1-3 離別

 吹き乱れるソメイヨシノの根元で目を覚ます。


 全身は心地よい春の温もりに包まれていて、清々しいほどの桜吹雪の隙間から、うららかな陽光が射していた。右の頰の柔らかい感触で、そういえばシオンに膝枕を頼んでいたこと、のどかな陽気に当てられて、すっかり眠りに落ちてしまっていたことを思い出す。


「ユウキ、やっと起きたんだ」


 ……ああ、シオン。ごめんね。ずいぶんと長く眠り込んでしまったみたいだ。少しだけ、食後の休憩に横になりたかっただけで、本格的に眠るつもりはなかったのに。


「いいわよ、別に」


 みんなはどこにいったんだい? もう帰っちゃったのかな。さっきは母さんが作ってくれた弁当の中に団子がなくて、ついつい文句を言ってしまったけれど、申し訳ないことをした。だってさ、花より団子というだろう? 僕は団子を食べながらする花見に憧れていたから、つまらない我が儘を言ってしまったんだ。美味しいお弁当だったのに、第一声が不満になってしまって、一生懸命用意してくれた母さんはがっかりしただろうか。ちゃんと謝らなくちゃ。


 父さんは相変わらず無言でおにぎりを頬張っていたけれど、上を見上げてボソッと一言、綺麗だな、って呟いていたよ。普段そういったことをあまり口に出す人じゃないから、なんだかちょっと感動したんだ。あまりにも小さい声だったから、僕以外には聞こえていなかったかもしれないけどね。


 ……あれからどれくらい時間がたったんだろう? みんなは僕たちを置いて帰ってしまったのかな。でもまだ太陽は照っているみたいだ。ひょっとすると、眠り過ぎてしまったというのは僕の勘違いで、本当は数分しかたっていないのかもしれない。


「うふふ、どうかしら」


 ねえ、シオン。そうやって笑ってないで教えてくれ。もちろん、君には感謝しているよ。膝枕をしてくれて、こうやって起きるのを待ってくれてありがとう。満喫させてもらったよ。それで、この手を退けてくれないと、そうやって頭を押さえられていると、ちっとも起き上がれないんだけど。


「もう少し、このままでいようよ」


 まあ、別にいいけどさ。それよりみんなはどこへ行ったのかな。


「向こうでバドミントンをしているわ」


 そう言われて耳を澄ましてみる。確かに花見客の喧騒の中で、妹のはしゃぐ声と、シャトルが風を切る音が聞こえた気がした。


 そうか。それなら良いんだ。寝起きの頭のせいか、なんだか無性に寂しくて。


「こうやって膝枕してあげているのに、ユウキは贅沢ね」


 言って、シオンは僕の頭を優しく撫でる。まったくだ。シオンがこんなに近くにいるというのに、僕はいったい何を不安がっているのだろう? この温もりがあるのなら、怖がることなんて何もないはずなのに。


「ねえ、みて。木の根元から、小さな葉っぱが生えているわ。桜の木の子供かしら」


 シオンが指さす方向に視線を向ける。


 ああ本当だ。何か生えてるね。でも、これは桜の子供じゃないな。君は知らないかもしれないけれど、ソメイヨシノっていうのはクローン植物なんだ。人の手を介さないと繁殖できなくて、自然に増えることができない。だから子供はいないよ。この葉っぱはね、いわゆるヒコバエだな。何か別の植物だよ。でも桜の栄養分を奪ってしまうから、成長する前に切らないとだめかもしれない。


「ふうん、かわいそうね」


 まあね。あれ? いや、おいおい、待ってくれシオン。なんで君がそんなことに気づくんだ? まるで、桜の木が実際に見えているみたいに……。


「どうしたの? こないだ学校の視力検査で、私に負けたのがそんなに悔しい?」


 いや、何を言っているのかわからない。君は盲学校で、僕と一緒の学校に通ったことはない。君は生まれつきの盲だった。僕にはどうすることもできなかったんだ。


「あなたこそ、何を言っているのかわからないわ。ねえ、そんなに汗をかいて、青白い顔をして本当にどうしたの。狐につままれたような顔をしているわ。きっと悪い夢を見たのね、かわいそうに。でももう大丈夫よ。何があったってね、ユウキは私が守ってあげるから」


