第33話 告白

「アンジェリーナ!」


 ドアをバタンと鳴らして、息を切らし、イヴェリオはアンジェリーナの部屋に飛び込んだ。

 部屋の真ん中には、使用人に囲まれてアンジェリーナが椅子に座っていた。

 イヴェリオはアンジェリーナに飛びつき、肩を力いっぱいにつかんだ。


「何してるんだお前は!自分のやったことが分かっているのか!」


 イヴェリオは感情を露わにして怒鳴った。

 その様子に周りの使用人たちがびくっとする。

 だが今は体裁など気にしている場合ではない。


「だから言っただろ!外は危ないんだ。ほら、擦り傷なんて作って、それで済むどころの話じゃなかったんだぞ。危うく殺されかけたんだ、お前は!」


 イヴェリオの心はもうぐちゃぐちゃだった。


 言いたいことはいろいろあったはずなのに、上手く言葉が出てこない。

 街で見つかったという知らせを受けたと思ったら、事件に巻き込まれたと聞かされて。

 大したけがはないと言われたが、自分の目で見るまでは全く信用できなくて。

 いざ目の前にしたらなんかもう。

 今は何よりアンジェリーナの無事が確認できてほっとしたのと、危険な目に遭うような真似をしたことへの怒りと、自分のやるせなさと――。

 次から次へと溢れ出る感情に押しつぶされそうだ。


「お前が、俺は、――」


 イヴェリオはアンジェリーナの小さな肩にもたれかかった。

 そのとき、気づいた。

 アンジェリーナがやけに静かなことに。


「アンジェリーナ?」


 頭を上げて改めて顔をよく見てみると、アンジェリーナはどこかすました顔をしていた。

 自分が事件に巻き込まれたのを理解していないような。


 自分が怒られていることをわかっていないのか?

 いや、違う。

 何かがおかしい。


「ひ、姫様は今はまだ心の整理がついておられないのでしょう。何せ怖い思いをしただけではなく、目の前で人が死ぬのを見てしまわれたのですから」


 使用人の一人がイヴェリオにささやいた。


 たしかに、相当強烈な出来事だっただろう。

 一生のトラウマになっても仕方がない。

 だが私にはわかる。

 今のアンジェリーナが考えているのはもっと別の何かだ。

 アンジェリーナの考えを何一つ理解できない私だからこそ、今、こいつが考えていることが、私の想定なんかでは及ばないことなのだろうとわかるのだ。


 すると、ここまで何も発さず、何の反応も示してこなかったアンジェリーナがゆっくりと口を開いた。


「二人で話したいんだけど」


 その声は実に穏やかで落ち着いたものだった。


 こんな声、聞いたのは初めてだ。


 イヴェリオは胸がざわめくのを感じた。


「アンジェリーナと二人にしてくれ」

「は、はい!」


 イヴェリオの鋭いまなざしに委縮したのか、使用人はバタバタと部屋を立ち去った。

 扉が静かに閉まり、沈黙が訪れる。

 イヴェリオはアンジェリーナの言葉を待った。

 心臓の音が体中に響くようだった。


「お父様、あのね――」


 イヴェリオは身構えた。


「赤ちゃんがいたの」

「――は?」


 突拍子もない言葉にイヴェリオは拍子抜けした。


 何を言ってるんだ。


「あの泥棒の人、赤ちゃんがいたの」


 泥棒?あぁあの犯人か。

 だがどうして今その話を――。


「奥さんと赤ちゃんの3人暮らし。ボロボロの家に住んでいて、あれがスラム街なのかな」

「お前、さっきから何の話をしてるんだ」

「それでね、今朝その赤ちゃんが急に熱を出しちゃったみたいなの」


 アンジェリーナはイヴェリオを無視して話を続けた。

 やけに冷静で、淡々と話すその口調が気になった。


「でもね、病院に連れていくお金もないし、薬を買うお金もなかったの。だから盗むなんて真似したんだって」


 どういうつもりだ。

 何を言いたいんだ。

 同情の余地があったから、だから殺すことなんかなかったと、そう言いたいのか?


 そこまで考えて何かが引っ掛かった。


 あれ?アンジェリーナはどうしてそんなことを知っているんだ。

 その男と話す時間などなかったはずだ。


「アンジェリーナ、お前、どこでその話を――」

の中でね、その人、家族のことばっかり考えてた」


 そのとき、時間が止まったような気がした。

“記憶”――。


「それでね、お父様。あの男の人が死んで、わかったことがあるの」


 声が出ない。


「私ね、最近夢を見ていたの。

 きれいな女の人と、若い男の人が出てくるんだけど、昨日やっと男の人の顔が見えそうだったんだよね。でも今日はなぜか続きが見れなくて。

 ずっと気になってたんだ。

 だけどね、さっきやっと気がついた。

 私、その男の人の顔、とっくの昔に知ってたんだよ。

 あの女の人も、顔は初めて見たけど、でも今なら誰なのかはっきりわかる。

 思い出したんだ。

 あれは、夢なんかじゃない」


 アンジェリーナはイヴェリオをまっすぐに見て言った。


「あれは、私の記憶だったんだよ」


 透き通った目が心を貫く。


「あの男の人、お父様でしょう?それであの女の人はお母様」


 穏やかな声が終わりを告げる。


「ねぇ、お父様」


 そうだ。アンジェリーナは彼女によく似ている。


「会ったこと、あるでしょう。私が生まれるよりも前に、に」




 そのとき、私はどんな顔をしていただろう。

 きっとあまりに哀れで間抜けな表情をしていたに違いない。


 ――イヴェリオ様。


 穏やかな声が聞こえる。


「この子は必ず、を持って生まれてくるでしょう。

 そのときはわかりません。

 でもいつか、目覚めのときは来ます。

 この子は、魂に触れた者の記憶を辿ることができる、“記憶の旅人”になるでしょう」


 目の前の、澄んだ瞳の彼女は静かに、私にそう告げた。

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