第5話 脱走

「こちらでございます」


 イヴェリオは家庭教師から数枚の紙を受け取った。

 今日は王宮の仕事もあまりなく、数少ない休日。

 イヴェリオは居住棟の自分の執務室にいた。


「姫様は何というか極端というか。姫たるもの、所作や音楽など淑女として最低限のマナーを学んでほしいのですが。どうもやる気がない。一方で、このような結果も」


 イヴェリオは先程受け取った紙に視線を落とした。

 どうやらアンジェリーナのテストの結果らしい。

 どの紙にも赤い丸しか見当たらない。


「姫様の勉強熱心には頭が下がります。そのテストはかなり難しめに作ったつもりだったのですが。もはや初等学校レベルを上回っております。姫様はまだ8歳。これ以上どのように教えていいものか。そもそも女にそれ以上の学は必要なのかとも思うのですが」


 イヴェリオは家庭教師の小言に一切反応することなく、答案用紙を見つめていた。


 読み書きに数学に歴史。確かにどれも初等学校のレベルではないな。

 前見たときよりも文章力も上がっている。

 どうりで最近反論の言葉が豊かになってきたはずだ。


 イヴェリオは今度は家庭教師の方を見た。


 この家庭教師、アンジェリーナが物心ついてからずっとつけてきたが、そろそろ潮時か。

 初等学校レベルならば十分教えられるだけの実力は持っているはずだが――。


「それに姫様、最近では経済や外交についてももっと学びたいなんておっしゃって。それこそ女の学ぶ領域を逸脱しております。それよりももっとおしとやかで穏やかな品格を身に付けてもらわなければ」


 ふっ。あいつにおしとやかな品格ね。


 そのときだった。

 バタバタバタと大きな足音を立てて使用人が部屋に飛び込んできた。


「こ、国王様、大変でございます!ひ、姫様が――」


 嫌な予感しかない。


 イヴェリオはそっと目を閉じた。


 ――――――――――


「ようやく到着、長かったー」


 アンジェリーナは部屋を飛び出し、城の敷地のはずれ、暗い森の前にいた。

 出発前よりつなぎはさらに汚れ、ところどころ破れかかっている。


「それじゃあまあ、行きますか」


 アンジェリーナは臆することなく、森に分け入って行った。


 禁断の森。正式な名前はわからないが、たいてい皆はそう呼んでいる。

 字でわかる通り、危険な森である。

 一応城の敷地内にはあるが、居住棟からはかなり離れた位置にあり、人が来ることは滅多にない。

 森の中には魔獣が住むともいわれ、一度入れば二度と出られない、なんて文句がよく使われる。


 そんな森の中をアンジェリーナはずんずん進み続けた。

 森は外から見るよりもずっと暗く、辺りにはコケが生い茂り、ツタが木から垂れている。

 キーッキーっと得体のしれない声が鳴り響き、冷たい風が肌を触る。


 そうこうしているうちに、アンジェリーナは目的の場所に到達した。

 ここは森のちょうど中央。

 初めて森に来たのでは決して辿り着くことができないだろう。

 アンジェリーナの目の前には小さな泉があった。

 真ん中に背の低い石の柱のようなものがある。

 そしてその上には煌々と輝く深紅の玉があった。


「何が『神の宝玉』だ?こんなもの。そんなにいいもんじゃないでしょ」

「誰が“いいもんじゃない”って?」


 背後からの声にアンジェリーナは振り返った。

 そこにはすらっとした背の高い、若い男が立っていた。


「よぉ、アンジェリーナ。姫さんがそんな格好してちゃモテねぇぞ」


 男は口元をニヤつかせた。

 アンジェリーナは男を睨みつけた。


「相変わらず減らず口ね。“ポップ”」

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