 いや、でも……。本当に、そうなのかな。すべてが君の言う通りなのかな。


「ええ、何も間違っていないもの」


……そうか。もしかしたらそうかもしれない……。いや、きっとそうだ。うん。僕の勘違いだったよ。だって、本当に怖い夢を見たんだ。その夢の中で、君や家族が死んで僕はひとりぼっちになってしまうんだ。目が覚めて、本当に夢でよかったと、現実でなくてよかったと思えた。でも正直言うと、あまりに現実感のある夢だったから、まだ漠然とした不安があってね。それで、少し混乱してしまったみたいだ。


「大丈夫、よくあることよ」


 なあシオン、妹たちに、バドミントンなんかやめて今すぐ僕のそばに来てくれって、伝えてきてくれないか? こんなことを言うと子供じみていると君は笑うかもしれないけれど、今すぐ父さんと母さんの顔を見て、妹と他愛のない話をしないと落ち着かない。顔を合わせて会話をすれば、この不安な気持ちなんて、一瞬で吹き飛ぶと思うから。


「残念だけれど、それはできないわ」


 おいおい、ひどいな。そんなことを言うなんて。まったく、いったいどうしてそんな、残酷なことを言うのだろう? 今まで散々、君に優しくしてやっただろう? 少しは恩に感じてくれないのかな。これまで色々なことを助けてやったのだから、少しくらい、僕のわがままも聞いてくれよ。僕を助けてくれよ。お願いだ。


 必死にそう訴えるが、シオンは無表情で押し黙ったまま動かない。


 ……ところでね、さっきから少し気になっていることがあるのだが。言うべきかどうか、内心ずっと迷っていた。だけど、やはり気になって仕方がないから言うことにする。


なあ、君、少し臭うよ。


なんというか、死臭がする。


「インターホンが鳴っているわ」


 はい。


「警察です。異臭がすると近所の方から通報があったのですが、中を見せていただけますか?」


 少し待ってください。今、必死に雑巾掛けをしていたところなんです。だって、妹は玄関を入ってすぐの場所だったので。躓かないように浴槽に移動させて、雑巾掛けして、でも全然落ちなくて、おっしゃる通り臭いもひどくて、それで、えっと。


 とりとめのない言葉が脳内に浮かんできて、思わずそのまま口にしそうになる。大丈夫、落ち着いて対処すればいい。なにせ、第三者の訪問など、最初から想定済みなのである。


「はい、少々お待ちください」


 玄関の扉を開けると、雪景色だった。肌を刺す寒気に身を震わせる。門の前には3人の警察官が立っていた。


 先頭に立っているのはなんと、少し前に市役所で会った、細身で頰が痩せこけた年配の警察官である。まったく偶然というのは面白い。気さくに話しかけてきたあの時とは違って、今は恐ろしい形相でこちらを睨んでいる。後ろの二人とは面識がないが、どちらも運動神経は良さそうで、警察服の奥にあってもそのガタイの良さは伝わってくる。単純な力比べでは、日頃から運動不足気味の僕には万が一にも勝ち目はないだろう。


「言っておきますが、怪しいものは何もありません。不摂生な生活を送っていたせいで、生ゴミを腐らせてしまっただけです。ご近所の方には後で僕から謝っておきます。今後こういうことがないようにしますので、今日のところはお引き取り願えますか?」


 白い息を吐きながら、そう説得を試みる。


 すると、後方の二人の警察官の形相がみるみる青ざめていくのがわかった。年配警察官の表情も、より険しいものになる。


 用意していたセリフが型にはまりすぎていていただろうか? この時のためにあらかじめ考えて、何度も練習していたが、かえって逆効果だったかもしれない。


 僕は、疑われるのは心外だと両手を開いておどけてみせる。すると、地面に何か布切れのようなものが落ちた。見ると、それは赤黒い血糊のついた雑巾だった。


 改めて自分の格好を見てみると、上半身は裸で、返り血をたくさん浴びている。まったくおかしな格好で出てきてしまったものだ。これでは誰がどう見ても殺人鬼で、残虐行為に耽っていた最中と疑われても仕方がない。青ざめる警察官の反応に妙に納得がいって、自分の頭が痺れるように冷静になっていくのを感じた。


 反射的に体が跳ねる。踵を返して玄関の中に駆け込み、鍵をかける。脂で滑って何度もチェーンを取りこぼしたが、なんとか両手で押し込む。すぐに野太い怒鳴り声とともに、外側から激しく扉を叩かれるが、もう遅い。まだ僕にはやるべきことがあるのだ。大きなミスを犯してしまったが、シオンを安全な場所に逃がさなくてはならないのだから、こんなところで捕まるわけにはいかない。


