第3話

「だって、俺は平民のΩだもん。行けるはずないよ」

 エンティーは苦笑しつつ言った。


 貴族のΩであれば、多少の自由は聞いて見学位はさせて貰えるだろう。

 平民のΩが神殿へ召し上げられて理由はただ一つ。貴族のΩが、αを産めなかった場合の保険。健康な子宮を保たせ、万が一の為に確保しているのだ。

 健康であれば良い。それ以外は、平民のΩに求められていない。最低限の知識だけ与え、必要になるまで労働力として使い、美しい白銀の世界の影へ縛り付ける。


「……僕が、一緒に行こうか?」


 シャングアの提案にエンティーは掃除の手を止め、首を振る。


「君に迷惑をかけたくない。ここに居るのだって、相当怒られるでしょ?」


 エンティーにとって、こうやって友達の様に話をするだけで充分嬉しい事だった。


「怒らせておけば良い。労働には対価が必要だ。キミには、対価が支払われていなさ過ぎる」

「いいよ。薬貰えるし、食べ物にも困らないから」


 Ωの発情を抑える薬。神殿に召し上げられた平民のΩは、試薬の効果をを試す実験体でもある。時には副作用の強い薬もあるが、無料で貰え、発情を抑えられるのであれば、その一時的な苦痛にも耐えられるとエンティーは思っている。


「僕は、それだけでは対価だとは思えない」

「でも外だったら、俺は今みたいに生きていけないよ」


「濡れたままの髪のせいで体が冷え、それが原因で病気になるかもしれないのに?」


 シャングアはそう言って、エンティーの髪に右手を伸ばす。触れるか触れないかの距離まで近づいた時、淡い光が右手から現れる。

 その瞬間、エンディーの濡れた髪からふわりと蒸気が上がり、あっという間に乾いてしまう。

 αとβが使える〈奇蹟〉だ。


「……ありがとう」

「どういたしまして。誰もその事、言ってくれないの?」


 リュクが言ってくれた、とエンティーは口にしかけた。しかし、それはシャングアの求める答えではないと知っている為、声に出せなかった。

 彼の問いは、リュク以外の人が言ってくれたかどうかだ。

 此処まで来る道中、何人かβとすれ違ったが、誰もこちらを見ない様にしていた。

 リュクを含めた同年代のβ達とは仲が良い。彼らは、平民のΩがどのような仕打ちを受けているか間近で見てきた為、境遇に同情し、友好的だ。だが、年上や貴族のβとΩが問題である。

 年上と貴族のβから見れば、貴族Ωの保険であり、仕事も発情期になれば出来ないどころか、こちらにも悪影響を及ぼすお荷物。貴族Ωから見れば、自分たちの保険とはいえαに見初められる可能性がある為、邪魔ものだ。

 閉鎖的な世界で生き残るには、誰かを標的にし、自分の地位を少しでも高く安定させる必要がある。全ての原因を押し付け、虐げ、差別し、鬱憤のはけ口には、問題ばかり抱えたΩが格好の的。その環境を良いと思っていない者も少なからずいるが、力を持つのは古い考えに固着する者ばかり。異を唱えれば、冷遇される。自分の身を守るため、Ωであるエンティーを人として扱う者は、彼と同年代と子供達だけだ。

 その中でも、リュクは優秀であり、将来が有望であるため一部のα達からも期待が寄せられている。平民のβにとって希望の星だ。

 だから最近はリュクに汚名がつかない様に、エンティーは物事を穏便にすませたいとさらに耐え続けている。


「急いでいたから、言われても気付かなかった」

「服が破れているのは?」

「掃除を早く終わらせたいから、そのまま来ちゃった」


 抜け目のないシャングアに対し、笑顔を作ってエンティーは答える。

 シャングアが何か言えば、皆がそれに従うだろう。けれど、その後何が起きるか分からず、エンティーは怖かった。シャングアは友として、好意的にそれを行ってくれるとしても、周りはそうは思わない。αとΩであり、皇族と平民だから。

 Ωであるエンティーは色目を使って、シャングアに迫った。自分の境遇を話し、同情したシャングアを利用した。

 何を噂され、どんな嫌がらせを受けるか。シャングアにすら、自分のせいで被害が及んでしまうかもしれない。

親切にしてくれるシャングアに、これ以上迷惑をかけたくない。


「掃除が終わったら、すぐに部屋に戻って直すから大丈夫!」


 あまり表情の変わらないシャングアの本を持つ手に少しだけ力が籠る。


「……わかった。でも、何かあったらいつでも言って。僕は、キミの力になりたい」

「ありがとう! 俺は大丈夫だから!」


 エンティーは精一杯笑顔を作って、シャングアに言う。


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