第56話 少女は運命を知る

「過去を見通す力?記憶を通して?」

「はい」


 イヴェリオは眉間にしわを寄せた。


「悪い、よくわからないのだが」

「記憶を遡れる、と言った方がよいでしょうか?魂に触れることで、その人の記憶を追体験できるようなんです」

「追体験か」

「ですがそれだけではなく――」


ソフィアはそこで一度言葉を切り、息をすぅっと吸った。


「この子はどうやら“見る”だけではなく、実際に“触れる”ことができるようなんです」

「触れる?何に?」

「その人の記憶に、です。つまり、この子は魂に触れた相手の記憶を書き換えることができる」

「は?」


イヴェリオは思わず声を上げ、ソフィアのことを凝視した。


「待て、それは意味合いが変わってくるのではないか?ビスカーダの民の力は“見通す力”のはずだろう?」

「えぇ。だから、この子は特異なようで――ですがまぁ、書き換えるといっても自分の思い通りに書き換えられるというわけではないようです。ただ、記憶に干渉できるというだけで」

「悪い、意味がよく――」

「要は追体験した記憶の中で自由に動くことができるんです。ただ傍観するだけではなく、実際に声を出したり歩いたり」


 え、それって――。


「まるでタイムスリップじゃないか」

「えぇそうです。タイムスリップです。ただし、とても限定的な」


 ?


「この子が関わることができるのは、あくまでその記憶の持ち主だけなんです」

「つまり?」

「つまり、実際に過去に干渉するというわけではない。よって、この子が何を言おうと何に触ろうと、現実世界には何の影響もないということなんです」


 んー?

 言っていることがわかるようなわからないような。


「ただし、記憶の持ち主には制限なく関わることができる。実際に会話することもできますし、触ることだってできる」

「だがそれは現実のものではないのだろう?」

「はい。あくまで、その人の記憶の中の出来事です」


 記憶――。

 そうか、やっとわかってきた。


「要は二人だけの出来事ということだな?この子が勝手に記憶に侵入して、その人の過去を盗み見て、加えて実際に記憶の中のその人に関わることができる。だから現実には全く影響しない」

「はい」

「だが待てよ、まだわからない。その盗み見られた記憶の持ち主は一体どうなるんだ?記憶の中で関わったといっても、実際過去に関わったわけではないのだし」

「だから書き換わるんです、記憶が」

「え?」


ソフィアは静かに続けた。


「もともとその人が持っていた記憶が、この子と関わったという出来事にすり替えられてしまうんです。簡単に言えば、“このときどう考えても会っているはずがないのに、実際に会って話した記憶がある”、というふうに」

「なるほど」


 ようやく全体像がつかめてきたような気がする。

 しかし、理解してきてやはり思うのは――。


「その力、何の意味があるんだ?」


再三質問してばかりだが、突飛なことばかりで頭が追い付かない。

イヴェリオはソフィアに向かって訴えた。


「だって過去を変えるわけではないのだろう?あまりに限定的すぎる。その人の過去を見れるというだけで十分すごいのはわかる。だが、関わることにどういう意味が――」

「意味は、わかりません」


そこでソフィアは遠い目をした。


「ですが、一つ確かなのは、将来、この子も、あなたも、その力に助けられることが幾度かある、ということです」

「助けられる?その力に?」

「はい。ですからそこに、その力の意味があるのかもしれません」


そこまで言ってソフィアは、まっすぐにイヴェリオの目を見つめた。


「この子は必ず、を持って生まれてくるでしょう。そのときはわかりません。でもいつか、目覚めのときは来ます。この子は、魂に触れた者の記憶を辿ることができる、“記憶の旅人”になるでしょう」

「記憶の、旅人」


 イヴェリオは再びうずくまり、頭を抱えた。


 どうしてこの子はこんな運命を背負わなければならないのか。

 どうして――。


「イヴェリオ様」


 ソフィアの言葉を聞きながら、イヴェリオはただ肩を震わせた。


「もしあなたがこの未来を望まれないのならば、どうか今話したことを信じないでください。先程お話ししたとおりです。『自分の未来を全く信じなければ、それが現実になることは永遠にない。』あなたはまだ、未来を変えることができるのです」



 だから私は願い続けてきた。

 そんな未来起こってくれるなと。

 しかし――。



 そのとき、気配を感じた。

 すぐ後ろに。

 さっきまで誰もいなかったはずなのに。



 現実は酷だ。

 私の願いは届かない。



 肩にポンと触られる感触があった。


「どうして泣いているの?」


 私は振り返った。

 そこには、澄んだ瞳をした、幼子が一人立っていた。



 私にはわかった。

 その声を聞いたことも、その顔を見たこともないのに。

 あり得るわけがないのに。

 あぁ、この子は私とソフィアの子なのだと――。




「お父様」


 目の前には成長したあの幼子の姿。

 私の愛しい娘。

 全てを知られてしまったと思った。 

 だが、それでも、私は願い続けてきた。

 だから、


「私、思い出したの」


 だから――。


「お母様の話を」


 やめろ。


「だから私ね」


 やめてくれ。


「剣を取るよ」


 ソフィアと同じ、濁りのないその瞳に私は悟った。

 もう、引き返せないのだと。

 何もかも、もう動き出してしまったのだと。

 止められないのだと。


 私はアンジェリーナの小さい肩を掴み、そのまま体をもたれかけた。

 うつむき、目を閉ざし、唇を噛み締め、何も言うこともできずに。

 アンジェリーナはただ私を見下ろしていた。

 そうしてそのまま、時だけが静かに流れていった。

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