第15話 図書

 図書館の中をゆっくり歩き始める。すると、宙を浮かんでいた丸い光の泡がシエタに寄り添うように近づいてきて、彼女と並走を始めた。どうやら一人ひとつ、この照明の泡がついてくるようだった。面白い魔法だとシエタは思った。


(それにしてもとんでもなく広い…、この図書館)


 シエタは、上京して摩天楼を見上げる田舎者のような姿勢で、図書館の中を練り歩く。見渡す限りの本、本、本、、本……


「わっ?!」

「ぬぁっ!」

「ご、ごめんなさ…!!」

「すみませえん!!」


 シエタは誰かにぶつかったので咄嗟に謝ると、相手も同じことをしていた。鏡に映したような二人組は、はたと、互いの顔を見た。目の前にいたのは、シエタよりも身長の低い少女だった。

 長い前髪の奥に丸眼鏡が光る。袖あまりの学ランからこぼれ落ちた厚い本に気づくと、彼女は手を伸ばして拾い始めた。


「ぬえっ、ごめんなさい私! ぶつかっちゃって、本を抱えすぎて前が見えなくてぇ!」


「わ、私こそ、よそ見してて、ごめんなさい…」


 その時、シエタは彼女の襟に付いた2つのバッジに気づく。そこには、開いた本のような金色のバッジと並んで、傾いた「7」の数字が見えた――その数字の意味をシエタはなんとなく知っていた。学年である。


(えっ――な、なな?! まさか、7年生?! この人が??!)


 驚くのも無理はないことだった。『クランス校7年生』というのは、全校生徒の総数から見れば数%未満しかいないような、希少生物の類である。なぜなら、学年が進むにつれて何度もふるいに掛けられて、退学者も格段に増えるからだ。「クランス校に三年残れば上出来」という逸話は世間でも有名なほどだ。

 しかしそもそもの話。

 目の前の小さな彼女は、シエタより学年が6つ上には見えない。もしシエタがここに6年在学すれば19歳になるはずなのに、そんな歳には見えないのだ。

 そんな見かけ詐称系の先輩生徒は、「よいしょっと」という陳腐な掛け声と共に、本を抱え直した。それからシエタを見つめて、瞬きをする。


「あ? あなた、ここ初めてなのね」

「…えっ? どうしてそれを…」

「ヤモリが、心配そうにあなたを見てるから」

「えっ、あのヤモリが?!」


 シエタは振り返り、あちこちに目線を走らせた。あの木目調のヤモリは見つからない。慌てた様子のシエタを見て、彼女は声をクツクツと潜めて笑う。


「ヤモリくん、出ておいで」

「仰せのままに、マスター」


 すうっと、ヤモリが姿を表す…シエタのすぐ近くの本棚に潜んでいたようだ。首を上げて、少女のほうを見る。


「あー、マスターよ。またそんな本を抱えて、それではまたいずれ転んでしまう」

「だ、大丈夫だよ。さっきのは偶然だよ、他の子の視界を見てたから」

「何より、ご自身の目で見てくださいよ。オラたちの目ではなく」

「もう、分かったよ……ああ、私が作ったはずなのに、なんで私のほうが言いくるめられないといけないのかな?」


(…作った?)


「あなた、図書館で困ったことがあったら、ヤモリくんを呼んでね。困ってる人をガイドしてくれるように作ったんだ」

「あの、あなたがこのヤモリさんを作ったんですか?」

「そうなの」


 少女はにっこりと微笑む。


「私はミャノ。図書委員長なの。図書のご要望は、このバッジをつけてる図書委員に気軽に言ってね」

 そう言われて、シエタはミャノの襟のバッジを見る。開かれた本の形のバッジが、図書委員メンバーである証明らしい。

「ヤモリくんに言っても良いよ……なにとぞご愛用くださいね、一年生くん」


 彼女はキメ顔で告げると、塔のように積み上げた本を抱えて立ち上がり、よたよたと歩き出したが、シエタから見ても危なっかしくて見ていられない。


「……あ、あの手伝いましょうか?」





 それから、シエタは本の虫の棲家までミャノと共に向かった。紙の存在密度が高い部屋特有の香りが漂う、文字通り巣穴のような一室だった。


「ふう、ふう~…。助かったよ、一年生くん」

 肩で息をしているミャノは、シエタの目から見ても運動不足だった。


「今日はありがとうね! 読んでみたい本があったら何でも言ってね。私が図書館に入れてあげるから」

「そんな、お構いなく……」


 そう答えつつ、シエタはその部屋の隅々に目移りしてしまう……本があちこち積み重ねられて、しかしその一つ一つの装丁は宝物のように目に映った。


「いひひ、本、好きなの?」

「好きっていうか、こんなにたくさんある所、初めて来て…。図書委員って、本の仕事をする人ですか?」

「そんなとこなの。そっか、一年生だから知らないよね。他にも色んな委員会があるの、例えば…」


 そのとき、“じりりりり!”と、けたたましく音が部屋の中に響いた。シエタはびっくりして肩を強張らせ、一方でミャノは、「あっ!!」と声を上げる。そして、学ランの袖に手を入れてまさぐる。


「これじゃないこれじゃない、ぬあっ、すんごい奥の方に入っちゃった」

と呟くミャノの袖の中からは、ハードカバーの本が次々と取り出されて、机の上に積まれていく。


(わあ、この人、服の中どうなってんの…?)


「あっ、あったあった。ふう……」


 ようやくミャノが取り出したものは、ベッドの脇に置くよう丸い時計だった。支え足が付いていて、その頭に飾られた金色のベルを怒りに任せて撃鉄の拳で叩いている。ミャノが頭を押さえると時計は落ち着き、しん、とした静寂が部屋に帰ってきた。


「私、別の用事あるから行くね! ゆっくりしていって良いからね一年生くん!」

 ミャノがそう言い残して、部屋の外へ出ていく。


「あ、ちょっと……」

 シエタがそれを追って遅れて部屋の外に出ると、すでにミャノはいなかった――


・・・


 シエタはそれからしばらく、ミャノの足取りを探るように図書館を歩いたが、結局帰ることにした。


「なんだいお前さん、今日は勉強なしかい?」

「うん。その、お腹空いちゃって」

「へっ、そりゃ仕方ない。あのマスターも腹の虫には勝てねえんだ。そいじゃ、またのお越しを」


 シエタの適当な言い訳に納得したヤモリは、尻尾を振った。「バイバイ」と、シエタは尻尾の代わりに手を振りかえして、扉をくぐる。窓の外の夕日を見ると、まるで深海から帰還したように安心した。図書館の中は、自然光が全くなかった。ランタンのような朧げな輪郭の光が、泡のように浮いているだけだった。


(あのミャノって人、木目のヤモリを作ったって言ってたけど、そんな魔法あるの? どうやるのか全く想像もつかない…)


 少し考え事を始めると、不意に、くう、とシエタの腹の虫が鳴いた。自習しない適当な言い訳のつもりだったが、割と本当に、彼女は空腹だった。


「あう、もう食堂開いてるかな……」


 そしてシエタは、のろのろとした足取りで、先ほど調べた食堂の方へ向かったのだった…

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