第82話 デビュタント・親子の内緒話
「行くぞ」
「うん」
イヴェリオに促され、アンジェリーナは立ち上がった。
と同時に会場から拍手が巻き起こる。
その圧にたじろきながらも顔には出さず、アンジェリーナは足を踏み出した。
前方にはイヴェリオが待っている。
ついに来た。
大丈夫。手順通りにやれば――。
――――――――――
「姫様、突然のことで困惑なされているのは重々承知ですが、6日後にはあの大広間で踊らなければなりません」
6日前。イヴェリオから舞踏会への参加を通達されたその翌日に、アンジェリーナはダンスの稽古場にいた。
「いいですか?この社交界デビュー絶対に成功させなければなりません。しかもお相手は国王様。恥などかかせられるものですか」
目の前のダンス講師はいつも以上に目を光らせている。
そしていつも以上の金切り声だ。
「あなた様は基本はできております。ですが、実践したことは一度もない。本来であれば成人してからのデビューが当たり前のところ、現在姫様はまだ10歳。異例中の異例です。ですから、ある程度の特例は認められましょう」
講師はパンと手を叩いた。
「曲は定番のウインナーワルツ。10分ほどの長さが通例ですが、今回は特別に2分のものとさせていただきます。ステップは基本のもので結構。下手に応用すればぼろが出ますから」
そう言うと、講師は鋭い目つきでこちらを見た。
「多少のミスは許されるとしても、転ぶなどといったことは言語道断!あなた様はとにかく、転ばずに、手順を飛ばさずに、踊りきることが目標です。いいですね?」
「――はい」
面倒なことになったなぁ。
そんなことを思いながら、アンジェリーナは稽古に励んだのだった。
――――――――――
そして今に至る。
あぁどうしよう。
あの講師は『後は国王様がリードしてくださるはずです』って言ってたけど、大丈夫なのかな。
私、お父様と一度も合わせてないし。
そう。イヴェリオはイヴェリオで、このパーティーの他にも、その前に行われた正式な式典の準備などで忙殺されていたのだ。
後夜祭のようなもののために時間を割けるわけがない。
まぁ、向こうは10年以上こういう場を経験しているはずだし、私はただ任せていればいいのだろうけど。
それに、本来の社交場であれば、不特定多数の人と踊ることになるのだろうし。
不安を抱えつつも、そのときはやってくる。
アンジェリーナは堂々とした足取りで前に立つイヴェリオに近づいた。
イヴェリオが右手を差し出す。
その上に手を置く。
そしてイヴェリオのリードのもと、アンジェリーナはホールの中央へと足を運んだ。
これも、本当は腕を組むんだよね。
でもほら、身長差があるから。
お父様は決して高い身長とは言えないけど、私と比べてしまうと、約30センチ差だからね。
そうこうしているうちに、二人は中心にたどり着いた。
向かい合い、イヴェリオの左手とアンジェリーナの右手を組む。
同時にイヴェリオが右手をアンジェリーナの背中に回す。
一方、アンジェリーナは左手をイヴェリオの右前腕に乗せる。
本当は左手は右上腕に乗せなきゃいけないし、体ももっと反らなきゃいけないんだけど。
スタンバイ完了。
さっきのざわめきが嘘のように、あたりがしんと静まり返る。
ゆっくりと、楽団が演奏を始める。
刻まれるはワルツのリズム。
それに合わせてステップを踏み出す。
ワルツは1、2、3、1、2、3と繰り返される3拍子。
ゆえにステップもまた1、2、3、1、2、3と繰り出される。
だが面倒なことに今回演奏されるウインナーワルツは少しタイプが違う。
1、2、、、3、1、2、、、3のように3拍目が遅れるのだ。
だからステップもそれに合わせて遅らせなければならない。
実に面倒臭い。
曲はだんだんと盛り上がりを見せる。
今のところ目立ったミスもなく上々の滑り出し。
曲も2分の短いものだし、このままいけばどうにかなりそう。
でも――。
アンジェリーナは先程から気になっていることがあった。
「お父様」
「なんだ?」
アンジェリーナは小声で目の前のイヴェリオに話しかけた。
