第8話 罰

 その後、何が起こったのかよく覚えていない。

 イヴェリオに強制帰還させられて自室に押し込まれ、それから使用人に怒られながら体をごしごし洗われ、気が付いたらもう夜でベッドで寝ていた。

 あまりの慌ただしさにアンジェリーナは放心状態だった。


 アンジェリーナはそっと天井に向かって手を伸ばした。

 すると突然ズキッと手首に痛みが走った。


「いたっ、――ああそうか思い出してきた」


 アンジェリーナを確認すると、イヴェリオはすぐに腕をつかみ、そしてアンジェリーナの言うことに全く耳を貸さずに、強引に腕を引っ張った。

 イヴェリオはそのまま早足でアンジェリーナを強く引っ張り続けた。そのため、アンジェリーナはほぼ小走りの状態で為す術もなく、イヴェリオに連行されたのだった。


 痛いよって言ったのになぁ。


 あのときのイヴェリオはアンジェリーナが見たこともないくらい余裕のない表情をしていた。

 加えて、アンジェリーナを驚かせたのは、部屋に着いた後、イヴェリオが何も言わずに立ち去ってしまったことである。

 いつもならうるさいくらいに怒られてしまうのに、今日は目も合わせてくれなかった。


 本気で怒らせちゃったってことなのかな。

 明日どんな顔して会えばいいんだろう。


 アンジェリーナはゆっくりと目を閉じた。

 浮かび上がってくるのは今日見た光景。

 アンジェリーナの8年の人生の中で、今日は一番濃い一日となった。


 輝く大剣。

 結局あれは何なんだろう。

 お父様に引っ張られたときに離してしまって、そのまま置いてきちゃったけど。


 恐る恐る手を伸ばしたアンジェリーナ。

 だがその手が大剣に触れたとき、そいつはうんともすんとも言わなかった。

 ポップの例から、触ったら死ぬかもと思っていたため、アンジェリーナはずいぶん拍子抜けを食らった。

 しかし、その直後、それよりももっと驚くことが起こった。

 自分の背丈と同じくらいの大剣を、なんとアンジェリーナは何の力も入れずに引き抜いてしまったのだ。

 どう考えても重くて持てないはずなのに。

 まるで自分のために作られたかのように、大剣はアンジェリーナにフィットしたのである。


 あの剣のこと、もっと知りたい。もっと触れたい。


 アンジェリーナの中でその思いは沸々と沸き上がってきていた。

 しかし、アンジェリーナの頭の中はそのことでいっぱいにはなっていなかった。

 あんなに衝撃的な出会いの他に、何が気にかかっているというのか。

 アンジェリーナ自身も、自分が、どうしてそのことが気がかりなのかわからなかった。

 それでも脳裏に焼き付いて離れないのだ。


 イヴェリオが部屋に飛び込んできた後、剣を眺めていたアンジェリーナは視線を父親に移した。

 イヴェリオは、まるで怯えた子どものような表情をしていた。


 ――――――――――


 泉に煌々と光る赤い玉。

 その前に誰かが佇んでいる。


 誰?そこにいるのは?


 景色がぼやけ、視界全体が白んでいく――。


 ――――――――――


 翌日、アンジェリーナはピアノの稽古場にいた。

 隣では家庭教師が熱心な指導をしている。


 ああ最悪だ


 遡ること朝、アンジェリーナは食堂に呼び出された。

 長いテーブル越しにイヴぇリオと対峙する。

 その顔を、アンジェリーナは直視できなかった。


 昨日のあの怒りよう、部屋に監禁だけじゃ絶対済まない。

 一体どんな罰が――。


「ひとまず、今日から勉強・稽古を再開する」

「え?」


 イヴェリオの口から出てきた言葉は予想外なものだった。

 アンジェリーナはぱっと顔を上げてイヴェリオを見た。

 どれだけ怒っているかと思ったが、イヴェリオの顔はいつもと同じしかめ面だった。

 ただ少し静かすぎるような気もするが。


「それじゃあ、部屋の外に出てもいいってこと?」

「ああ」


 なんと。これじゃあ拍子抜けだ。

 でもこれで終わるはずがない。


 案の定、イヴェリオは話を続けた。


「ただし、勉強部屋と稽古場、それと食堂、それ以外の場所への出入りを一切禁じる。監視も付ける。ちゃんとした兵士をな。あと部屋の窓にも鍵をかけておく。念のためな」


 うっ。やっぱりそうなるよね。

 しかも今度は兵士付きって。

 それに窓に鍵かぁ。今朝見たらあの木も切られてたんだよな。

 徹底してる。


 しかし、アンジェリーナにとって一番の罰はその後にやって来た。


「加えて、所作、音楽以外の勉強を禁じる」

「え、えーー!?」


 イヴェリオが告げたそれは、アンジェリーナにとって人生終了のお知らせにも近いことだった。


 所作、音楽以外の勉強を禁じる!?

 ありえない。っていうことは、読み書きも数学も歴史の授業も受けられないってこと?


 アンジェリーナはすぐさま反論した。


「それはいくらなんでもおかしいです!」

「別におかしいことはないだろ。今までが例外だっただけだ。世間一般では、勉強できない子どもだって大勢いる。それにお前の学習能力はすでに初等学校レベルを超えている。これ以上必要ないだろ」

「必要ないって――」


 あんまりだ!


 アンジェリーナはそこでふぅっと一回呼吸を整えた。


 だめだ。ここでカっとなればどんどん悪い方向にいく気がする。


 アンジェリーナは静かに口を開いた。


「それは、“姫”としてこれ以上の学は必要ない、ということですか」

「ああそうだ」


 イヴェリオは冷たくそう告げた。


 またそれか。


 アンジェリーナはしばらくじっとイヴェリオを見つめていたが、わかりましたと一言発した。


 そんなこんなで様々な制約を受け、アンジェリーナはピアノの稽古を受けていたのである。

 教科が絞られたせいで、その分、所作・音楽に充てられる授業時間が増え、まだ一日目というのに、アンジェリーナの心は疲弊していた。


 あーやばい。

 こんなの絶対、続けられない。

 絶対、続けられない!


 家庭教師の怒号が響く中で、アンジェリーナはひたすらそう思っていたのだった。

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