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 状況が飲み込めないでいる早苗を田所に任せ、時田先輩と私は学食を出て、校舎のグランド近くにあるベンチに腰を下ろした。

 午前から午後へと日差しが変化した空の下。

 高校の時、話をしたくても叶わなかった憧れの人。そんな時田先輩に思いを伝えたくて、勉強そっちのけで思いの丈をラブレターに綴り、先輩の部活最終日の時、部室を後にする先輩に声をかけ、緊張しながらラブレターを手渡した。やっと2人っきりになれたというのに、当時の私は気分が高揚していて赤面した顔を見られたくなくて先輩の顔を見ることが出来ず、特に会話もしないままその場から逃げる様に走り去ってしまった。

 以来、卒業式でも声をかけることは無く、沢山の生徒に囲まれて校舎を後にする時田先輩の背中を遠くから見送っていた。 後悔は無かった。

当時の私には、先輩への思いを手紙という形にしたため、それを直接手渡すことが出来た…それだけで十分だったから。

そんな遠い日の貴重な経験から数年経ち、こうして時田先輩と再会出来るなんて。


「ところで、先輩はどうしてここに?」

「…サッカー部の田所君に会いに来たんだ」

「?…田所と知り合いなんですか?」

「…知り合い…というか、かつてサッカーの試合での対戦相手だったんだ」


 田所とはやっぱりサッカー繋がりだった。

 私は改めて横に座る時田先輩を盗み見た。

 高校時代、見慣れていた色黒の肌はそのままだが、スーツをしっかり着こなし、髪型も整えられいるその姿は、大人の色気と落ち着きは感じるが、サッカーボールを追いかけプレイする気配は感じられない。


「あ、あのぉ…失礼なことを訊いてもいいですか?」

「何?」

「……時田先輩は、サッカー選手の道に進まなかったんですか?」


 言い終わって、まずいことを訊いてしまったと後悔した。


「何でそう思うの?」

「…すみません!先輩の服装とか見ていて、サッカーをやっている雰囲気が無かったので…」


 正直にも程がある。と自分自身に呆れ、先輩の顔が見れない。


「確かにそうだろうな」


 怒ると思いきや、予想に反して先輩の声は落ち着いていて、あっさりしていた。


「小学校の時からずっとサッカー漬けの毎日だったし、周りも俺も将来はサッカー選手になるって疑わなかったし。絶対なれるって思っていた。

でも大学に入って初めての大事な試合で膝に大怪我をしてね。リハビリにリハビリを重ねて何とか回復出来たけど、ずっと無茶をしてきのもあって、その後も中々思うようなプレイが出来なくて、何度も怪我をして…気が付けばレギュラー落ち。推薦で決まっていた就職先も選手枠では無く、一般入社枠に変更になっちゃったて。元々サッカー以外では合わない企業だったから、そことは就職取消をお願いして…まぁ、簡単な話、サッカー選手としての道の変更を余儀無くされたって訳」


 先輩の言葉に私はしまった!と思い、激しい後悔に苛まれた。


「ご、ごめんなさい!!失礼なことを訊いてしまって!!」

「謝らなくていいよ。むしろ、今はかつての怪我に感謝してるくらいなんだ」

「感謝?」


 先輩の意外な言葉に私はきょとんとしてしまった。


「怪我で入院した当初は焦りから、必死にリハビリに励んだ。俺にとってサッカーが全てだったし、俺からサッカーを取り上げたら何も残らないと思ってたから。

でも、怪我で離脱して戻っても、サッカー部は何事も無かった様に練習して、むしろ俺が居ない方がプレイが際立っているように見えてね。何か色々な事に失望して、一時期自暴自棄になったこともあったよ」


 知らなかった。

 私の中での時田先輩は、勉強もサッカーも出来る 正に天才であり、進む道も順風満帆だと思っていたし、卒業してからは高校のグランド以上に広いグランドで風の様に駆け抜け、ひたすらボールを追いかけて、いつかニュースのスポーツコーナーで紹介されるだろうと勝手に想像してしまっていた。…きっと私だけでなく、先輩を慕う後輩や高校の同級生たち皆も思っていたに違いない。

 しかし現実では、先輩は怪我に苦しみ、信じて疑わずに突き進んできた自分の夢への道を路線変更をせざるを得なくなった。長年追いかけてきた道を閉ざされる。それは苦痛以外の何でもないはずだ。


「…あの、先輩はどうやって状況を受け入れたんですか?」


 これ以上踏み込んで良いのか分からなかったが、どうしても訊きたかった。


「状況を受け入れるかぁ…」


 そう言って先輩は空を仰いだ。

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