第44話 啖呵

 オルビアと対峙したイヴェリオは、約束の期限が来たことを告げられていた。


「期限は半年のはずです。まだ二週間ほどあるのでは?」

「微々たる差じゃよ。二週間程度でそう気持ちが変わるものでもなかろう」


 オルビアはお茶を一口飲んだ。


「さて、お眼鏡にかなうご令嬢はおったかのう」


 来た、その質問。


 イヴェリオはオルビアを見て、きっぱりと言った。


「いや、いない」


 イヴェリオは注意深くオルビアの様子を伺った。


「ほう、そうか」


 オルビアは長い髭を触った。


「それなら仕方がない。予定通り、婚約者はこちらで決めさせてもらおう。誰がいいかのう。どのご令嬢も皆捨てがたい。地位で選ぶのもいいが、気前だけでいったら――おおそうじゃ、ラキニヨンのモルガン伯なんかどうじゃ。あそこのご令嬢はえらくお前に惚れ込んでいるようだからのう――」

「あの」


 イヴェリオはオルビアの話を遮った。


「私、結婚する気はありません」


 その言葉に、オルビアの目付きが急に鋭くなった。


「その話はもう終わったことじゃろう。半年前の約束を忘れたか」

「私は承諾した覚えはありません」


 イヴェリオは背筋をまっすぐ伸ばした。


「王族として、次期国王として、公務にはきちんとあたります。ですから――」

「ならぬ」


 オルビアはこちらも見ずに低く発した。


「いい妃を持ち、子孫を残すこともまた王族としての役目。お前はこのカヤナカ家を断絶するつもりか?」

「それは――」

「そういうことじゃろうが。25にもなってわがままばかり。これでは良き国王には到底なれないぞ」


 オルビアの猛攻に、イヴェリオの心はどんどんヒートアップしてきた。


「わがままばかりって――私は生まれてこのかた、あなたの言うとおりにしかしていません。子どもの頃から国王となるための厳しい勉強も、あなたが望む通りにすべてこなしてきました。私が反抗したのは婚約者の件のみです。このひとつだけでも許されないのなら、私は自分の意思など持ってはならないということですか?」


 一気にまくし立てて、イヴェリオの息は上がっていた。

 それとは対照的に、オルビアは冷たい目でこちらを見つめていた。


「そんなに必死になるとは、よほど女が嫌いのようじゃの」

「誰のせいで――」

「ああそれとも、他に気になる相手でもいるのかのう。例えば、どこぞのだとか」

「え?」


 イヴェリオはぽかんと口を開けてオルビアを見つめた。


「な、んで、そのことを」

「半年以上通いつめて、気づかれないとでも思ったか?とっくの昔に調べはついている」


 狼狽するイヴェリオをオルビアは鋭く見つめた。


「ビスカーダの森の民、ポップ王国誕生以前から存在する歴史ある一族。まさか女嫌いのお前が初めて好きになったのが、そんなだったとはな」

「は?」


 イヴェリオの心の中で何かがブチブチと切れかかった。


「それで、どうするんじゃ?」


 オルビアはこちらの気持ちなど全く気にしていないように、平然と尋ねてきた。


「お前もわかっとるとは思うが、王族があんなの位の者と結婚するなどあり得ないぞ」


 イヴェリオはただ黙ってオルビアをにらみつけていた。


 それは痛いほどわかっている。

 わかっているからこそ――。


「そうじゃ。それならにすればよい」

「――は?」


 今なんて言った?


 オルビアの言葉にイヴェリオは固まった。


「じゃから、妾にすればよかろう。結婚したくないのはその女のせいなんじゃろ?ならば妾にして、側においておけばよい。そしてこちらが用意した令嬢と結婚すれば、王族としての地位を保ちながら、愛する者と一緒にいられる。別に正妃を愛さなくてもよいじゃろ」


 イヴェリオは言葉を失った。

 頭の中がうまく整理できない。

 数秒の沈黙の後、イヴェリオがオルビアの発言をようやく理解したとき、イヴェリオの中で切れかかっていた何かがついにブチッと切れた。

 机をバンと叩いて勢いよく立ち上がる。


「ふざけるなよ!何が妾だ。冗談じゃない。それじゃあんたと一緒じゃないか。それじゃあ誰も幸せになれない。私が結婚するのはただ一人、ソフィアだけだ」

「ほう、その相手、ソフィアというのか」


 イヴェリオははっとした。

 目の前のオルビアは、初めての息子のキレかかりに全く臆することなく、紅茶をすすっている。


 大声を張り上げたとて、何が変わるでもないのに。

 何やってるんだ、自分は。


 イヴェリオはおずおずとソファに座り直した。


「そこまで言うのならば、一度連れてきてみろ」

「え?」


 予想外の言葉に、イヴェリオは目を丸くした。


「連れてこいと言っとるんじゃ」

「会ってくださるのですか」

「話はそれからということじゃ。それよりもお前、そんなに啖呵を切っておるが、そもそも結婚の申し込みはしておるのか?」

「え?」


 イヴェリオは再び固まった。


「お前がどんなにその相手を好きでも、相手のほうがそうとは限らないじゃろ。連れてくるのはきちんと相手の承諾を得てからじゃ。常識じゃろうに」


 その苦言に、イヴェリオは何も言い返すことができなかった。


 そうだ。根本的な話だ。

 ソフィアは果たして私のことをどう思っているのか。

 結婚うんぬん先走って恥ずかしい。

 父様に話すよりも前にソフィアに話さなければならなかったのに。

 ぐうの音も出ない。




「ソフィア!」


 イヴェリオはすぐに禁断の森へと走った。

 辺りは完全に闇に包まれていたが、もはやイヴェリオが道に迷うことはなくなっていた。


「どうされたのですか、こんな真夜中に。それもずいぶん急いで」


 イヴェリオは息の上がる中、改めてソフィアの顔をまじまじと見た。


 この顔を見ると安心する。

 やはり結婚するなら彼女しかいない。


「ソフィア」


 イヴェリオはソフィアに近寄り、目をまっすぐに見て言った。


「私と結婚してくれ」


 ソフィアは突然のことに戸惑ったように目を丸くした。

 しかしすぐにいつもの落ち着いた表情に戻り、イヴェリオの目を見つめ返した。


「お断りします」


「―――――え?」


 静かな声がイヴェリオを不意打ちに殴りつけた。

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