第85話 デビュタント・挨拶

 姫の品格を見せつけたその後、席に着いたアンジェリーナは何事もなかったかのように食事を再開した――かのように思われた。

 だがその内心は――。


 あぁーなんなの!あの人は!


 怒りに満ちていた。


 いい感じにあしらった?とは思うけど、本当に腹が立つ。

 なんで初対面の人にそんなこと言われなくちゃいけないの?

 というか、ジュダのことを非難するってことは、お父様を非難することになるってこと、わからないのかな?


 アンジェリーナは沸々と怒りを煮えくり返しながら、パクっと鶏肉を口に放った。


 自分のことを何か言われるのも嫌だけど、近しい人を悪く言われることがこんなにも不快だなんて。

 ジュダは、あの調子だから全然気にしていないのかもしれないけど。


 アンジェリーナは背後のジュダをちらりと見た。

 安定の無表情。

 もう、この人は――。


「いやぁ、お見事お見事」


 その声にアンジェリーナは前に向き直った。

 パチパチと手を叩きながら、一人の男が歩み寄ってくる。


「さすがは姫様。肝が据わっておられる」

「リブス外務大臣」

「おや、私の名前をご存じでいらっしゃるとは、光栄なことこの上ありません」


 そう言ってリブスは深々と礼をした。


 ワグナー=リブス外務大臣。

 ここ5年ほど外務大臣を務める王宮の重要人物だ。

 リストの1ページ目に載っていた。


「一兵士の些事にもこの対応。さすがとしか言いようがありません。やはり国王様の偉大なる血を引かれている」


 リブスのにっこにこの笑顔が光る。


「パレス制度に関しても深い知見をお持ちのようだ。私も常々、パレス兵の格差問題には頭を悩ませていたのですよ。いやぁ、それを10歳ばかりで――頭が上がりません」


 会うのは初めて。

 たぶん、というか絶対に作り笑顔だろうけど、その表情も不快じゃない。

 ちょっと気になる発言もあるけど、忠誠心の強い優秀な臣下って感じ?

 歳はお父様よりちょっと年上くらいかな。

 というか現大臣の全員、お父様より年上のはずなんだけど。


「本当に素晴らしい方だ。これからが楽しみですな――おっといけない。貴重な姫様の時間を私ばかりに費やしてしまうなど言語道断。そろそろ私はお暇しましょう。それでは姫様またどこかで」


 アンジェリーナが何を言うまでもなく、一方的にそう捲し立てると、リブスは去っていった。


 何だろう。嵐のようにやって来て去っていった。

 とにかく私にこびへつらっていたな。

 かといって、自分に自信がない感じもしなかったけど。

 身なりも他と比べて、私でもわかるほど良かったし、たしか侯爵家だったよね。

 まぁ、ここにいる人たちのほとんどが爵位持ちのはずだけど。


 初対面にしては比較的好印象。

 だけど何だろう。


 アンジェリーナは立ち去るリブスの背を見て思った。


 あんまり関わりたくないな。


「おや?おいしそうな料理ですね。


 聞き馴染みのある声。

 それにこの呼び方は――。


「ガブロ!」

「お久しぶりです」


 そう言ってガブロは会釈をした。


 前にあったのはいつだったろうか?

 なんだかんだ言ってもう何年もあっていないような気がする。

 今何歳だっけ?少し白髪が増えたような。

 でもまだまだ若々しい。


「その鶏肉料理。ベリーソースがよく映えていますね」

「そうなの!本当においしくって――」


 ごほん。


 そのとき隣からわざとらしい咳払いが聞こえてきた。

 思わずアンジェリーナの体がびくっと固まる。

 見るとイヴェリオがこちらを横目で睨んできていた。


 まずい、打ち解けすぎた。


「――んん。ガブロ様はお変わりないようで」

「ふふっ、アンジェリーナ様はずいぶん大きくなられて。嬉しい限りでございます」


 ガブロは爽やかな笑顔を浮かべた。


 この人、臣下としてもちろん、へりくだった発言はしてくるんだけど――なんでだろう?

 さっきよりも全然気にならない。


「先程は災難でしたね。後先を考えない身の程知らずがいたものです」


 と思ったら辛辣。

 こういうズバッと言うところ、昔から好きなんだよね。


 ここで、ガブロはすっと視線をアンジェリーナの後ろにそらした。


「そしてあなたが事の発端の近衛兵ですか。ふんふんなるほど、なかなかの面構えだ」


 一瞬、ジュダの体がビクッと動いたような気がした。

 そりゃあそうだ。

 現王宮のナンバー2にいきなり興味を持たれたら、誰でもそうなる。


 ガブロはなおもジュダの観察を続けた。


「いやぁ、実物は想像以上ですな。軍ナンバー1の剣術使いとあれば、もっと無骨な男を想像していたのですが――ふむ。これはそこらの貴族と引けを取らぬほど、整った顔をしている」

「え」


 ぽつりと漏れたその声に、アンジェリーナは後ろを振り返った。

 見るとジュダがやってしまったとばかりに、口に手を当てている。

 本当に予想外だったのだろう。

 岩のように固いポーカーフェイスが崩れている。

 まぁ仕方がない。

 こんなことを大真面目な顔で言うガブロもガブロだ。


 一方の当人はというと――。


「はっはっはっ、申し訳ない、からかうような真似を。アンジェリーナ様との関係も良好と聞き、そんな変人が存在するのか、気になってしまって」


 ガブロはとても楽しそうに笑っていた。


 変人って――。


 その発言にアンジェリーナとジュダは周りにわからない程度に顔を歪めた。

 ひとしきり笑い終えると、ガブロは再び爽やかな笑顔を浮かべた。


「失礼いたしました。私もそろそろ退散しましょうかね。ではアンジェリーナ様、また明日改めて」

「はい――え、明日?」


 大いなる爆弾発言を残しながら、ガブロはそそくさと立ち去っていってしまった。

 取り残されたアンジェリーナは頭をぐるぐると混乱させた。


 明日って?

 明日って何?


「悪いアンジェリーナ、言いそびれていた」


 そのとき、隣から低い声が聞こえてきた。

 イヴェリオはアンジェリーナの目をまっすぐに見て言った。


「明日、会ってもらいたい人物がいる」


 とてつもなく嫌な予感がする。


 イヴェリオのその発言に、アンジェリーナの直感が危険を知らせていた。

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