第87話 許婚協定

 ついに発覚してしまった許婚。

 アンジェリーナは驚きの表情を露わに、立ち尽くしていた。

 同じくジュダもまた、思わず口を半開きにして、表情を崩してしまっていた。


「その呆けた顔をやめろ」

「えっ、はっ!」


 アンジェリーナはぱっと口を覆った。

 その様子にはっはっはっ、と聞こえの良い笑い声が返ってきた。


「いやぁ驚かせてしまって申し訳ない。本当に突然のことで――あぁ騙すような形になってしまいましたね」


 まったく謝罪の顔をしていない。


 そう言われてもなお、アンジェリーナは固まったままだった。


「実は舞踏会の前に会わせる算段だったのですが、予定が狂いましてね。急遽ということでこのような場を」


 ん?あ、そうだったのか。

 いや、そもそも何にも言われていないから、予定も何も無いんだけど。

 というか――。


 アンジェリーナはガブロをじぃっと見つめた。


 さっきからガブロ、事あるごとにクリス、様?を睨んでない?


「アンジェリーナ、お前からも挨拶しろ」


 イヴェリオの低音がビシッと響いた。

 喝を入れられたように、アンジェリーナははっと現実に引き戻された。

 急いでお決まりの作り笑顔を浮かべる。


「は、はじめまして、クリス様。アンジェリーナ=カヤナカと申します。お会いできて光栄です」


 すっとお辞儀をして、アンジェリーナはクリスの様子を伺った。

 しかし、クリスはアンジェリーナをじっと見つめるばかり。


 ん?


 場に静寂が走る。

 少し間を置いて、ようやくクリスが口を開いた。


「こちらこそ、初めまして、アンジェリーナ様。お会いできるのを楽しみにしておりました」


 爽やかな声。

 この人、話しても“格好いい”のか。

 でも――。


 アンジェリーナはクリスを見つめ返した。


 何だろう、何て言えばいいんだろう。

 しかめっ面、ってわけでもないんだよね。

 お父様みたいな冷淡な感じでもないし。


 アンジェリーナが言葉を模索するその最中、ジュダもまたクリスを観察していた。


 こいつ、宰相の息子というだけあって、すごい品格を漂わせてはいるが、何ていうか。

 何だろう、敵意は見えないのだが、いや、見えても困るが――さっきからこの男、表情筋をピクリとも動かさない。

 これは、もはや無表情を通り越して、


 ――無感情――!!


 それは偶然にも二人が同時に思ったことだった。


 この人(こいつ)が何考えているのか、全くわからない!


「それでだ、アンジェリーナ」


 イヴェリオの声に二人ははっと我に返った。


「これから毎週、日曜日に、クリスと会ってもらう」

「え?――え、え、え、え!?」


 突拍子もない宣告に、アンジェリーナは驚きを露わにした。


「な、なんで、どうして!?」

「許婚との仲を深めるため、だ、そうだ」

「はぁ!?」


 思わず声を荒げる。

 これでは先程見せた、大人しい、“姫様らしい”外面が台無しだ。


 ん?今、『だ、そうだ』って言った?お父様。


「もしかしてだけど、それっておじい様から――」

「話が早くて助かる。そういうことだ。よってお前がどんなに苦情を言ったとて、私ができることは何もない」


 堂々と言い張るイヴェリオに、アンジェリーナは目を細めた。

 事情がわかっているだけに、反論する意味がない。


 アンジェリーナははぁとため息をついた。


「だが無理やり会わせたところで、何の進展もないことは見え見えだ。ろくな話もせずに無意味な時間を過ごしそうだからな」


 うっ。それは図星かも。


「だから、私なりに考えた。抜け穴をな――この話、お前にも利がある」

「え?」


 抜け穴?


 イヴェリオの意外な提案に、アンジェリーナは耳を傾けた。


「予定通り、お前には毎週日曜日に許婚である、クリスと会ってもらう。ただし!」


 イヴェリオはアンジェリーナの目をまっすぐに見て言った。


「クリスにはお前の家庭教師をお願いする」

「へ?」


 ど、どういう展開?


 ぽかんとするアンジェリーナを見ながら、イヴェリオは話し始めた。


「お前、昔から政治経済の勉強がしたいと言っていただろう?」

「え?あぁうん。言ってたけど――」


 どうして今それを?


 なおも理解に苦しむアンジェリーナに、イヴェリオは説明を続けた。


「このクリスはな、高等学校卒業後4年間、隣国ポーラ共和国の大学に通っていたんだ」

「え!大学!」


 その言葉を聞くや否や、アンジェリーナの瞳がキラキラと輝いた。

 それもそのはず、この世の中、大学を出た者など、天然記念物に近い存在なのだ。

 普通の人は初等学校を出て、中等学校に入る。ここまでが義務教育だ。

 その後、勉強のできる人は高等学校に入る。

 そして卒業後には就職。

 これが通例だ。


 だが、中にはそれより先に進む変人もいて。

 例えば医者になりたい人のための医大というのもあるが、今はそれは置いておいて、そういう変人が進む先に総合大学というものが存在する。

 総合大学は、様々な学部が存在する多様性あふれるところだ。

 しかし、高等学校卒業後就職というのが常識になっているこの世界、大学に進むのは、よほど研究がしたい物好きというのが共通認識なのだ。

 よって、魔界全体を見ても、大学は数えられるほどにしか存在せず、ここ、ポップ王国にも大学は存在しない。


 ところが、隣国、ポーラ共和国にはそれが存在する。

 ポーラ共和国はポップ王国と唯一輸出入のやり取りのある国であり、許可が下りれば出入国も可能だ。

 まぁ、よほどの理由がない限り、人が移動することは不可能と言われているのだが。


 そんなこんなでポップ王国ではゼロと言われてきた大学出身者が、まさか目の前に現れるとは!

 アンジェリーナはわくわくが止まらないのだった。


「ということで、クリスは頭がいい。それに、専攻は確か経済学だったな?だから、ちょうどいい」


 ちょうどいい、とは?

 家庭教師に?

 え、でもなんで?

 許婚にそんなことやらせていいの?


 判然としないアンジェリーナの態度に、イヴェリオは結論を出した。


「つまりだ。お前とクリスが許婚という間柄で会う時間、お前がクリスから教育を受けることを許可する」

「え?――えぇー!!!?」


 アンジェリーナは城中に響き渡るような声で叫びを上げた。


 う、嘘でしょう?

 信じられない!


 イヴェリオはその声に耳を塞いだ後、眉間のしわをより深くしながら、アンジェリーナを見つめた。

 その口が心なしか悪い笑みを浮かべたような気がした。


「私は表面上、お前と許婚を会わせるという名目を果たすことができる。お前はやりたかった勉強ができる。Win-Winだろ?」


 はっきり言って、いいように踊らされているような気がする。

 でもうまくいけばお父様はおじい様を誤魔化せるし、私だって念願の経済学を学べる。


 アンジェリーナに選択の余地などなかった。


 魅力的な提案には抗えない。


「わかりました!」


 アンジェリーナは元気よく、返事をした。

 こうして似た者親子は協定を結んだのだった。




 その裏で、ガブロは微笑ましい光景に、優しい笑みを浮かべ、一方のクリスは相変わらず微動だにせず、無表情であった。

 そしてジュダは――。


 え、やっば。


 完全に引いていたのだった。

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