第39話 ○○呼び

 それからというもの私は毎週、月の出る夜にソフィアのもとを訪れるようになった。

 それは個人の純粋な興味か、はたまた王族としての責務か、あるいは別の衝動か。

 今にしてもわからないが、とにかくあのとき私は彼女のもとへ行くのが自然に習慣となっていった。


「王子、髪に木の葉がついていますよ」


 泉のほとりに座る二人。

 ソフィアはイヴェリオの頭についた葉っぱを取ろうと手を伸ばした。


「やめろ。それくらい自分で取れる」


 イヴェリオはソフィアの手を遮り、眉間にしわを寄せた。


「あのな、お前。前々から思っていたが、礼儀と言うものを知らないのか?人に、それも王族にそんな容易く触れるなど、はしたないにもほどがある」

「それは失礼いたしました」


 ソフィアは笑みを浮かべてぺこりと頭を下げた。


 この顔は子どもっぽい、全然反省していない時の顔だ。


 イヴェリオはソフィアをじぃっと睨んだ。


「やはり、舞踏会などに来られるご令嬢がたは、それはそれは礼儀作法も整われているのでしょうね」

「え?」


 どこからその話がやってきた?


 突然の話題転換にイヴェリオの頭は混乱した。


「こんな森のはしたない民とは比べ物にならないくらい、麗しくていらっしゃるのでしょう。私など、こうして王子の隣に並ぶなど身分不相応にもほどがありますよね」

「いやそんなことは――」


 そこまで言いかけてイヴェリオははっとした。


 何言おうとしたんだ、私は。


 見ると、ソフィアは今度は明らかに、にやにやしながらイヴェリオを見つめていた。


 はめられた。


「確信犯め」

「なんのことでしょう?」


 こうしてみると、ソフィアはずいぶん子どもっぽく見える。

 普段から表情の起伏があまりないのもあるだろうが。


 そこでイヴェリオは思い出した。


 そういえば、今月の舞踏会はもう来週に迫っているんだった。

 はぁ。またあの無駄に気を遣う、意味もなく派手な婚約者探しに参加させられるのか。


「どうかしました?」


 気が付くと、ソフィアが顔をのぞき込んできていた。

 ばちっと目が合い、思わず顔をそむける。


「何か、憂いごとでも?」

「別に。お前のせいで嫌なことを思い出しただけだ」

「嫌なこと?」

「お前には関係のないことだ」


 イヴェリオはむすっと口を尖らせた。


「ですが私のせいで嫌な思いをなされたならば、何か謝罪をしなければなりません」

「別にいいと言っているだろう」

「しかし王子――」

「だからな」


 恥ずかしい限り、このときの私はかなり幼稚だったと思う。

 こういうときはたいてい墓穴を掘る。


 イヴェリオは苛立ちを露わにして、つい要らないことを漏らしてしまった。


「――というかお前、自分のことは名前で呼べと言ったくせに私のことはお構いなしなんだな」

「え?」


 何の脈略もなく出てきた話に、ソフィアは戸惑いを露わにした。

 イヴェリオはそこでようやく冷静に戻った。


 何言ってるんだ!?


「あ、いや、その――わすれて」

「もしかして王子」


 上手く言葉が出てこずに口をぱくぱくさせるイヴェリオを制止して、ソフィアは言い放った。


「“王子”呼び、お嫌いなんですか?」


 会心の一撃。

 その言葉にイヴェリオはぐうの音も出ずに黙り込んだ。


 図星だと言わんばかりの態度に、ソフィアはくすくすと笑った。


「なんだ、そうだったんですね。気が付かずに申し訳ございませんでした」

「いや別にそうだと言ってはいない――」

「では、何とお呼びすればよろしいでしょうか」


 何と?


 ソフィアは期待の眼差しでこちらを見つめていた。


 これは、とても、恥ずかしいことではないのか!?


 イヴェリオはごほんと咳払いをして、どうにか平静を装った。


「好きにすればいいだろ」

「では“イヴェリオ様”と」


 即決。

 ソフィアは何の躊躇もなく、イヴェリオの目をまっすぐ見つめてそう言った。


 その瞬間、イヴェリオの体の中から何かがぐわっと湧き上がってきた。


 本当、自分で好きにしろと言ったくせにどうしようもない。


 もうどうにも耐えきれなくなったイヴェリオは無理やり話題を変えた。


「そういえば、お前、年はいくつなんだ」

「――いきなりですね」

「ずっと気にはなっていた――にやにやしていないで答えろ」


 ソフィアはなぜかさっきよりもにこにこと嬉しそうにしていた。


 一体何が気に入ったのか。


「はい、年ですね。今年で20になります」

「20――」


 私の5歳下か。

 意外なような意外でないような。

 普段の落ち着いた様子は、年上の雰囲気さえ醸し出しているが、今日のようないたずらっ子の笑顔はもっと下の感じさえする。


「イヴェリオ様は25でいらっしゃいますよね」

「――ああそうだ。さすがに知ってはいるんだな」

「もちろんです。私も一ポップ国民ですから。――あ、そろそろ儀式の時間ですね。では少し失礼して」


 そう言うと、ソフィアはすっと立ち上がり、泉の中へ足を入れた。

 そしてそのまま中央の、ポップ(石)が鎮座する柱のもとへ近寄る。


「毎夜やっているのか、その儀式」

「はい」

「実際のところ何をやっているんだ?それは。服を着たまま泉の中に入って――」

「『ポップに祈りを捧げている』、そうだったよな」


 そのとき、後ろから声がした。

 振り返るとそこには、苦手とするあの男、ポップ(妖精)の姿があった。


「よぉ、王族さん。性懲りもなく今日ものこのこと。暇だねぇ」


 いやらしい笑顔を浮かべて、ポップはずかずかとこちらに近づいてきた。

 イヴェリオは黙ってポップを睨みつけた。


 この男はどうしてこんなにも私に突っかかって来るのか。

 ポップの妖精だか何だか知らないが――ん?


 ここでイヴェリオは気づいた。


「ソフィア、どうして石のほうに祈ってるんだ?本体はそっちなのかもしれないが、意思はこっちにあるんだろ?」


 そう。ソフィアが祈っている、泉の中の石は力は持っているが動かない石。

 何か願いをするならばこっちの妖精のほうがいい気がするのだが。


「だよな。ほんと俺もそう思う。そもそも祈りなんてのは、神様に届くようにやるんだろ?実物が後ろにいるのにわざわざそんな回りくどいことする必要ねぇだろ」

「まぁ、いわゆる伝統ですからね。もありますし、祈りは建前ですよ」

「建前?」


 そういえば、ソフィアは柱のまわりをしきりにぐるぐるしているような。

 ん?あれ?手に持っている薄汚れた布は――え、“やること”ってもしかして。


「掃除です」


 ソフィアは持っている雑巾を軽く掲げてみせた。


「儀式でもなんでもないじゃないか!」


 イヴェリオの盛大なツッコミが森に響き渡った。

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