第91話 抜き打ちテスト
「これって図説?」
「はい」
勉強開始早々、クリスが見せたのは、写真がたくさん載った本だった。
「写真が入っていてわかりやすいかと思いまして」
「うん。確かに」
アンジェリーナはぺらぺらとページをめくった。
なるほど、この本は政治経済というよりも、もっと広く浅く書かれている感じみたい。
ポップ王国の歴史から、現在の政治・経済の体制、福祉まで幅広い内容が、図や写真を用いてわかりやすく説明されている。
「あー、こんなのなら私、見たことあるな」
「それは、秘密の書庫で?」
「そうそう禁書庫――ってえ?」
違和感に気づき、アンジェリーナはクリスをまじまじと見た。
「何で知ってるの?」
「父からいろいろと聞いてはいましたので」
ガ、ガブロめ。
確かにあの人ならいろいろと知っているのも理解できる。
でもそうか。親子なんだから、これ以外にも恥ずかしい情報たくさん握られているっていう可能性も――。
「ではこういう本は読んだことがあるのですね?」
クリスの声にはっとして、アンジェリーナは顔を上げた。
「うん、まぁ」
「そうですか――」
クリスは何か考え込むように、顎に手を当て、そしてしばらくしてぱっとこちらを向いた。
「では、少し方針を変えましょう」
「ん?変える?」
するとクリスは鞄から紙を数枚取り出した。
何やら文字がびっしりと。
「テスト、やりましょう」
「え!?」
唐突な提案に、アンジェリーナは思わず立ち上がった。
「い、い、嫌だ」
「わかるところだけで構いませんし、制限時間もありませんから」
「でも――」
今まで受けてきたテストといえば、鬼のような家庭教師に見つめられながらやる、居心地の悪いものばかり。
今から楽しいことが始まろうとしていたのに、はっきり言って、出鼻をくじかれたような。
「どうぞ始めてください」
こちらの意見を聞いているのかいないのか。
クリスは答案用紙をさっとアンジェリーナの前に置いた。
「え、えー?」
やるしか、ないのか?
仕方なくアンジェリーナは机に向かった。
――――――――――
それから数十分後。
わ、わからない。
アンジェリーナは頭を抱えていた。
難しすぎるよこの問題たち。
本当に10歳向けに作ってある?
適当に難しい問題集から引っ張ってきてない?
あ、いやでも、なんか丁寧に注釈まで入れてあるし、一応私向けに配慮されてる感じ?
結構時間かけて作っていそう。
うーん、その分、中途半端に回答できないっていうか。
真剣にやらなきゃいけないと思うと、より頭が痛くなる。
アンジェリーナは再び問題に目を向けた。
なになに?
『専制君主制と立憲君主制の違いを述べなさい』?
いやわからない。
君主制は、まぁ王制ってことなんだろうけど、“専制”ってなに?“立憲”は?
他の問題は大体目を通したし、わからないのもたくさんあったけど、これ以上はもう無理。
はぁ、手詰まりだ。
アンジェリーナはついに手の止めた。
それを見て、クリスが声をかけてきた。
「できるところまでで構いませんよ。成績に関わるものでもありませんし。そろそろ終わりにしましょうか」
「あー、うん」
アンジェリーナはペンを置いた。
そしてグーッと伸びをする。
「んあーっ」
凝り固まった体が一気にほぐれていく。
疲れたぁ。
その一方でクリスは即座に採点を始めていた。
シャッシャッシャッ、と独特な赤ペンの音が聞こえてくる。
その様子にアンジェリーナはすっと目を逸らした。
こうやって目の前でマルバツが付けられていくのって、見れないんだよね。
怖くて。
それからわずか数分。
トントン、と紙を揃える音がして、アンジェリーナはクリスのほうに目を向けた。
「なるほど」
「え、もう終わったの?」
いつの間にかクリスがペンを置いている。
手に持つ用紙には、すでに添削が入れられていた。
「ど、どうだった?」
アンジェリーナはおそるおそるクリスに尋ねた。
するとクリスはふぅと一息つき、こちらをまっすぐに見て言った。
「全体的に見て、すでに中等学校レベルに達していると言って良いでしょう」
「え、ほんとに!」
アンジェリーナは素直に喜び、笑顔を見せた。
クリスはなおも続ける。
「ところどころは、高等学校レベルに達しているものもあります」
「や、やった!」
そんなことを言われたのは生まれて初めてだ。
純粋に嬉しさがこみ上げる。
ただまぁ、そんなにうまくいくものじゃない。
「ただし」
「――ただし?」
クリスの次の発言に、アンジェリーナは耳を傾けた。
「ぽつぽつと、基礎的な知識が抜けているところがあります。ただその一方で、大学レベルの知識が必要な部分を正解されているところもありました」
「え、そうなの?」
「はい」
アンジェリーナはじぃっと先程の問題を見つめた。
そうだったんだ。
なんかすごい専門的なこと聞かれているなっていう問題も、確かにあった気がするけど。
大学レベル?
