第49話 地獄の案内人
王子の婚約、および近日中の国王就任は一週間後、正式に王宮から発表された。
そこからはまさに一瞬、その衝撃的な知らせは風のごとく広まり、全国民の知るところとなった。
何せ、ずっと膠着状態だった問題が、何の前触れもなくいきなり解決したというのだ。国民の驚きは相当なものだっただろう。
女嫌いの王子を射止めた方とはいったいどんなに麗しいのだろうか、ついに新しい国王の誕生だ、などなど、国中がその話題で持ちきり。
国はすっかりお祝いムードに包まれていた。
それから一か月後、戴冠の儀が執り行われ、イヴェリオはポップ王国新国王となった。
発表から異例の速さでの就任。
そのときの王宮の慌ただしさといえば相当なもので、これまで経験したことのないほど詰め込まれるスケジュールに、当時は目を回したものだ。
当然、国王になったから終了というわけではない。
王子としてある程度公務はこなしていたため、仕事で行き詰るようなことはなかったが、とにかく休む暇がなかった。
一方のソフィアは、いきなり王族となったのだ。妃としての作法に苦しむか、と思われたのだが、指導する前からその振る舞いは洗練されたものだった。
もともと一つ一つの動きがきれいな奴だったから、まあ納得できる。
初めからその調子だったため、国民に素性がばれるようなこともなく、なんて上品で美しい妃様なのだろうと、ソフィアは全国民に愛されるようになった。
そんなこんなで目まぐるしい日々が続き、気が付けばさらに三か月が経っていた。
忘れられない、全ての始まりだ。
――――――――――
「はぁ、忙しいにもほどがある」
日が沈みかけた夕刻、イヴェリオは城の裏庭にいた。
珍しく今日は仕事が早く終わり、気分転換に外の空気を吸いに来たのだ。
この庭に来るのも久しぶりだな。
各地への挨拶やら視察やらであちこち飛び回ってはいるが、こんなにゆっくり外で過ごせるなんていつぶりだろう。
特に目的もなく辺りをぶらぶらしていると、イヴェリオはふと足を止めた。
「いつの間に――」
自然と足が向いてしまったのだろう、イヴェリオの目の前には禁断の森の入り口があった。
ここへ来ないようになってまだ半年も経っていないのに、ひどく懐かしく感じられる。
いつもは夜に来ていたし、午前中には二回ほど来たことがあるが、夕暮れ時の森というのはまた、趣が違うな。
木々がオレンジ色の光を反射して、どこか神々しく見える。
少し入っていくか、久しぶりに泉も見たいし。
そう思って、イヴェリオは何とはなしに森へ足を踏み入れようとした。
そのときだった。
バチンッ
「痛っ!」
刹那、全身に痛みが走り、イヴェリオは尻餅をついて倒れた。
何だ、何が起こったんだ今。
何かにはじかれた?
「ははははっ、無様に転んでやんの!」
イヴェリオが呆然と地面を見つめていると、聞き馴染みのあるあの笑い声が降ってきた。
イヴェリオははっとして目線を上に移した。
そこには森の入り口に立つ、ポップの姿があった。
「いやぁ愉快愉快。王子のこんな姿、そうそう見れないよなぁ。あ、国王になったんだっけ?申し訳ございません、国・王・様」
「ポップ――」
イヴェリオはすばやく立ち上がり、土を払った。
「お前の仕業か、これは」
「これって?」
「とぼけるな」
イヴェリオはポップを睨みつけた。
「どうして森に入れないんだと聞いている」
「知らねぇの?禁断の森は何人たりとも入ることはできないって」
「もちろん知っている。だが――」
「要は今までが異常だったってことだよ」
ポップはにやっと笑った。
「そっちこそ、心当たりねぇのか?」
「は?」
「よーく考えればわかることだぞ。あ、そうか。世間知らずの王族様じゃそんなこともわかんないのか」
イヴェリオの眉がピクっと動いた。
こいつは本当に人をイラつかせる天才だな。
もうこれ以上こいつと真っ当にやり合うのは時間の無駄だ。
駆け引きも何もあったものじゃない。
「ああそうだな。なら教えてもらおうか?どうしてソフィアがここを離れると、私は森に入れない?」
「ははっ、んな喧嘩腰になんなって。てかそこまでわかってんだったらもう少しだろうが」
ポップは一瞬真顔になってぼそっとつぶやいた。
しかしすぐにいつもの調子に戻って言った。
「まぁいい。じゃあお望み通り教えてやるよ――さっきも言ったが、ここはそもそも誰も入れない場所なんだよ。お前が入れていたことが変なの。お前が入れていたのは、ソフィアがお前を受け入れていたから。だからソフィアがいなくなった今、ここにはお前の侵入を黙って見過ごしてくれるようなやつは存在しないわけ」
まるで小さな子どもに諭すような言い方。
イヴェリオは苛立ちをぐっと抑えて尋ねた。
「つまり全てソフィアの独断だったってことか?ソフィアに森を操れるだけの力あるとは思えないが」
「はっ、そりゃそうだろ。実際お前を受け入れていたのは俺ってこと。こんな王族の男なんかこっちは意地でも入れたくなかったのにさ。ったく」
ポップはわざとらしくはぁとため息をついた。
「こっちはな、だーれも通さないようにってずっと、それこそ俺がここに来てから何百年もやってきたんだぞ?それをたった一人の男のために破るとか、権限乱用にもほどがあるだろ」
ん?
見知らぬ言葉にイヴェリオは首を傾げた。
「おい待てポップ、権限ってなんだ?」
「あ?そんなの族長権限に決まってんだろ」
は?族長?何言ってんだこいつ。
ぽかんと佇むイヴェリオを見て、ポップはけたけた笑い始めた。
「はははっ、おいおい何だよ。あいつお前に何も言ってねぇのか?」
言ってない?何を?
ソフィアが何か隠しているということか?
イヴェリオは戸惑いを露わにした。
「な、どういうことなんだ?族長って、ソフィアがビスカーダの森の民の長ってことか?いや他の人たちは?あいつ親はいないとは言っていたが、長ならもっと上の奴らがやるべきなんじゃ――」
「は?何言ってんだお前」
半笑いのまま、ポップは冷たく言い放った。
「そもそもビスカーダの森の民なんて、この世に存在しないだろ」
「――え?」
イヴェリオの口から、か細い声がこぼれ出た。
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