第18話 真夜中の逃走

「ポップ、ポップ」


 禁断の森の入り口。

 アンジェリーナは小声で中の住人を呼んでいた。


「ポップ」

「あ?何やってんのお前」


 出てきたポップはアンジェリーナの姿を見て目を丸くした。


「お前今何時だと思って――深夜だぞ」

「ちょ、とりあえず中に入れて」

「ああ、おう」


 アンジェリーナはいつもの泉の前に腰を落ち着かせた。

「何があったんだよ」


 ポップが上から尋ねた。


「家出してきた」

「はぁ!?」


 ポップは素っ頓狂な声をあげて後ろによろけた。

 一方のアンジェリーナはむすっと口を尖らせている。


「何をどうしたらそうなるんだよ」

「知らない。もういろいろと限界なの」

「大変だったんだろ?風のうわさで聞いたけど。軟禁状態だったらしいじゃねぇか。お前にしちゃ耐えたほうだとは思うが。まさか家出までしてくるとは」


 ポップははぁとため息をついた。


「何か明確なきっかけでも?あっ、イヴェリオと大喧嘩でもしたか?」

「今その名前、聞きたくない」

「はっ。ビンゴかよ。ついにあいつ愛想尽かされたのか」


 ポップの乾いた笑い声が響く。


「いやぁ傑作傑作。ってあれ?そういやお前、どうやって抜け出してきたんだ。窓に鍵かけられてたんじゃねぇの」


 するとアンジェリーナはつなぎのポケットに手を突っ込んで、針金のようなものを見せた。


「これで開けた」

「ピッキング!?――え、お前まじでどこで」

「『魔界放浪記』に書いてあった。D.Dが昔無断営業で捕まったとき、それで逃げたって」

「いや何やってんだよD.D。いやお前も何真似してんだよ」

「苦肉の策!というか本当、つなぎ3着買っといてよかった」


 アンジェリーナはぽんぽんとつなぎを叩いた。

 ポップがアンジェリーナの前にしゃがむ。


「どうするつもり?これから」

「街に行く」

「何のために?」

「調べもの。あの地下室の大剣について。今じゃ図書室も書庫も行きようがないし、お父様に聞くなんて出来っこないし。『魔界放浪記』もあったんだもん。もしかしたら何かわかるかもしれないでしょ」