その時、向かって左の部屋、シオンの居室から、ひょっこりと顔を出すシオンと目があった。出てくるなと言っただろう、と慌てて怒鳴る僕に、

「だって、美味しそうな匂いがするの」などと、呆けた調子でのたまいやがる。まったく、今僕らは絶体絶命のピンチにいるということがわかっているのだろうか? 心底腹が立ったので、強引に部屋へ押し戻してやろうと、右足を前に出したところで突然地面が反転し、額に激痛。


 間抜けなことに、玄関の段差につまずいたのだ。ぐう、と苦痛のうめき声を漏らす僕。しかしシオンは見向きもせずに僕の上をまたぎ、よりにもよってせっかく鍵をかけた玄関の扉を内側から開けようとするのである。おい馬鹿やめろ。慌てた僕は転がったままの体勢でシオンの足を払う。バランスを失ったシオンは後頭部からこちらへ倒れこんできて、その落下地点には見事に僕のみぞおちがあった。途端、内臓が弾け飛びそうなほどの痛みとともに、肺の中身が押しやられて、意識が遠のきかかる。


 ぼんやりと宙をさまよう僕の意識。視界はグニャリと歪んでいる。ふと、このまま時間を止めることができたら楽だろうなと思った。すぐそばでシオンの確かな存在を感じながら永遠の時間を過ごしたい。ずっと幸せな夢を見ていたい。僕たち二人を置いて地球は回る。時の止まった世界で、僕たちは互いに傷を舐め合いながら、心地よいぬるま湯に浸り続ける。


 好きよ、ユウキ。


 ああ、僕もだ。


 そんな夢想は、しかし、突然窓ガラスが割れる音と、乱雑で慌ただしい複数の足音によって乱暴にかき消された。


 首元に絡まったシオンの銀色の髪をほどきながら慌てて体を起こす。向かって右手、リビングの方から悲鳴のような声がした。あそこにある父さんと母さんの死体にはまだ手をつけていなかったが、こうなってしまえば仕方がない。


 不幸中の幸いは、押入られたのがシオンの部屋でなかったことだ。なにせ、シオンの部屋は、目の見えないシオンが必死の思いで手に入れた楽園である。今は少し散らかっているが、普段は何もかもが丁寧に整頓されていて、僕もそれを手伝った。シオンがまるで見えているかのように部屋のものを扱えるのは、頭の中ですべてを想像できているからで、その情景こそが、僕とシオンが唯一この世界で共有していると胸を張って言えるものだった。だから赤の他人が、警察官どもが、何も知らずに土足で踏みにじっていい場所ではないのである。


 リビングに男どもの慌ただしい怒号が響く。すぐに何かが壊れる音と、短い悲鳴。鋭い破裂音がして、それがピストルの発砲音であると認識するのに時間がかかった。家全体を揺らす激しい振動が数回。幾ばくかの後、奇妙なほどの静寂だけが残される。


 何が起きたのかはわからなかったが、胸元に寒々しさを感じて肩を抱いた。そこでようやく気づく。シオンがいないのだ。先ほどまで折り重なるようにして倒れていたシオンが、どこにもいないのである。全然気がつかなかった。だって、なんだかずっと頭の中には薄暗いモヤがかかっていてうまく物を考えることができないし、時間の感覚もひどくあやふやだったから。


 とにかくなんだかやけに寒かった。死んでしまったシオンはすでに温もりを失ってはいるけれど、今は側にいてほしかった。ひとりぼっちはもうごめんだった。その美しい赤い瞳で、ずっと僕のことを見ていてほしい。せっかく僕のことを思い出してくれたのだから。この状況さえ乗り切れば、今度はすべてが上手くまわってゆくはずなのだから。


 精一杯の力を込めて立ち上がる。壁に手をついてふらつく体を支えながら、なんとかリビングまでたどり着いた。太陽が沈みかけていて、室内は薄暗いオレンジに染まっている。割れた窓から冷気が吹き込み、吐く息は白い霧になって消えてゆく。僅かに差し込んだ光が、床に散乱したガラスの欠片をキラキラと輝かせていた。綺麗な宝石箱の中にいるようだと思った。


 すぐに頭部のなくなった警察官の死体につまずいた。構わずに、そのまま歩みを進める。食卓の横の壁に、文字通り壁に埋まり関節が不気味な方向に曲がった人型のシルエットがあるが、気にしない。ちょうど部屋の真ん中に佇む、その愛らしい後ろ姿に声をかけた。


