですね」

「――!!」


 アンジェリーナは驚きのあまり、言葉を失った。

 と同時に、後ろでガタっと音がしたような気がした。

 ちらりと後ろを伺うと、ジュダが自分と同じような反応をしている。


 それもそうだ。

 今、クリスが言ったこと、国王制度撤廃は、まさしく不敬罪にあたる。

 つまり、国家への冒涜、反逆罪として訴えられても仕方がないような内容なのだ。

 そんなことを、さも当然のように発言するとは。


 アンジェリーナは再びクリスに視線を戻した。


 クリスはどうかしたのか、とでも言いたげに、無を貫いている。


 と、とんでもない人だ!


 アンジェリーナとジュダの心の中がシンクロした。


 もう、他の人に聞かれていたらどうしていたんだろう?


 ただし、アンジェリーナの心の中には、国王冒涜への怒りなど微塵もなく、それよりも、クリスへの心配が募っていた。


「始めても?」

「え、あぁはい」


 言いたいこと、聞きたいことは山ほどあったが、アンジェリーナは言葉を飲み込んだ。

 それよりも、気になったのだ。

 何の躊躇もなく、こういうことが言えてしまう人は、一体どんな人なのだろうか、と。

 一体どんなことを教えてくれようとしているのだろうか、と。


 まさに怖いもの見たさ。

 波乱の第一回勉強会はまだ、始まったばかりなのだった。

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