第77話 詰み

 剣術の本格稽古開始から一週間が過ぎ、今日で8日目。

 ジュダはいつもの森へ向かっていた。


 この短期間でわかったことがある。


 あいつ、剣の筋が良い。


 一度教えたことは次の日にはしっかり頭に入っているし、それが実践できている。

 わからないことも積極的に聞いてくるし、はっきり言って良い生徒に違いない。

 こちらも教えがいがあるというもの。


 一つわがままと言うとすれば、直接触れて指導がしたい。

 動きを見せることはできても、細かい重心移動等々、実際に腕を持って動きをなぞることで初めて、伝えられることもある。


 だが相手はこの国の姫様だ。

 触れただけで刑罰は避けられない。


 そんなことを考えているうちに、ジュダは集落跡の広場へ到着した。


「お待たせしました」


 そこにはすでに木の剣を携え、準備万端のアンジェリーナの姿があった。


「うん、大丈夫」


 あれ?

 なんか今日は大人しいような。


「さ、始めましょう」


 ジュダがいつも通りに支度を始めると、アンジェリーナは目をぱちぱちさせた。

 そしてはーい、と先程とは打って変わって元気に広場中央へと向かった。


 何だ?さっきのは気のせいか?

 あの様子、どこか拍子抜けしていたような、ほっとしたというような――あ。


 そこでジュダは思い出した。

 昨日の顛末を。


 そうだ。昨日はパレス関連で少し揉めてしまったんだった。

 揉めた、というよりはこっちが一方的に言ってしまったというか。

 もしかしてこれを気にしていたのか?

 だからこちらの様子を伺って、俺が普段通りの態度だったから安心して。


 そのタネに気づいた途端、ジュダの心の中に罪悪感が募った。


 何気遣わせてんだ、俺。

 というか何本気で怒ってんだ、昨日の俺。

 相手は10歳も年下だぞ。


 思わずため息をつくジュダを、アンジェリーナは不思議そうに見つめていた。


「やらないの?」

「――ああすみません。始めましょう」


 これ以上負担をかけさせるな。

 反省は後だ。


 ひとまずぐだぐだ渦巻く感情を胸に仕舞い、ジュダは稽古を始めるのだった。


 ――――――――――


「はい、休憩にしましょう」

「はぁー」


 その声にアンジェリーナが倒れ込む。


 内容は軍のものとはまるで違う。

 こんなの準備体操にもならないくらいだ。

 だが――。


 ジュダはぐでっとするアンジェリーナを見つめた。


 よくやってる。

 この歳の女子にしたら十分すぎるほどだ。

 それも王族だぞ?やっぱりセンスがいいのか。


「ねぇジュダ」


 いつの間にかアンジェリーナは起き上がり、草の上に座っていた。


「何ですか?」

「お願いがあるんだけどさ――」


 その瞬間、いつもと異なり、可愛らしい上目遣いでこちらを見てくるアンジェリーナに、ジュダは今世紀最大の悪寒を覚えた。


「敬語、やめてくれない?」


「――――は?」


 フリーズしたジュダの脳内に、アンジェリーナの言葉がリピートされた。


 敬語、やめてくれない?

 敬語、やめてくれない!?


「はぁ!?馬鹿じゃないんですか?そんなことできるわけないじゃないですか!」

「そこを、なんとか!」


 アンジェリーナはわざとらしく手を合わせてみせた。


「なんとか、じゃありません!そんなことすれば、私は不敬罪で終身刑確定ですよ!」

「大丈夫だよ。黙ってるから」

「そういう問題じゃありません!それに第一、国王様に申し訳が立ちません」

「えぇー別にいいよ、お父様なんて」


 

 前々から思っていたが、こいつの国王様に対する舐めた態度は一体何なんだ?

 そりゃあ、父娘の間柄のことだ。俺の知らないこともあるだろうが、それにしてもこれは――。


 はぁとジュダは長いため息をついた。


 だめだ。一旦冷静になろう。

 そして考えろ。

 なんでこいつはいきなりこんな突拍子もないこと言い出したんだ?

