第88話 衝撃発言

「本当に申し訳ありませんでした、イヴェリオ様」


 椅子に座るや否や、ガブロが頭を下げた。

 アンジェリーナとの話を終え、イヴェリオ、ガブロ、クリスの3人は執務室にて対面していた。


「本来ならば昨日にはご挨拶できていたはずのところ、こんな形になってしまって――」

「いや、仕方がない」


 イヴェリオは顔を上げるよう、ガブロに言った。


「いやいや、おかけした迷惑が尋常ではありません。昨日の舞踏会、本当は許婚のお披露目を兼ねていたものを、急遽変更させてしまい、それに加えて、アンジェリーナ様の相手役にクリスの代役としてイヴェリオ様に入ってもらうことになろうとは――」


 なおも申し訳なさそうに、ガブロは額に手を当てた。


 そう。実は昨日の舞踏会、アンジェリーナの初仕事に加え、許婚のお披露目もまた、メインイベントの一つだったのだ。

 そのため、社交界デビューの相手役にもクリスが入る予定だった。

 ところが――。


「もう済んだことだ。それに、書類の手違いならばどうしようもないだろう」

「それも元を正せばきちんと事前に確認を入れなかったこいつが悪いのです。まさか申請が遅れて入国許可が下りないとは――はぁ」


 ガブロは大きいため息をついた。

 そして隣のクリスを睨みつける。


「お前も謝れ!」

「申し訳ございませんでした」


 言われるがまま、クリスはこちらに向かって礼をした。

 その様子をじっと見つめる。


「別に構わない。それより昨日は大変だったんじゃないのか?一昨日にはもう、借りていた部屋も引き払ってしまったのだろう?」

「はい。ですが昨日は友人たちと朝まで――」

「まぁこいつのことは気にしないでください。もう終わったことですし、先の話題に移りましょう」


 今、何かすごく誤魔化されたような気がするが。

 ガブロもさっきまでと正反対のことを言っているし。

 だが確かに、いつまでもこの話をしていられもしないな。

 確認事項はたくさんある。


 イヴェリオは次の話題に進むことにした。


「明日から仕事に入れるのだな?」

「はい。問題ありません」


 イヴェリオの目をまっすぐに見て、クリスは淡々と答えた。


「しばらくはガブロのもとで下働きか」

「はい」

「大学時代も領地統括の手伝いはしていたのだったな」

「はい」


 イヴェリオは改めてクリスを見つめた。

 そして隣のガブロに視線を移す。


「それにしても、本当なのか?ガブロ」

「とおっしゃいますと?」

「辞任の件だ」

「あぁそれですか。はい、そのつもりです」


 イヴェリオは眉間にしわを寄せた。


 ガブロ=ミンツァー。ポップ王国宰相。

 法皇オルビアが国王だった時代から王宮に仕え、腕を振るった重鎮だ。

 そんなやつがこのタイミングであっさりと、引退を申し出てきたのだ。


「前にも話しました通り、私は常々60になったら隠居と考えておりましたので」

「――本気だったのか」


 確かに、そのことは前々から聞かされてはいたが、それを言うガブロの口調はいつも通り軽いものだった。

 ゆえに、冗談かと思っていたのだが。

 全く衰えが来たようにも見えないし。


「どうしてもか?」

「えぇ、こればかりは。あぁですが、今まで通りバスタコの領主は続けさせていただきますよ。それは自分のペースでゆったりとできますので」

「自分のペース、ね?」


 そう言ってガブロは紅茶を一口啜った。


 それができるのはお前くらいなものだろうがな。


 ガブロは宰相を務めあげるだけでなく、侯爵家として王都近くの領地バスタコをまとめ上げる領主でもある。

 そのため、普段から常に王宮にいるというわけではなく、バスタコで悠々自適の領主生活を送っていることもしばしばだ。

 今までの功績うんぬんを考えても、領主を続けてもらうには何の問題もない。


「いつまでいられるんだ?」

「そうですね。最低でもあと半年くらいは。引継ぎもしなければなりませんし、第一――」


 ガブロはぽんとクリスの頭に手を乗っけた。


を鍛え上げる必要がありますしね」


“これ”って――。


 ガブロが父親の顔をしていることに、イヴェリオは違和感を覚えてならなかった。


 ガブロと言えば、いつでも笑顔を絶やさない人徳のある人物。

 その一方で常に冷静沈着であり、物事の芯を鋭く見抜くことができる。

 私も何度も助けられた。

 そのガブロが、だ。


 イヴェリオは改めて目の前の二人の様子を伺った。


 こんなに感情を露わに振り回されているだなんて、新鮮だ。

 対するクリスは先程から全く表情を崩す気配がないし。


「クリスのこと、気がかりですか?」


 じっと見つめていたことに気づかれたか、ガブロが口を開いた。


「こいつ、何考えているのか、わからないでしょう?どういうわけか、子どもの頃からそうなんです。私にも妻にも似ていない。でもまぁ、何にも感じていないわけではないので、安心してください。本人はいろいろと思っているようなのですが、感情を表に出すのが苦手なようで」


 思っていることを表面に出さない。

 それって一番信用ならないタイプなのでは?


 イヴェリオの中で疑念が膨らんでいったが、ガブロの手前、それ以上追求することはなかった。


 ――――――――――


「はぁ。それでは必要な手続き等々、確認は以上だな」


 約1時間にわたる書類仕事の末、イヴェリオはソファに深くもたれかかった。

 さすがに疲れましたね、とガブロも伸びをしている。

 一方のクリスは何にも発することなく、そのままの姿勢で佇んでいた。


 イヴェリオはこの際にと、改めてクリスを観察し始めた。


 容姿端麗。

 金色の髪に垂れ目の碧眼。

 高めの声と、ガブロとは似ていないな。母親似か?


 今までやっていたのは、ただの淡々とした手続きだったから判断はできないが、やはりこの小一時間、表情を崩す素振りはなかった。

 仏頂面というわけでもないが、何だろう、無表情というのか?

 向こうの思考が読み取れない。

 本当はアンジェリーナの許婚としてどうなのか、見極めたいと思っていたのだが、こうであっては仕方あるまい。


「お疲れ様。今日やれることはやったな。改めて明日からよろしく頼む」

「はい」


 また淡々と。


 そこでイヴェリオは少し踏み込んでみることにした。


「何か、質問はあるか?王宮での仕事のことでも、生活のことでも、アンジェリーナのことでも構わないが」


 さぁ、どう来る?

 特にないと突っぱねられてしまう可能性も高いが――。


「そうですね」


 予想に反して、クリスは素直に口を開いた。


「これは質問とは違うのですが――」

「何だ?言ってみろ」


 そのとき、一瞬ガブロの顔が見えた。

 その表情が心配と、嘆きと、苦悶に歪むのを。


「はっきり言って、私は国王には向いていないと思います」


 それは、次期国王になるはずの許婚、本人から告げられた衝撃発言。

 イヴェリオの視界の端で、ガブロが頭を抱えた。

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