「あぁなるほど。あそこな」

「うん。“アザリア古書店”」


 アンジェリーナはうーんと伸びをした。

 そして羽織っていたローブをくるくると丸め始める。


「ん?何やってんの」

「寝る」

「はぁ!?」


 ポップは再び変な声を上げた。


「寝る?この森のど真ん中で?ここ一応魔獣とかうじゃうじゃいる危険な森なんですけど?」

「いいじゃん。だって開店7時とかだし。行く場所無いんだから。ポップがそばにいれば安心でしょ」

「いや安心って。そういう問題じゃ――あ」


 見るとアンジェリーナはローブを枕にして、すぅすぅと寝息を立てていた。


「人が話し終わる前に――はぁ。姫さんがこんなところで野宿なんて、ほんとどうかと思いますけどね」


 ポップは、部屋のベッドにいるかのように安らかな顔で眠る、アンジェリーナを静かに見守っていた。


 ――――――――――


「これが真夜中の出来事」


 ポップはそう話を締めくくった。


 アンジェリーナ。やはり外に出ていたのか。

 だが行き先は分かった。


 イヴェリオは腕時計を確認した。


 今が7時半。

 開店めがけて出ていったとしても、店に着いたのが7時。

 まだ店に近くにいるかもしれない。


「助かった。礼を言う」


 ポップの顔を見ることなく、イヴェリオはそう低く呟いた。

 そして早足で森を去ろうとする。


「おっとちょっと待った」


 その背中にポップが呼び掛けた。


「何だ」


 イヴェリオは足を止めた。


 こっちは急いでいるんだ。

 早くアンジェリーナの居所を知らせないと――。


「お前、アンジェリーナに会ってどうするわけ?」

「は?」


 こいつ、何言ってるんだ。


「お叱りするわけ?」

「当然だろ」

「ま、そうだよな」


 ポップはふいっと目をそらした。


 一体何が言いたいんだ。


 イヴェリオに焦りと苛立ちが募る。


「言いたいことがあるなら早くしろ」

「いや別に。お前の教育方針に口出す趣味なんかねぇけどさ」

「だったらいいだろ。もうこれ以上お前の軽口には付き合っていられない。失礼させてもらう」

「あいつがキレた理由、知りたくねぇの?」


 数歩踏み出したところ、ポップの言葉にイヴェリオは足を止めた。

 そしてゆっくりと振り返る。


「何?」

「『は?』だっけ?ははっ。あいつも結構振り切ったよな。父親に、それも格式高い国王に『は?』って。ははは、初めて聞いたとき身も捩れるほど笑ったよ」


 そう言ってポップは、身が捩れんばかりに笑った。


「理由なんて聞かせてどうする」

「ん?だーって、喧嘩の理由も分からずにまた連れ戻したっておんなじことの繰り返しだろ。あいつの性格だ。どうせまた家出するに決まってる」

「ずいぶん親切なんだな」

「ふっその言い草。――ああ待て、やっぱいきなり教えんのもおもしろくねぇな。わかった。じゃあ聞いてみよう。果たして娘の気持ちをちゃんと理解できてんのかってな」


 するとポップは手をグーにして、マイクを向ける仕草をした。


「どうしてアンジェリーナはお前にキレたんでしょうか」


 イヴェリオはおどけた様子のポップを冷たく見つめた。


 はっきり言ってこんな茶番に付き合っている暇はない。

 だが同時に、こいつの言っていることも正しい。

 原因を知らなければまた今回の二の舞になることは間違いない。

 アンジェリーナから直接聞けない今、こいつから聞き出すほかないのだ。


 イヴェリオはゆっくりと口を開いた。


「お前、アンジェリーナからどのくらい聞いているんだ」

「あ?質問してんのはこっちなんだろうが。あーでもまぁ、一通りは聞いたかな。あいつずいぶんご立腹だったから。いつもより口回ってたぞ」

「ふん。どうせ、いつもの愚痴を吐いていたんだろう」

「あ?」


 イヴェリオは話を続けた。


「一週間。まだ持った方だとは思うが、大嫌いな所作や音楽の勉強が嫌になったんだろう。いわゆる“姫らしい”ことがな。あいつは昔からそうだ。王族としての自覚がない。昨日の喧嘩だって姫らしく振舞えと言った途端に――」

「ああだめだこりゃ」


 話の腰を折って、ポップが呟いた。


「は?」

「それじゃあお前、一生アンジェリーナと分かり合えねぇわ。もう終わってる」


 呆れたというふうに、ポップはふるふると首を振った。


 なんて腹の立つ態度なんだろうか。


「なんでお前にそんなこと言われなければならない。お前、アンジェリーナがどういうやつか知って――」

「す・く・な・く・と・も?お前よりは知ってるだろうな」


 ポップはイヴェリオの顔をじぃっと見つめた。


「お前の話すこと聞いてると、胸がむかむかしてくるよ。ったく。ほんっとうにアンジェリーナのこと、なにも見てねぇんだな」

「私はアンジェリーナの父親だ。お前よりもアンジェリーナを見ている」

「それはどうだ?そもそも、あいつの性格知ってたら、軟禁状態なんてさせねぇだろ。逆効果だ。勉強の件だって。お姫様らしくさせようっていうんだったら、もっとやり方を考えるべきだったな」


 イヴェリオは再びぐっと押し黙った。

 その様子に、ポップは乾いた声で笑う。


「ははっ図星かよ。まさに『裸の王様』だな。周りのことなど見てやしない。ああそっか。そうだよな。誰も教えてくれる人がいなかったか?王様、間違ってますよって」


 その言葉にイヴェリオはふと思い出した。


『一度ちゃんとお話しされた方が良いかと』


 あれはたしか、昨日許婚を決めたときに、ガブロに言われた言葉だ。

 あのときは全く耳に入っていなかったが、今になってみればガブロがあそこまで意見するのは珍しい。

 政治のことはともかく、家族の問題にまでむやみに首を突っ込むようなやつではない。

 あれは私がアンジェリーナに対して盲目になっていると気づいていたから。

 手遅れにならないように密かに教えてくれていたのか。


 すっかり静かになったイヴェリオにポップは飽きたのだろうか、笑いを引っ込めた。


「あぁもういいか。仕方ねぇ。能無しの父親に現実を見せてやるよ。――あ、そうだ。この話をしてやろう。きっと打ちひしがれるに決まってる」

「なんだ」


 イヴェリオは小さく声を出した。

 これ以上どうやってダメージを負わせようというのか。


「その本」


 ポップが指さしたのは、イヴェリオが抱えた『魔界放浪記』だった。


「その本を手に入れたとき、あいつすげぇはしゃいでたんだよ。そりゃそうだよな。今まで城の外に出たことないお姫様が、一気に外の世界のことを知ったんだから」


 そしてポップはもったいつけて、話し始めた。


「そのときあいつが俺に言ったこと。教えてやるよ」

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