「シオン」


 赤黒いマダラの入ったスウェットは、お世辞にもセンスがいいとは言えないが、濡れた布地が吸い付き、普段あまりお目にかかることのできないシオンの女性的な輪郭を強調してくれている。欲を言えば、少し華奢すぎるのが難点だ。ずっと櫛を入れていないボサボサの髪の毛も不摂生な印象を与えた。だけどそれはそれでシオンらしくて、僕にはより魅力的に思える。


 君は完璧なようでいて、どこもかしこも抜けているからな。口にすると怒りそうで、今まで直接言ったことはなかったけれど。今回の件でよりはっきりした。君は、容姿も性格も完璧なくせに、本当の家族がいなくて、目が見えなくて、不幸な事件ばかりに遭遇して、それでも何倍も人より努力を重ねたのに、あっけなく死んで、死んだ後までこんな酷い目に遭っている。


 シオンの足元には、両腕を失った年配の警察官が跪いていた。呆然とした様子で、焦点は結ばれていない。近づいて確認すると、男はすでに息を引き取っており、奇跡的なバランスで胴体が直立している状態だった。面白いこともあるものだ。


「なあ、シオン」

「なぁに?」


 血染めの少女は緩慢な動作でこちらを向き、首をかしげる。暗くてよく見えなかったが、シオンは右手に肉塊を持っていた。それは、切断された腕のように思えた。


「僕のことがわかるかな」

「ユウキ」

「そうだ。それじゃあ、早く逃げよう。ここにはもういられない」


 いつの間にかサイレンの音が近づいていた。ぼやけた頭のせいでずいぶんと気づくのが遅くなってしまったが、きっと警官隊だろう。もう手遅れなのかもしれない。だが、とにかくこれ以上この場所に留まることはできなかった。行くあてはないが、二人で一緒にいればどうにかなるに違いない。少なくとも、今の僕に必要なのはシオンだけだ。


「まだ、お腹が空いているの」

「知ってるよ。見ればわかる。君の食事は、その腕かい?」

「腕……?」


 シオンは右手に持った肉塊を凝視する。そしてその体勢のまま、ピクりとも動かなくなった。


 何かを必死に考え込んでいるようだ。


 その姿に何か鬼気迫るものを感じたので、僕は固唾を飲んで様子を見守った。サイレンの音が家の前で止まり、複数の車のブレーキの音がする。連続した扉の開閉音と、騒がしい野次馬の声。比例するように、シオンの表情の真剣度は増していく。


「……どうやら時間切れみたいだ」


 シオンはまだ何かを考え続けているようだったが、その答えを待つ余裕はなかった。


「まだチャンスはある。覚えているかな、春先にした約束だ。もしも君が吸血鬼になったら、僕を眷属にして、太陽の元に出て二人で灰になるって、そう約束したろう。その行動を見るにね、君はもう吸血鬼と呼んでも差支えない存在だ。心臓は止まっているのに動けているし、燃えるような赤い瞳に、馬鹿みたいな腕力。ただ、僕が君の眷属になるというのは無理そうだな。だって、君に血を吸われた人間は皆すっかり死んでしまっている。世の中なかなか上手くはいかないね。仕方がないから、僕はこの警官が持っているピストルで逝くよ。君がそれで良いのなら、一緒に外へ出よう。まだ、ギリギリ太陽が昇っているんだ。物語の吸血鬼のように、君が太陽光で灰になれるかどうかは、行き当たりばったりではあるけれど。うまくいけば一緒に穏やかな最期を迎えられる。どうだい? かけてみる価値は十分にあるはずだ。二人で灰になって永遠の存在になるというような、生前の君が望んでいたロマンチックな最期ではないかもしれないけれど、落とし所としては十分だと思うよ。僕は、それで構わない」

「ねぇ、ユウキ」


 沈黙を破ったシオンが、震える声で、絞り出すようにギュッと呟いた。


「私は……、みんなを、殺したのかな」


 ああ、神様!


