第58話 罪の清算
発端はお前の5歳の誕生日。お前と喧嘩したあのときだ――。
――――――――――
「はぁ。よりにもよって今日、その話をするか」
誕生日のあれこれがお開きになった後、イヴェリオは自室で頭を抱えていた。
せっかくの祝い事だというのに、これでは台無しだ。
アンジェリーナには悪いことをした。だが――。
イヴェリオは机の引き出しを開け、中から写真を取り出した。
だが、言うわけにはいかない。あいつのために。
コンコンコン。
そのとき、扉が叩かれた。
なんだ?
イヴェリオは椅子から立ち上がり、ドアを開けた。
「お父様」
そこにいたのはすでに寝支度を整えたアンジェリーナだった。
もういい時間。目がとろんとしている。
一体どうしたというのか。
「お父様、私やっぱりお母様のことが知りたい」
「な、まだ懲りていなかったのか」
「だって――」
アンジェリーナは口を尖らせた。
「だってじゃない。さっきその話は終わっただろう。ったく、何も今日掘り返すことでも――」
「でも!」
「いい加減にしろ!」
イヴェリオが怒鳴ると、アンジェリーナはぎゅっと唇を噛み締めた。
薄っすらと目が赤くなる。
しかしすぐにイヴェリオを引けを取らない大きな声で、アンジェリーナは叫んだ。
「もう、どうして教えてくれないの!?」
あぁ、これでは堂々巡りだ。らちが明かない。
今までも口論になったことはあった。だがここまでなるのは初めてだ。
どうやって黙らせようか。
そのとき、イヴェリオは異変に気付いた。
やけにアンジェリーナが静かなことに。
見ると、さっきの険しい表情から一変、ぽかんとした顔をしている。
「アンジェリーナ?」
「お父様」
アンジェリーナは虚ろな瞳をそのままに、こちらに視線を向けた。
「“きおくのたびびと”ってなに?」
刹那、イヴェリオの脳裏に記憶が流れ込んできた。
アンジェリーナが知るはずのない記憶が。
記憶の旅人、そう言ったのはソフィア。
アンジェリーナを妊娠し、ベッドで横たわる彼女から様々な話を聞いて、望まない未来を知って、それから――。
ある子どもに肩を叩かれた。
そう、今目の前の見えている自分の娘に。
私は絶句した。
こんなこと、あり得るはずがない。絶対にないのに、だがどう頑張っても思い出せるのはその記憶だけ。
そして気づいた。
記憶が書き換えられたのだと。
今、まさにこの瞬間、アンジェリーナの力が覚醒してしまったのだと。
「あ、あ――」
私は混乱した頭のまま、どうにか声を絞り出そうとした。
しかし、声らしき声は出ず、ただ口をパクパクさせたのみ。
「うーん?なんだったんだろう今の、夢?私寝ぼけてるのかな?――ごめん、寝る」
「え、おい」
一方のアンジェリーナはあまりの出来事に現実のものではないと思ったのか、こちらが引き留める余地なく、寝ぼけまなこをさすりながら、すたすたと部屋に帰っていってしまった。
私は覚悟した。
全てが知られてしまったと。もう取り返しがつかないのだと。
しかし――。
「ねぇお父様」
翌朝、食卓でアンジェリーナは尋ねた。
「昨日、私お父様の部屋に行った?」
「――え?」
イヴェリオは思わずティーカップを落としそうになった。
「いやなんか部屋に行ったような気がするんだけど、よく覚えていなくて。なんか変な夢を見たような気もするんだけど――」
そう。アンジェリーナは覚えていなかったのだ。
昨日見た私の記憶を。
だから、私は勘違いしてしまった。
まだ間に合う。今ならまだ、取り返しがつくのだと。
――――――――――
「――と、いうわけだ」
「あー?」
アンジェリーナは首をグイッと傾けた。
「覚えているか?」
「えーっと――ごめん、全く」
「はぁ、だろうな」
イヴェリオはため息まじりに頬杖をついた。
あーこれ、もしかして私が戦犯だったりする?
そうだよね。もし私があのとき、夢だって思っていなかったらこんなにこじれることはなかったはず?
「あ、あの―?」
「別に、お前を責めるつもりはない。これはすべて私の責任だ」
イヴェリオは姿勢を正した。
「勘違いをした私は、とにかくお前が記憶を取り戻さないように必死だった。だから必要以上にお前に関わらないようにしたし、この部屋からも遠ざけた」
「あ、だから」
禁じられていたんだ、この部屋に入ることを。
「今まで申し訳なかった」
唐突にイヴェリオは切り出した。
深く頭を下げ、私の返事を待っている。アンジェリーナもまたすっと顔を引き締めた。
「何が、ですか」
「これまでのこと、すべてだ」
イヴェリオの、鋭く、まっすぐな目がアンジェリーナを見つめる。
思わず気圧されそうになったが、それでもアンジェリーナはぐっと手を握った。
ここで引いてはいけない。
「すべてというのは?」
「お前の話をろくに聞かずに否定した。自分の考えを押し付けた」
アンジェリーナは目を細めてイヴェリオを見た。
「私が、何に怒っていたのか、わかりましたか?」
「――ああ。私は、国を滅ぼしかけた」
イヴェリオは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
「お前の心配にかこつけて、周りが見えていなかった。結果、実の娘に呆れられた。こんなに愚かなことはない」
改めてすまないと、イヴェリオは頭を下げた。
その様子に、アンジェリーナはどこか胸が苦しくなった。
そうして結局こちらが折れた。
「はぁ。わかりました」
ため息まじりにアンジェリーナはそう答えた。
その言葉に、イヴェリオが顔を上げる。
「父親としてのあなたは許します――ただし!」
アンジェリーナは人差し指で向かいのイヴェリオを指した。
「王様としてのあなたを許すつもりはありません。あなたがしたこと、その言動は
そこまで一気にまくしたてると、アンジェリーナはキッとイヴェリオを睨んだ。
ここで妥協しては意味がない。
アンジェリーナは昨日からすでに決めていた。
たとえイヴェリオがどんなに誠意を見せて謝ってきたとしても、ここだけは許すまいと。
イヴェリオはそんなアンジェリーナをじぃっと見つめていたが、すぐにふぅと息をついた。
「わかった。それでいい。それならどうか忘れないでくれ、私の犯した罪を。そして二度と道を外すことのないよう見ていてくれ、私の姿を」
「わかりました」
覚悟のこもった瞳に、アンジェリーナはすぐにそう返した。
そして自身もぺこりと頭を下げた。
「私もごめんなさい。心配をおかけしました」
家出からの無断外出。勝手にどこぞの古本屋と金のやり取りをし、終いには誘拐未遂。
昨日一日、私が犯した罪も相当なものだ。
どんな罰が待っていてもおかしくはない。
だが、イヴェリオはただすっと手を差し出した。
「あぁ。これで、仲直りだ」
「――はい」
思えばこの手に触れるのはいつぶりだろう。
ふとそんなことを考えながら、アンジェリーナはイヴェリオの手を握った。
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