第36話 月夜の邂逅

 王位継承。

 それは国家にとって最も重要な問題の一つである。


 前回、オルビアのときは、前任の王、つまり私の祖父が、50手前にして早くに亡くなったため、強制的にオルビアに継承されることになった。

 だが歴史的に見れば、必ずしも死後の譲位が行われたというわけではなく、生前譲位というものも、一般的に行われてきた。

 そしてカヤナカ王家は、その生前譲位を基本としている。


 その当時オルビアは80歳。一方の私は25歳。

 王位を譲り渡すには、どちらもいい年齢だった。


 だからこそ、オルビアは早く私に身を固めさせて、良い形で王位を継承させたかったのである。


 私としても、それがどれほど重要なことか理解していた。

 ポップ王国繁栄のために自分がなすべきことの一つであるということも、十分に自覚していた。


 だが、いざ女を目の前にすると幼少期の記憶を思い出してしまう。

 どうしても妃となる女性を愛せる気がしない。


 そんなこんなで何の成果もないまま開かれる舞踏会の数だけが増えていっていた。


 ――そんなあるとき。


「はぁ、思わず抜け出してきてしまった。あとでまたぐちぐち言われるな、これは」


 例のごとく行われた舞踏会から逃げ出して、イヴェリオは裏庭に来ていた。


 今日もわざわざ辺境から呼び出して。父様もご苦労なことだ。

 どの令嬢がたもおんなじだ。

 誰もかれも私にこびへつらうばかりで、代わり映えしない。

 そんなじゃあ、結局あの妾たちと同じではないか。


 イヴェリオは当てもなく、夜風に当たりながらぶらぶらと歩いた。


 そのときだった。


 視界の端。何かが横切った。


 イヴェリオはばっと振り返った。

 しかしそこには何もいない。


 気のせいか?


 再び歩き出そうとしたとき、今度ははっきりと捉えた。

 暗い森の奥、佇む人影を。


「あっ」


 イヴェリオが思わず声を出すと、こちらに気づいたのか、何者かは姿を消した。


 一体誰なんだ、こんなところ、に――。


 イヴェリオはその時気づいた。

 自分の目の前に今、何があるのか。


 イヴェリオはゆっくりと後ずさった。

 視界に入りきらない、それを眺める。


「禁断の、森」


 待て。どうして禁断の森に人が入り込んでいるんだ。

 それも王城の真隣に。

 禁断の森はその名の通り、何人たりとも入ることを禁じられているはず。

 入れば最後、生きて出ることはできない。

 なのになぜ。


 イヴェリオは暗く先の見えない森をまじまじと見つめた。


 確かめるしかない。自分の力で。

 そうでなければ結局王宮に危険が及びかねない。


 イヴェリオは勇気を振り絞って、一歩を踏み出した。


 森の中は外から見るよりも暗く、闇に包まれていた。

 手元に会った簡易ランプでは、どう頑張っても先を照らすことができない。

 キーッキーッと変な鳴き声が聞こえる。

 そういえば、この森は魔獣の生息地だった。

 今更になって後悔する。

 もう遅いというのに。


 すでにイヴェリオは森の中に分け入り、とっくに入り口の光は届かなくなっていた。

 引き返すことは不可能。こうなったら先へ進むしか道はない。


 それから数分経っただろうか。

 イヴェリオがもう帰れないのではないかと諦めかけたそのとき、遠くのほうに光が見えた。


 出口か?


 イヴェリオは足早にその場所へ向かった。

 だがその手前、イヴェリオはふと足を止めた。

 そして急いで草陰に隠れる。


 目の前にあったのは、出口ではなく、小さな泉だった。

 光っていたのは、水面に月の光が反射していたらしい。


 イヴェリオは石のように固まってしまった。

 言葉が出なかった。


 私の目に映ったのは泉の中央で輝く赤い石。

 今思えば人生の中で、あの石ほどおぞましく、煌々と光り輝くものは見たことがない。

 だがそのとき、私の目を釘付けにしたのは全く別のものだった。


 泉の中に佇む女。


 白い肌を月が照らし、長く黒い髪がなびき、瞳の中で赤い石が光っている。


 まるでこの世のものとは思えない。


 息が止まるような。


 そのとき、ふと女がこちらを振り返った。

 白いワンピースの裾が水面を揺らす。


「誰?」


 そよ風のように穏やかで、今にも消え入りそうな声。

 草陰に隠れる何者かのために彼女は静かに微笑んだ。


「どうぞこちらへ」


 そう言って彼女はこちらに手を伸ばしてきた。


 気が付いたときには、私は草陰から姿を現して、泉の方へゆっくりと近づいていっていた。

 まるで禁域に足を踏み入れるかのように、一歩ずつ一歩ずつ確かめながら。


 私はただまっすぐに彼女の瞳だけを見つめていた。

 その中に映る自分が、私を見つめている。


 泉のへりに立ったとき、イヴェリオははっと気づいた。


 何をやっているんだ私は。


「お、お前は誰なんだ?こんなところに――この森は誰であっても入ることを禁じられているはずだ。なのにどうして――」


 言葉を遮るように、彼女は口の前に人差し指を置いた。


 細い指。


 その様子にイヴェリオは押し黙った。


 彼女はそれからゆっくりと目線を落とし、ゆっくりと泉から上がった。

 そして改めてイヴェリオを見つめた。


「突然驚かせてしまったようで、申し訳ございません。ですが、私はこの森の侵入者なのではございませんよ」

「え?」


 すると彼女は改まって、体の前で手を重ねた。


「私はビスカーダの森の民、つまり禁断の森と呼ばれるこの聖域で暮らす先住民です」


 あっけにとられるイヴェリオを前に彼女は再び微笑んだ。


「名をソフィアと申します。はじめまして、イヴェリオ王子」


 これが後の妃、ソフィアとの出会いだった。

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