 まさか、昨日の件、根に持ってるなんてことはないよな。


「何か、怒ってらっしゃるのですか?」

「え?なんで?」

「なんでって、いきなりそんなこと。私への当てつけにしか聞こえません」

「違うよ!」


 アンジェリーナはばっと立ち上がった。


「そうじゃなくて」

「じゃあ何ですか」


 ジュダは苛立ちを露わにアンジェリーナを見つめた。


「気持ち悪いの!ジュダの敬語!」

「――え?」


 予想外のパンチを食らったような。

 ジュダは思わずぽかんと口を開けて固まった。


「ジュダ、稽古のとき、『腕をあげてください』とか『力入れすぎです』とかって言うじゃない?」

「それがなにか」

「その『ください』とか『です』とかがぎこちなさすぎる!とってつけたような感じがして嫌!」


 な、何を言われているんだ俺は。


 ジュダはなおも意味が理解できず、ただ立ち尽くしていた。

 カーっと熱の上がったアンジェリーナがまくし立てる。


「ジュダって敬語慣れてないでしょう?その感じがすごい伝わってくる。稽古の内容的にはさ、ものすごくわかりやすいんだけど、ただその言葉遣いだけが変っていうかなんていうか――むずがゆい」


 あ、俺これ、理不尽なこと言われているな。


 ようやくジュダはそのことに気が付いた。

 同時に内の熱が爆発する。


「仕方がないでしょう!今まで立場が上の人間に指導したことなんてなかったんですから。それに、姫様だって敬語慣れしているはずでしょう?いまさら何を」

「そりゃあ私だって、今までタメ口で話してくれる人の方が少なかったけど?というかお父様とポップぐらいだけど。ジュダの敬語は本当に変!気持ち悪い!たくさんの敬語を聞いてきたからこそわかる」


 うっとジュダは言葉を詰まらせた。


 確かに、それはそうだろうが――。


「だが、だからといって、敬語やめろは理不尽すぎます!」

「いいじゃん敬語ぐらい」

「よくないです」

「いいの」

「よくないです!」

「いいの!」

「よくない!」

「ほら、そっちのほうが自然じゃん!」


 アンジェリーナはすかさずジュダをぴっと指さした。

 はっと口を塞ぐ。

 思わず敬語が外れてしまったようだ。


「もう、無理しなくていいのに。ほら、師匠と弟子って言ったら、師匠がタメ口、弟子が敬語が通例じゃない?」

「それは場合によります」


 はぁとジュダは再びため息をついた。


 これぞまさに身から出た錆。

 今まで上官に敬語を使うことはあれど、こんな年下に敬語を使う機会なんてなかった。

 ろくに勉強もしてこなかったし、言葉遣いなんて軍での生活で自然と身についたというか。


 しかし、これでは本当にこちらの立場がない。

 本人は良いと言っているが、国王様にバレたら――。

 なんとかして阻止せねば。

 何かないか?

 こいつの弱み的な何かは。

 短い間だが、日中はずっと一緒にいるんだ。

 一つぐらいあっても――――あ。


 そのときジュダの頭に名案が浮かんだ。


 そうだ。これなら!


 ジュダはふぅと心を落ち着かせると、アンジェリーナに向き直った。


「わかりました」

「え!」


 アンジェリーナは期待に目を輝かせた。


「敬語を外す件、受け入れましょう」

「やった!」

「ただし!」

「ただし?」


 喜びに飛び跳ねかけたアンジェリーナは動きを止め、怪訝な顔でこちらを見つめた。


「姫様がとする所作、ダンス、ピアノの授業において、教師から優秀の評価を得たならば、要望を受け入れましょう」

「――はぁ!?」


 ジュダは平然とした顔で言い放った。

 対するアンジェリーナは思わぬ条件に顔を歪めている。


 よしよしいい反応だ。

 こいつが姫様らしいことが苦手なのはもう、十分わかっている。

 いつも教師に叱られているし。

 達成不可能な条件を課せば、こいつも諦めるだろう。


 ジュダはそう思って、心の中でしたり顔をした。


 ――――――――――


「――ははははっ」


 ジュダは体をビクッとさせた。


 国王が、笑った?


 そう。ジュダの報告にイヴェリオがいきなり吹き出したのだ。


 国王が笑ったところなんて、人生で一度も見たことがない。

 一体どうしたというのか。



「お前、そんな条件出して許したのか?」

「え?」


 条件?


 先程まで余裕に浸っていたジュダの心に、暗雲が立ちこめた。


「あのな、アンジェリーナは姫様らしいことがなだけだぞ?」


 どういう意味か全く理解できず、ジュダは固まった。

 なおも顔を緩ませて、イヴェリオは言い放った。


「いいか?あいつはな、やる気がないだけで、本当は齢8歳にして初等学校卒業レベルの頭を持つ、スペックの持ち主だぞ?もしそんなやつが本気を出したらどうなる?」


 ジュダは頭の中が真っ白になった。


「お前、してやられたな」


 イヴェリオは憐みの目でこちらを見つめていた。

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