第70話 初めての感情
「それで?見せると言っても、いつもやっているようにしかできない気がするのですが」
「――そんな面倒くさそうに言わないでよ」
本当にやるのか?とでも言いたげにジュダははぁとため息をついた。
ようやく取り付けた剣術指導。
ビスカーダの民の集落跡にて、それは始まろうとしていた。
「ではどうします?」
「うーん――いつもはさ、始まったって身構えたら一瞬で終わってて見る暇なんてないんだよね」
「それならこうしましょう。とりあえずいつものように前へどうぞ。ただし剣は持たないで」
アンジェリーナは言う通り、いつも通りにジュダと向かい合った。
「では、私が行きますと言ったら姫様は私の動きを目で追ってください」
「えっ大丈夫かな?見えるかな?」
「大丈夫ですよ。そんなに速いものでもないですし。私の動きにだけ集中してください」
「わ、わかった」
ふぅと息を吐くと、ジュダは剣を引き抜いた。
そういえば、今日は練習用の木製の剣じゃなくて“真剣”だ。
まるで本物の立ち合い。
バクバクと心臓の音が体中に響く。
「それでは――行きます」
静寂に一声。
その刹那、その動きに釘付けになった。
え?
まるで宙に舞っているよう。
ジュダの体はふわっと浮き上がり、アンジェリーナの身長を優に超した。
そのまま頭上で縦に一回転。
加えて横に半回転。
体をアンジェリーナの正面に向ける。
まっすぐにこちらを見据え、その目は照準を定める獣のよう。
そして、着地。
同時に剣を鼻先に向ける。
勝負あり。
「こんなところでしょう。気が済みましたか?」
ジュダは何事もなかったかのように、剣を収めた。
しかし、アンジェリーナからの返事がない。
ジュダはこちらを不審そうに見つめた。
「――姫様?」
言葉が出ない。
この気持ちを形容する言葉が見つからない。
全ての格が違う。
あれは本当に人の為せる業なのだろうか。
今まで、城の兵士の訓練の様子を盗み見たことは幾度かあったけど、こんな動きは見たことがない。
助走も、予備動作もなく、あんなに跳び上がれるものなの?
それだけじゃない。
普通の兵士なら力技でどうにかしそうなものを、彼は全然違った。
空中姿勢のなんてしなやかなこと。
全身を余すことなく使っているのがわかった。
筋力ももちろん必要なんだろうけど、それよりもきっと、体の使い方がうまいんだ。
まるで舞を舞っているよう。
そしてたとえどんな体勢であれ、獲物を見逃さないあの目。
常に敵を捉え、離さない。
だからこそ、あんなに正確に着地して、すぐに剣を向けられるんだ。
一瞬の中に全てが計算されている。
なんだろう、この気持ちは。
今まで感じたこともないような。
体が熱い。
王族として生まれ、どうやんちゃに振舞おうとも、贅沢な暮らしを平然と送ってきた。
それが果たして悪いことかといえば、そういうわけでもないのだろうと思う。
ただ、どんなに豪華絢爛な服、宝石でも私にとってはつまらなかった。
だからこれは、私にとって、真に初めての感情なのだ。
そう、これは――。
「今まで見たものの中で、一番美しい」
その顔は驚嘆の表情とも、喜びの表情とも言えない、だが周りを圧倒してしまうような、そんな表情を貼り付かせた。
口元にかすかな笑みを浮かべ、彼女の目は輝く。
単純な好奇心が彼女を動かし、そして知った運命はあまりに重いもの。
ようやく差した光に彼女は見出した。
アンジェリーナ、10歳。
10年生きてきた中で彼女は、初めて心から感動できるものに出会った。
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