 なんでこんな残酷な運命を、シオンにばかり押し付けるのだろう? 味方は僕しかいないんだ。僕はそれでいいとしても、シオンの身になってみればあんまりだという他ない。


 どうして世の中はシオンにこんなにも冷たいのか。彼女がいったい何をしたっていうんだ? なんにも悪いことはしていない。ただ幸せになろうとしただけだ。ずっと、僕なんかよりもよほど懸命に生きてきた。死してなお健気に、運命に抗った結果がこのザマか。


 きっと君は、ずっとそうなのだろう。きっと、道端に咲く可憐な花にすらも一生貶め続けられる。行く先々すべてが呪われている。でもそれが君の人生なんだ。受け入れるしかない。


「選ぶのは君だ、シオン。君の人生は君のものだから。ほら、見てくれ。窓の外に盾を持った警官が見える。銃口がこちらを向いていて、僕たちが妙な動きをしないか監視しているようだ。きっとそのうちここに突入してくるだろう。だからもし君が平穏無事な日常を手に入れたいというのなら、今すぐここから逃げるといい。それくらいの時間は、僕にだって十分稼ぐことができる。そうして誰か信頼できる人を見つけて、匿ってもらうんだ。だけどね、シオン。もしも君が、僕を選んでくれるなら。昔した約束の通りに、僕と一緒に最期を迎えてもいいと言うのなら。きっと僕たちは今度こそ幸せになれる。きっと数多の不幸な運命から、完全に逃れることができる。今ここで、何もかもを投げ出して、すべてを忘れてしまうんだ。それは決して不幸な最期なんかじゃないから」


 シオンはまだ小さな肩を震わせて、ひどく怯えていた。


 だから僕は膝をつき、少し勿体ぶった動作で、シオンの左手の甲に軽くキスをする。不甲斐ない騎士ではあるが、僕だけは君の味方であり続けるという、誓いのキスだ。その燃えるような瞳からこぼれた涙は、僕の命を煌びやかに輝かせる。死への恐怖を拭い去り、最期に満面の笑みをシオンへと向ける勇気をくれる。


「シオン、君を愛している。どちらにしたってここでお別れだけれど、今まで君と過ごした人生は本当に楽しかった。どうか、君の選択を教えてくれ」


 その口から、確かな答えを聞きたかった。


「ユウキ、私は――」


 途端、何かを言いかけたシオンの頭が爆ぜた。顎より下を残して脳漿が四方へ飛散する。頭部を失った無様な胴体がその場に倒れこむ。刹那の出来事で、何が起きたのかわからない。いつのまにか周囲には聞くに耐えない金切り声が響き渡っていて、少ししてからそれが自分の口から発せられているものであることに気づいた。


 連続して窓の外から銃声が轟く。金属音とともに、部屋に何かが投げ込まれた。目が焼け、鼓膜が何の音も拾わなくなる。だが、どうだっていい。


 胸に加わった強烈な衝撃に、吹き飛ばされるような錯覚を覚え、たまらず地面に崩れ落ちる。被弾した胸の辺りから大量の血が抜けていく感覚。肺が破れて、いくら息を吸っても、うまく酸素を取り組むことはできない。


 だが、どうだっていい。


 願わくば、僕もシオンも、二度とこの世界に生を受けることがありませんように。


 薄れゆく意識の中で、ただ、それだけを願った。


            *    *    *


「いやあ、実に結構」


 ボヤけた世界の中に、黒い外套を羽織った銀髪の男が佇んでいる。数秒か、数分か、意識を失っていたらしい。正確な経過時間はわからなかった。聴覚が歪んで周囲の音を拾わない。その中で、男の低くしゃがれた声だけが、不自然なほど鮮明に頭の中に響いた。


「実に面白い見世物だった。正直、ここまでのものは期待していなかった。ユウキくん、と言ったかな。君は合格だ。といっても、まだもう少し試験を受けてもらわなければならないが」


 男が何を言っているのかわからない。だが、どうでもよかった。なぜ自分はのうのうと目を覚ましてしまったのだろう。そのことだけに絶望した。これ以上、一秒だって生きていたくはなかった。はやく死んでしまいたい。死んでしまいたい。死んでしまいたい。


「……死んでしまいたい」

「なるほど、それが君の願いか」


 歪んだ世界の中で、男がリボルバー式拳銃を懐から取り出し、銃口をこちらへ向けた。男は何の冗談か、紳士のようなシルクハットを身につけている。シオンと同じ、赤く輝く二つの瞳が、興味深そうにこちらを覗いていた。


「せめて安らかに眠りたまえ。きっと良い夢が見られるだろう」


 男はゆっくりと撃鉄を起こして、引き金を引く。


「こっちの口径は小さいから安心してくれよ」


 そういえば、と、最後に残されたわずかな時間で思案した。黒い外套、シルクハット、銀色の髪に赤目。よく似た風貌の男を、僕は知っていた。シオンに散々読み聞かせた様々な物語の主人公。永遠の命を手に入れた吸血鬼。バーボン・ド・ブロイ。

しかし、それ以上を思い出そうとしたところで、男が放った銃弾が脳を貫いた。

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