第22話 お金のお勉強

 店内に居心地の悪い空気が流れている。

 店主の視線が痛い。


 当時城から一歩の出たことがなかった私。

 当然お小遣いなどあるはずもなく、ポップの勧めで一応、部屋にあるお金になりそうなものを詰め込んできたものの、現金は一切持ち合わせてはいなかったのだ。


 アンジェリーナは、先程店主に取り上げられそうになった、袋をカウンターに上げた。


「こ、これでどうですか」


 店主はアンジェリーナの顔をちらりと見ると、目の前の袋へと目線を落とした。


「金のライオン像など、私はいりませんよ」


 ああそういえばそんなものもあった気がするなぁ。


 部屋の押し入れに眠っていた、数々の献上品。

 土産品だか賄賂だか機嫌取りだかで、客人がやたらと持ってきた。

 はっきり言って何の実用性のないものたちである。


 店主は一応袋の中身をくまなくチェックしてくれていたが、その目が興味に輝く様子はない。


 やっぱりだめか。


 しかし、中を掘り返してしばらく、店主の目の色が変わった。

 袋の中からゆっくりと何かを取り出す。


「あ、それ」


 その手に握られていたのは、シルクのスカーフのようだった。


「確か隣の国からやってきた珍しい布だって。ポップ王国で出回ることなんてほぼないから、すごい貴重だって言ってたような気がする」


 店主は少しの間、スカーフをまじまじと見ていた。

 だが突然、何を思い立ったのか、ばっと立ち上がった。

 アンジェリーナの体がびくっと震える。

 店主はカウンターから出てアンジェリーナの横を素通りした。

 そしてなんと何も言わずに、スカーフを抱えたまま外に出て行ってしまった。


 え、無視!?

 一応私お客さんのつもりなんだけど。


 アンジェリーナはぽかんと立ち尽くした。


 店にほったらかしにされて数分。店主が戻ってきた。

 しかし、その手にはスカーフの姿はない。

 代わりにアンジェリーナが持ってきたものより少し小さめの麻袋を抱えていた。

 店主はそれをアンジェリーナの方へポイッと投げた。

 わわっとアンジェリーナがそれを受け取る。


 ジャリン。


 中で金属音が聞こえた。

 というか袋が重い。

 中身は?


「さっきのスカーフ、換金してきました」

「え?」


 アンジェリーナが袋を開くと、確かにそこには大小さまざまな金銀銅貨が詰まっていた。


「お金にしたの?」

「いけませんか?」

「い、いや――」


 いけませんかって、もうすでにお金にした後で言うこと?

 というか最初からお金にするつもりだったんなら――。


「それじゃあ、金のライオンとかでもよかったじゃん。いらなくてもお金にはなるでしょ」

「いいえ、逆です」

「え?」


 店主はいまだカウンターに放置されていた袋から、金の指輪を取り出して見せた。


「こんなもの、高価すぎて換金できない、ということです」


 アンジェリーナが首を傾げる。


「金のライオンや指輪など、高価すぎて盗品だと怪しまれる、ということです。ここは庶民の街。そんなお宝、一老人が持ち込めば、軍に通報されること間違いなしです。さっきのスカーフはまだましだったという話です。あれならば、たまたま昔に手に入れたプレミアものだ、という言い訳でもどうにかまかり通ります」


 な、なるほど。

 高すぎて逆にもらえないってことだったんだ。


 思わぬところで世間知らずのお姫様が露見して、アンジェリーナは苦笑いを浮かべた。

 今考えても恥ずかしい。


「さっきの本、買うんでしょう?」


 店主は再びカウンターの中に座り、アンジェリーナを静かに見下ろしていた。


 そ、そうだ。

 そのためにお金が必要だったんだ。

 あ、でも――。


「この本、金貨何枚なんですか」


 アンジェリーナは上目遣いで店主を見た。

 はぁとため息の漏れた音が聞こえる。

 さも呆れたという雰囲気で。


「――そもそも金貨ではありません」

「え?」

「姫様、お金に触れたことは?」

「そういえば、これが初めてかも」


 日常生活、城の中にいれば何でも手に入ってしまう。

 欲しいものがあれば、言えばいつの間にか部屋に置いてある。

 買い出しは使用人の仕事。

 アンジェリーナがお金に触る機会など、この5年の人生の中で一度もなかったのだ。


「あ、でも算数はできるよ」


 アンジェリーナは自慢げに答えた。

 すると、店主はカウンターから体を乗り出し、アンジェリーナの手元から袋を取り上げた。

 そして中から数枚お金を取り出す。


「これが銀貨、こっちが銅貨。銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚です。魔界では共通通貨“マリン”が使われていますから、今のレートで行くと、銅貨1枚で100マリンですね」


 突然始まったお金の授業に、アンジェリーナの頭は混乱した。


 銅貨?銀貨?マリン?


 しかし、店主はアンジェリーナを置いて説明を続ける。


「ですから、銀貨1枚では1000マリン、金貨1枚で10000マリンとなります。――ここまではいいですか?」


 アンジェリーナは指を折って考えてみた。


 えっと、銅貨10枚で銀貨1枚ってことだから、銅貨1枚で100マリンのとき、100×10で――あ、1000マリン。

 だから銀貨10枚で、1000×10で金貨1枚10000マリン!


「わ、わかったー!」


 アンジェリーナはぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 そのとき、ん?とアンジェリーナは違和感を感じた。

 さっきまで、高くてカウンターがよく見えてなかったけど――。


「このお金何?」


 アンジェリーナが背伸びして指さしたのは、銅貨よりも一回り小さい、銀色の硬貨だった。


「ああ、“チュナ硬貨”ですね」

「チュナ硬貨?」

「銅貨は1枚で100マリンでしょう。でもそれでは、1マリンに相当するお金がありませんよね」

「あ、そういえば。どうするの?」

「そこで使われるのがこのチュナ硬貨です」


 店主はチュナ硬貨を一枚持って見せた。


「チュナ硬貨一枚で1マリン。つまりチュナ硬貨100枚で銅貨1枚ということです」

「なるほど」

「さて――」


 店主は先程の本を裏返した。


「ここ、本の裏表紙に値段が書かれているでしょう。これは1000マリン。では、どの硬貨を、何枚出せばいいでしょうか」


 いきなり!

 これは、試されてる。


 アンジェリーナはぐっと背伸びをして、カウンターの上の袋を手繰り寄せた。

 そして中から1枚の銀貨を取り出した。


「これでどうだ!」


 アンジェリーナはカウンターに銀貨を叩きつけた。

 不安げに店主を伺う。


「はい、確かに」


 店主はぶっきらぼうにただそれだけ言うと、銀貨を受け取った。

 アンジェリーナはカウンターの下でよし、とガッツポーズをした。


「これがこの本の価値です。物の価値がわからなければ人は生きていけません。普通、王族には関係ないことでしょうが――」


 店主は改めてアンジェリーナの目をまっすぐ見た。


「あなたさまはことを知りたいんでしょう?」


 そう言って店主は残りのお金が入った袋と、本を渡した。

 初めて触れるお金と、そのお金で初めて買った本。

 アンジェリーナには、その二つがどちらもとても重たく感じられた。


「そのお金ですが、一度に持ち運ぶにはあまりに多すぎます。万一、また街に繰り出すようなことがあれば、小分けにして持ち歩くことをおすすめします。泥棒に取られたいというのならば別ですが」

「おー、おー!!」


 アンジェリーナは喜びのあまり、大きな歓声を上げた。

 すかさず店主の舌打ちが響き、アンジェリーナは口をつぐんだ。

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