第21話 アザリア古書店

「うわぁすごい。本の森だ」


 アンジェリーナは自分の背の2倍以上はあろうかという本棚を見上げた。


 店の中はまさに本棚の森。

 天井に着かんばかりの本棚が所狭しと並んでいる。

 加えてその棚に、ぎゅうぎゅうに本が詰められているときて、圧迫感が半端じゃなかった。

 今にもこちらに覆いかぶさってきそうな雰囲気だ。


 2年前、初めて街を出たとき、無事人に流されて、迷ってしまった私は、偶然ここにたどり着いた。

 その当時はまさかこんな夢みたいなところに来れるなんて、と感動したものだ。


「すごすぎる!」

「やかましいな」


 突然奥の方から低い声が聞こえてきた。

 アンジェリーナはばっと声のする方を向いた。

 本棚に囲まれすぎてよく見えない。

 アンジェリーナは恐る恐る店の奥へ一歩を踏み出した。

 本棚に見下ろされながら、人一人通れるかという道をどうにか進む。

 一番奥のカウンターまでたどり着いたとき、アンジェリーナは顔を上げた。

 そこには静かにアンジェリーナを見下ろす老人の姿があった。

 オルビアほどは老いていないようだが、白髪に白い無精髭。

 オルビアとはまた違った貫録を感じる。


「こんな子どもが来るような場所じゃない」


 アンジェリーナがじっと見つめていると、店主はぶっきらぼうにそう言った。


「あ、あの――」

「ほら、さっさと帰った。それにそんな汚らしい格好、スラム街の子どもか?金がないなら論外だ」

「あ、えっと」

「だからな――」


 口を挟む隙が無い。


 食い下がらないアンジェリーナにしびれを切らしたのか、店主はカウンターから出てきた。

 アンジェリーナは思わずたじろいだ。


 今思い返すと城に出たのはその日が初めて。

 ゆえに、お父様やおじい様、使用人以外の見ず知らずの男の人に面と向かって会うのも、実はこれが初めてだったのだ。


 こ、こわい。


 アンジェリーナはぶるぶると震えて縮こまった。

 そのとき、ぼとっと抱えていた荷物が落ちた。

 ジャランと中身が鳴った。


「ん?」


 店主が袋を拾い上げる。


「あ」


 それはだめ――。


 しかしアンジェリーナの願い届かず、店主はそのまま中を開いてしまった。


「――これはなんだ」


 店主が見せてきた袋の中には、金色の置物や指輪など、高価そうなものがたくさん詰まっていた。

 アンジェリーナは頭を抱えた。


「まさか、盗んできたのか」

「え、ち、ちがう」


 や、やばい。

 スラム街の子どもと勘違いしてくれているのはありがたいけど、変に疑われちゃった。

 どうしよう。


「違うことはないだろう。スラム街のやつがこんなもの持っているはずがない。盗む以外ありえないだろ――ん?」


 店主はぐっと体を屈ませてアンジェリーナの顔を覗き込んだ。


 顔が近い!


 アンジェリーナは思わず目線をそらした。


 い、いったいなに?


 次の瞬間、店主から告げられたのは、死刑宣告にも近い言葉だった。


「まさかとは思ったが、間違いない。お前、いやあなた、カヤナカ家のお姫様ですね?」

「え、え!?」


 アンジェリーナは大声を出して飛び上がった。

 しかしすぐにはっと気づいて、平静を装った。

 当然時すでに遅しなのだが。

 まさかの即バレ。

 今思うと大金持ち歩くような真似、迂闊にもほどがある。


「毎年誕生日の日には新聞の一面を飾られる。そんな子どもなど、この国に一人しかいませんからね。ですが、まさかこんなところに、そんな格好でいらっしゃるとは――そんなおてんば娘だとはどこにも書かれていませんでしたが」

「うっ」


 痛いところを突かれ、アンジェリーナはうつむいた。


 あーこれじゃ、せっかく城から出られたのに意味がないよ。

 それどころか、もう一生出られないかも。


 しかし、店主から発せられた言葉は意外なものだった。


「それで、姫様はうちの店に何の御用で?」

「え?」


 店主は何事もなかったように、再びカウンターへ戻り、椅子に腰かけた。

 アンジェリーナは意表を突かれ固まった。

 返事のないアンジェリーナを、店主は横目で睨んだ。


 あ、これは何か言わないといけない感じ。


「突き出さないんですか?わたしのこと」


 すると店主は、はぁと大きなため息をついた。

 そして本棚を見つめる。


「あいにく、この店には本来この国にあるはずのないものがたくさんございます。あなたさまを軍にでも差し出せば、当然店の監査は行われるでしょう。意味はわかりますね?私はわざわざ自分から、この根城を失わせるような真似はしたくないんですよ」


 アンジェリーナは首を傾げた。

 言っていることの半分はよく理解できなかったが、それでも、自分が助かったという事実だけは認識できた。


「それでご用件は?」


 店主は再びアンジェリーナに問いかけた。


 あ、そうだ。わざわざ街まで来た本来の目的は――。


「え、えっと――わたし、城の外に今まで一歩も出たことがなくて。だからその、外のこと、いっぱい知りたいんです!」


 アンジェリーナは拙い言語でどうにかこうにか気持ちを伝えようとした。

 店主は何も言わず虚を見つめていたが、しばらくして懐から何かを取り出した。


 木の棒?いや、あれは絵本で見たことがある――杖!


 店主は片手で杖を一振りした。

 すると、本棚の森を抜けて、するするっと一冊の本が飛んできた。

 そしてカウンターの上に停まる。


 どういう原理なんだろう?


 アンジェリーナはうーんと背伸びをして、カウンター上に顔を覗かせた。


「まかいほうろうき?」

「『魔界放浪記』。この世界、魔界について知りたいのなら、これは欠かせないでしょう。旅日記だからある程度は雰囲気で読めるはずです。といっても初等学校の言語レベルは必要ですがね」


 しょ、初等学校レベル――。

 まだ私5歳なんだけど。


「買いますか?買いませんか?」


 いきなりの催促にアンジェリーナは顔を上げた。

 変わらず店主は見下ろしてくる。


 この人、一刻も早く私を追い出したいって雰囲気だ。


 アンジェリーナは再び本を見つめた。


 はっきり言って今すぐ読める気はしない。

 でもいつまたここに来れるかもわからない。

 それよりなによりすごくほしい。


「買います!」


 アンジェリーナは高らかに宣言した。


「お金」

「へ?」

「金は?お持ちなんですか」

「えーっと――」


 アンジェリーナは視線をそらした。

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