「周りの視線が気になる」
それは、どうしようもないことではあった。
なぜならば、今、この場で踊っているのはアンジェリーナとイヴェリオの二人だけなのだから。
これも王族としての
でも人前にこんなに長く出るのは実質これが初めてだし、好奇の目にさらされるのは体がむず痒い。
「――はっきり言って私もダンスは苦手だ」
「え?」
事前に言われた通り、表情は一切崩していないながらも、その内にたくさんの不安を感じ取ったのか、イヴェリオは小声で答えた。
すっかり無視されると決め込んでいたアンジェリーナは、返事が返ってきたことに内心驚いた。
「というよりも、舞踏会自体が苦手だ」
「あぁそういえば」
お父様の記憶の中で、そんな描写があったような。
作り笑いが疲れるとかなんだとか。
終わった後、自分の部屋で乱雑に服をポイってしていたような。
「じゃあお父様は毎回どうしているの?やっぱり慣れ?」
「まぁそれもそうだが――」
アンジェリーナは興味津々で言葉の続きを待った。
「私の場合、別の、全く関係ない楽しみを一つ見つけるようにしている」
「楽しみ?」
「あぁ例えば――」
イヴェリオは周りに悟られぬよう、一瞬だけちらりと視線を外に向けた。
「舞踏会では料理が出されるだろう?」
「え、うん」
意外な答えにアンジェリーナは拍子抜けした。
「普段の料理も城常駐のシェフが腕によりをかけて作っていることには違いないが、舞踏会の料理は客をもてなすためのもの。そしてその客はときに国家の運営に関わるような重要な相手の場合もある。ゆえに、こういうときの料理はいつものものよりも気合が入ったものが多い」
ん?何を言おうしているんだ?
「そして特筆すべきは――」
「すべきは?」
イヴェリオはこちらをまっすぐに見て言い放った。
「食べ放題だということだ」
「――え?」
その言葉に思わずアンジェリーナは表情を固まらせた。
だがすぐに平静を装う。
イヴェリオは続けた。
「普段の食事を考えてみろ。食卓に並べられるときにはすでに適量に盛られている。基本的におかわりはなしだ。シェフが我々の体のことを考えて、量も種類も決めているからな。だが舞踏会のスタイルはビュッフェ方式だ」
「あ!」
「つまり、好きな料理を好きなだけ取ることができる。誰にも咎められずにな?」
音楽に合わせ、二人はくるっとターンした。
「ただし、取り過ぎは厳禁だぞ。みっともないからな。あくまでバレないようにうまくやるんだ。こういう場は挨拶回りにやって来る者が後を絶たないから、近くの兵士に取らせてきてもいい」
「隠ぺいじゃん」
その言葉にイヴェリオはふっと笑った。
「ちなみに、今日の料理でもう、目星は付けてあるの?」
「そうだな――鶏肉のローストがいい。ベリーソースと合わせると絶品らしい」
アンジェリーナはふふっと笑った。
何だかこういう会話を、親子ともども真面目に、こんな踊っている最中にするだなんて、おかしいにもほどがある。
でも、楽しい。
曲は佳境。
二人は華麗なステップ、ターンを繰り出し、そしてホール中央、綺麗にフィニッシュを飾った。
で、できた!
すでにアンジェリーナの息は絶え絶えだった。
いつもはこんなに息切れないのに。
途中話ちゃったから?
いやそれとも緊張していたから?
わからないけど、まぁいいか。
やりきったんだから。
アンジェリーナは差し出されたイヴェリオの右手に手を乗せ、周りの賓客に向かって礼をした。
沸き起こる歓声、拍手はもう、不快には感じなかった。
それよりも、気になることができたから。
イヴェリオのリードでゆっくりとアンジェリーナは席に向かった。
そして戻るや否や、顔の近くにジュダを呼びつけた。
「ジュダ、料理取ってきて。鶏肉のロースト。ベリーソースたっぷりで」
「――はい、わかりました?」
嬉しそうにそう言うアンジェリーナを見て、不思議そうに首を傾げながら、ジュダはおつかいに向かった。
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