第19話 暗躍

 クランス校の試験委員会の人間は非常に特殊な立場にある。

 委員会の任期中、年4回中2回の試験官係を担う時は「+1点合格扱い」となり、残り2回の試験だけ乗り越えれば良い、ということになる。一方で、特に入学試験後の新入生を迎えた前期中は「疑惑付」と認定された新入生に対して監視役が発生する。その目的は、冒涜的行為カンニングによる学びの園の汚染防止である――


 入学式後の某所にて。

 星の軌道を飾り付けたような、神秘的なオブジェクトがふわふわと漂う陰鬱とした一室に、相応しくない麗人――ベルへクタがどこからともなく現れ、部屋をゆっくりと歩く。


「あら? グレンリッツ先生、思ったより戻るのが早いのね。フォルテス先生たちとお話とかしなかったのかしら?」


 ベルへクタは、つま先の向く方で椅子に腰かけて、いつものように書類を眺めている大男に話しかける。グレンリッツが紙を手放すと、機密文書は端から火をともし、静かに燃えて暗い色の灰となった。その灰も、散り散りに消えていく……ついには、抹消された。


「ベルへクタ。会場で例の疑惑付の子を覗いたな?」

「あら、どうかしら。隣のレオン君の方は見たかもね」

「とぼけよる…優秀なやつの話は私たち以外の連中でもこぞって話すだろう。それより――“シエタ・ライトはどうだった?”」


 グレンリッツが「問いかける」と、ベルへクタは諦めてその問いに答える。


「“心を読みました”。…けど別に、なんてことはない子供だったわよ? 入学式にはしゃいで、お友達ができてうれしそーうにしてたけどね。本当に上位者の思考回路なんてあったのかしら…? メルちゃん、計算を間違ってまったく別のものを読んじゃったのかも」

「それはない。本人から聞いて、計算を確認した。間違ってはいないはず…あの日、あの席に座るライトの心を、フィルメルは確かに読んだはずだ」

「あら、そう? うふふっ、いやあ、やっぱり優秀なのね、メルちゃん」

「その優秀な彼女が、読めなかった思考回路だ。メル・フィルメル5年生……それよりも、なお上ならば、学年にして6相当か、7か……、あるいは――」

「うふふ、もうグレンリッツ先生、気になるなら、ご自身で読まれたらどう?」

と、ベルへクタは持ちかけた。

 彼は、椅子の背もたれにもたれかかり、鼻を鳴らした。


「狂人を相手取るなら、狂人が相応しいだろうよ」

「む、失礼しちゃう……」

「ふん。だが、君もあの子の心を読んだのなら、間違いはないだろう。確認だ……“シエタ・ライトは、いかにも普通の子供だった?”」

「“はあい”、そうです」

「ちっ……、『一問一答の魔法アンケート』に戯れた答えを返すのは、君だけだ」


 悪態をついて席を立ち、グレンリッツは窓の外を見る。曇りガラスの向こうの光は、海の底から眺める太陽のように揺らいでいた……その一室が、世界のどこにあるのかは、試験委員会しか知らない。


「それで? あの子はどうするの、グレンリッツ先生?」

「…………」

 グレンリッツは入学試験実施直後、受験者統計レポートを読んでいたときに交わした会話を、思い出していた――




…この子の第一試験は、一問しか解けていない。受験者の中でも最低クラスだ…

(シエタ・ライトの第一試験成績は最下位だった。第一だけは)

…そうです。ところが、第二試験が始まるや否や、突然正答率が上がった。解答スピードも段違いに……

(まるで別人としか思えない。だが、すり替わりはない…クランス校の入構封印を通過した外部の侵入者はいないのだから)

…あらあら、それは確かに怪しいわねえ? 会って見たいわあ、その子に……



(――カンニングができるなら、なぜ入試の第一試験と、第二・第三試験で成績がこんなにも違う? 点の取り方があまりに不自然で、工作行為としてはずさんだ。それほどにずさんでありながら、フィルメルの「視線盗みゴースティング」も「混沌算歌」も回避できる方法……? ベルへクタが確認した限り、ライトの思考回路はいかにも普通の子供のはずなのに。それでは、まるで試験中に何かに取り憑かれて、人が変わったようにしか――)


「……ねえ、なにか分かったのかしら? それとも――今度は、グレンリッツ先生が心を読みにいく番かしら?」

と、ベルへクタが背後から声をかけたので、グレンリッツは振り向いた。


「一つ、前もって断っておくが……仮に私が動いて、シエタ・ライトの件で何か察したとしても、それを素直に明かすことはない。君にも。フィルメルにもな」

「あら? どうしてかしら?」

とベルへクタが尋ねる。


 その質問に、彼は鼻を鳴らし、口角を上げて見せた。

「必ずしも教師が、教え子に答えを明かすべきじゃない」


「もう……私、今は学生じゃないですのに」

 そんな文句を吐くベルへクタ。

 ところが、「教え子であった」という事実は、「親子」と同じように、時間が流れても決して修正されない関係性であった。


「ベルへクタ、君も弁えたまえよ。フィルメルが可愛い教え子でも、君がむやみに解を与えるのは相応しくないことだ。クランス校の主体は学生なのだから。良いね」

「はーい、弁えました」


 こうして、グレンリッツの元教え子は、しぶしぶと了承した。…ところがどうやら、彼女はかつて素直な学生ではなかったようだ。にあっと、意地の悪い笑みを浮かべて、手に口を当てた。


「うふふ、ところで……ガーレニア君に頼むのはアリかしら?」

「ナシだ!奴を動かすな」

と、グレンリッツは顔を顰めて即答した。

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