というかクリス、そんな問題10歳に本気で作ってきたの?
若干アンジェリーナが引き気味なことに気づくわけもなく、クリスは尋ねた。
「アンジェリーナ様は、主に書庫の本でこのようなことを勉強なさっていたのですよね?」
「うん、そうだよ」
「きっと、そのせいでしょう」
ん?どういうこと?
頭の上にはてなを浮かべるアンジェリーナに、クリスは補足した。
「普通、こういうものを学ぶ際は、初等学校から基礎を学ぶものです。そこから学年が上がり、また学校が上がるにしたがって、応用的な内容を学んでいきます。ですが、アンジェリーナ様がお読みになっていたと思われる本は、それらの過程を一切踏んでいません」
「と、いうと?」
「つまり、広い範囲の知識を載せた、浅い内容の教科書のような本ではなく、狭い範囲の知識を載せた、深い内容の専門書ばかりを読んでしまっていたということです。そういうものを最初に読んでしまうと、知識の層に偏りが出てしまいます」
知識の層に偏り――。
「あぁ、だから、基礎事項が抜け落ちて、妙に専門的な内容を覚えちゃってたんだ」
「はい」
なるほど、本漁りにそんな落とし穴があったなんて。
物心ついたときから本はたくさん読んできたし、秘密の書庫を見つけてからは毎日のように通っていたけれど、確かにあそこは難しい本ばかりを置いていたからな。
基礎が固まってなかっただなんて、今まで誰にも教えてもらう機会がなかったから、気づかなかった。
「まぁ、気にすることはありません。今からやればいいのですから」
クリスの言葉に、アンジェリーナの瞳がキラッと輝いた。
「じゃあ、これからクリスは、そういう基礎的なことから教えてくれるってこと?」
「はい。そのつもりです」
アンジェリーナは思わずごくりと喉を鳴らした。
「このテストはアンジェリーナ様の今の状態を見極めるためのものでした。結果次第でどのレベルから始めるか決めようと思っていたのですが――まぁ、中等学校レベルの内容は押さえておられるようなので、高等学校レベルの基礎から始めましょうか」
「え」
思わぬクリスの提案に、アンジェリーナは固まった。
「どうかしましたか?」
「え、いやぁ」
そのとき、アンジェリーナの中に、ある懸念が生じていた。
こんな問題を作れて、快く家庭教師を引き受けてくれているし、大学出身者だし。
そんな人が言うのだから、多分大丈夫なのだとは思うのだけど――。
「私、一応10歳だし、そんなに飛ばして大丈夫なの?」
アンジェリーナは上目遣いにそう尋ねた。
そう。今までのアンジェリーナの教育といえば、年相応のものが多かった。
確かに8歳の時点で初等学校卒業レベルの勉強はしていたが、それ以上はなかった。
実際、自分でももっとできると思っていたし、もっと詳しく学んでみたいと思っていた。
だが、そういうことを言うと、必ず言われたのが、
『姫様は、将来国王となる方に献身する身なのですから、無駄な知識など必要ありません』
というような内容。
はっきり言って腹が立った。
でも教えてくれないというのならば仕方がない。
だからこそ、独学でやるしか方法がなかったのだ。
ところが――。
「あぁそういうことですか。別に、問題ありませんよ」
「え?」
アンジェリーナの多大なる不安が嘘のように、対するクリスはけろっとしていた。
「世間には飛び級と言うものも存在しますし。知っていますか?“飛び級”。18歳に満たない年齢で大学に入学する人も結構いるんですよ。要は、年齢ではなく、個人の到達具合に合わせて教育も変えるべきなのです。ですから、何も心配しなくて大丈夫ですよ」
「へぇ、そうなんだ」
飛び級、か。
それなら私は6年くらい飛び級しちゃうってことか。
そう考えるとなんかすごいな。
いつの間にかアンジェリーナの不安はどこかに行ってしまっていた。
そんなことを考えているうちに、クリスはさっさと次の準備を始めていた。
「そうですね。何から始めましょう?――アンジェリーナ様、今受けたテストの中で、気になるトピックなど、ありましたか?」
「え、えーっと」
あ、これ、気を抜くと置いていかれるパターンだ。
アンジェリーナは急いで先程の答案用紙をめくった。
「うーん、そうだな。あ、この“専制君主制”と“立憲君主制”の違いについて気になるな。あとは――あぁ、このお金のこととか」
「なるほど、わかりました」
するとクリスは持ってきていた本の中から、一冊を抜き出した。
『近代政治について』?
「ちょうど、政治体制に関わる本を持ってきていました。お金に関わる話はまた次回ということで――それでは、今日は王制および共和制、そして、王制の種類についてお話ししましょう」
「よ、よろしくお願いします」
「はい」
クリスがぱっと本を開く。
姿勢をビシッと正し、アンジェリーナは椅子に座り直した。
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