第57話 後悔先に立たず

 色々なことがあり過ぎた、激動の一日を経て、翌日。

 廊下を歩き一人、アンジェリーナは思い悩んでいた。

 今、彼女が何を思っていたかというと――。


「や、やらかしたー」


 昨日はなんか、家出したり久しぶり街へ出たり、忘れてたこといろいろ思い出したりして、怒涛の一日だったけど、いざ一晩寝て振り返ってみると、かなりやらかしてる。

 何が『私、剣を取るよ』だよ。

 いやそりゃあその言葉に偽りはないんだけど、それにしてもあのときはなんか興奮していたというか――。

 お父様だって何か話したそうにしていたのに、全く聞く気なかったよね、私。

 結局あの後特に何も話すことなく部屋に帰されたけど、怒ってる、よね。

 家出したんだもんね。


 そこでアンジェリーナの頭にふと昨日の映像が蘇った。

 赤い血だまりと、それとは対照的な暖かな家族の映像。


 あの人、どうして死ななきゃならなかったんだろう。

 あの人の家族は、これから一体どうなるんだろう。


 アンジェリーナは、胸の奥に、楔が打ち込まれたような気がした。

 決して抜けることのない。


「ん?」


 そんなこんなで色々思いふけりながら歩いているうちに、目的地に着いてしまったようだ。


 来た。今日の正念場。


 アンジェリーナが立ち止まった場所、そこは父イヴェリオの自室の前だった。


 うーん、呼ばれて来たはいいけど、入りづらい。

 一体何を言われるのか。

 いや、今回に関しては完全に私が悪いんだけど。

 というよりも――。


 アンジェリーナは改めて目の前の扉をまじまじと見た。


 ここに来るのいつぶりだろう。

 全然覚えがない。

 何か、絶対に入らないようにって言われてたんだよね。

 あれ、いつからだっけ?


 そのとき、扉がバタンと開いた。


「あ」


 時間になっても来ないからと、様子を見に行こうとしたのか、イヴェリオが出てきた。

 アンジェリーナは身構えた。


「なんだ、来ていたのか。なら入れ」


 ――あれ、意外と?


 予想とは裏腹に、イヴェリオはこちらに目線を落とすと、あっさりとアンジェリーナを部屋に招き入れた。

 その目に怒りは見受けられない。

 部屋に入ると、奥に立派な書斎机が、その手前に、向かい合う形でソファと、間にローテーブルが置かれていた。


 うーん、久しぶりっていうかほぼほぼ記憶にないからなんだか新鮮。


 イヴェリオはどかっとソファに腰かけた。

 未だ警戒中のアンジェリーナもその向かいに座る。


 アンジェリーナはイヴェリオを上目で見た。


 さぁ、どう来る。


「大丈夫か?」

「え?」


 初手、イヴェリオの口から飛び出した言葉は意外なものだった。


「昨日、色々あり過ぎたからな。ろくに話もしないままそのまま帰してしまったからどうしていたかと気になっていた。記憶の件もそうだが何より――街での一件に関して」


 イヴェリオは語尾のトーンを落としてそう言った。

 その発言にアンジェリーナは軽くうつむいた。

 そしてゆっくりと口を開く。


「あれは、あの人が死んだのは、私のせい、なんだよね」


 イヴェリオは黙ってこちらを見つめている。

 アンジェリーナはぱっと顔を上げた。


「ちゃんと知っておきたいの。何だか、これを今、うやむやにしてしまえば、この先取り返しのつかないような事態になりそうな気がして――うまく言えないんだけど、そうなの」


 我ながら脈略のない話である。

 果たして伝わるかどうか。


 イヴェリオはふぅっと息を吐くと、いつもと同じ、鋭い目をこちらに向けた。


「あぁそうだ。あの盗人が死んだのは、お前が王族だからだ」


 やっぱり。


 アンジェリーナはぎゅっと唇を結んだ。


「私がお前を外に出さないのは、大前提としてお前の安全のためだ。それはわかるな?」


 アンジェリーナはこくりと頷いた。


「だから今回のように万一にもお前に危害が及ぶような事態となれば、兵士たちは容赦しない」


 イヴェリオはそこで言葉を切った。


「酷なことを言うようだが、お前にはここでちゃんと話しておいた方がいいだろう」


 アンジェリーナは背筋を伸ばした。


「お前とあの盗人の命の重さは違う。あの盗人だけではない。平民の命は、お前のものよりも何倍も軽い」


 何となくはわかっていたつもりの現実。

 しかしいざ言葉にされるとなんだかやるせない。

 心のモヤモヤが溢れ出る。


「あまりこういうことは言いたくないが、あえて言おう。これが“王族である”ということだ」


 アンジェリーナは眉間にしわを寄せたまま、目線を落とした。

 部屋に沈黙が訪れる。


「――話を変えてもいいか」


 口を開いたのはイヴェリオだった。

 上目遣いに見ると、イヴェリオ自身もこちらの様子を伺っているようだった。


 今日はやけに丁寧なような。


 アンジェリーナは顎を引いて答えた。


「記憶の件だが、全部思い出した、でいいんだな?」

「うん。全部思い出した。二人の出会いも、お母様の話も」

「そうか」


 イヴェリオは顎をさすった。


「じゃあお前、いつ自分が私の記憶を盗み見たのか、覚えているか?」

「え?」


 アンジェリーナは固まった。


 そういえば、いつなんだろう。

 そうだよね。ってことは、最初に見たときが必ずあるってことなんだもんね。

 ――いや全然思い出せない。


 アンジェリーナの険しい表情を答えと捉えたのか、イヴェリオは口を開いた。


「まぁ、そうだろうな。でなければこんなに複雑なことにはならなかったはずだ」

「え、どういうこと?」


 イヴェリオは一つ、ため息をつくと再びアンジェリーナの目を見つめた。


「アンジェリーナ、お前が私の記憶を見た、つまりその“見通す”力を覚醒させたのは、お前の5歳の誕生日のときだ」


 アンジェリーナはごくりと喉を鳴らした。

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