第11話 主席

 シエタに合格通知が届いてから、一ヶ月後。


「ふう……。はあ、なんか落ち着かない……」


 シエタ・ライトは、ナーバスなため息をついた。月がきり変わる日の朝。クランス校の大講堂には、すでに数百名以上にも上る人が集まり、席についていた。期待に胸を膨らませた声色が歓談となってホールの天井や壁面に反射している――入学式の数分前だった。


 そんな空気感の、外のトイレの洗面台で息をつくシエタは、気持ちを落ち着けるために一人で静かなところにいた。こういった環境の変化にも自分は弱いらしい、と彼女は自覚した。このままでは、学校生活わずか数日間で精神をスリップダメージですり減らし、やがて消しゴムの慣れ果てのように、消滅するんじゃないか――と冗談みたいなことを思いついた。冗談を思い浮かべても、心臓のペースはたいして変わらなかった。


(私がここにいても、良いのかな…)

 シエタはまた、そんなことを思い詰めていた。迷う彼女が決断できなくとも、時間は進んでいく。

「あ…もう時間だ。行かないと…」


 トイレの外に出て、講堂の方へと向かった。その時、ちょうど歩調を同じくして、同じくらいの背丈の少年が会場の扉に手をかけるところだった。彼を見かけたとき、シエタはつい「あ」と声を上げたのだ。そのせいか、彼も振り向いて、シエタを見つけた。


「おー? あんた、試験んとき隣にいた人! 受かってたんだ」


 金色の眼をまっすぐにシエタに差し向けて、少年は言った。こんなぎりぎりの時間まで、講堂の外で何をしていたのだろうか……とシエタは自分を棚上げにして想像した。


「う、うん。私、シエタ・ライト。よろしく……。もしかして、また散歩していたの?」

「あーはは。まあそんなとこ。人が多いの嫌いでさ」


 彼は短く説明を置いてから、シエタに返すように名乗った。


「俺はレオン・ハルト。よろしく、シエタ」


 そういって、レオンは扉を押し開けて中へと入っていった。シエタも扉が閉じる前に続けて入っていく。広い講堂の中では、まだ歓談の声が盛況だ。


「あーあ早く式始まんないかな。こういう空気、緊張すんだよな」

「……緊張?してるの?」


 レオンの発言に、シエタは少し驚く。覚えている限り試験の時の彼は大胆不敵というか、まったく緊張している素振りを見せなかったのだ。彼は肩を竦めた。


「そりゃするよ、当然」

「そうなんだ……私も」

「へへっ、そうなのか? それで洗面台かどこかで気分転換してたとか?」

「えっ? なんで分かったの?」


 シエタの質問に、レオンは彼自身の前髪をちょいちょいと指さして返答した。


「前髪、ちょっと濡れてるから。水道と鏡がある場所で、髪触んなかった?」

「あ、えっと……はい」


 シエタは赤くなって、改まった口調で肯定しつつ、前髪にさっと触れた。身だしなみを他人から不意に指摘されると若干気恥ずかしい。


「じゃあ俺、この辺だから。またな」


 彼は告げて、彼は自身の席の方へと向かっていった。シエタとは離れた席なので、少し残念だと思った。もしスペル順に席が並んでいるのだとしたら、まあ離れていて当然だった。


・・・


 やがて――

「それでは、これより入学式を始めます」という旨の進行係の言葉が講堂に響く。その瞬間、凪のようにしん、と静まり返る会場。

「まずは校長のフォルテス先生より御祝辞をいただきます」と、進行は告げる。それを合図に、白髪の男性が登壇した――威厳や貫禄を感じるとともに、どこか神聖な迫力をまとっている。

 彼は会場の皆を見渡すと、やわらかくほほ笑んだ。


「クランス校校長のフォルテスです。皆さん、入学おめでとう。我々は君たちみんなを歓迎します。学問にはげみ、クランス校の学生として相応しい――実力者として成長することを期待します。このクランス校という場は、君たちの成長のために用意したものなのだからね」


 同じようなことを精鋭も言っていた、とシエタは思い返しながら、彼の話を聞く。


「ただ、私の立場で言うのもなんだが、クランス校は厳しい、厳しいところです。格を満たさず、成長なき者が、ここから今まで何人も、何百人も、何千人も出ていきました。残念なことですが、それが望ましい。当人の成長は、当人の思い描く将来像にとって適切な環境の方が叶うものです。さて、われらが育てる学生像は――この帝國を支える精鋭です。他国や異形の脅威に負けない魔法の専門家の育成です。皆様に私から望むことは、それだけです」


(うわあ……。本当に厳しいこと言うなあ)

 シエタは自分に適した環境を選択したのだろうか、と若干思い悩んだ。なにせ、精鋭の力を借りて入学したようなものだ。そのうえで、この学校で何をするのだろうか……と考え出すと、先日ハイドから似たようなことを尋ねられたことを思い出した。

(ハイドが言ってたのは、こういうことか……)


「――ただし最低限望むことに加えて、ひとつを言わせてもらいますが」とフォルテスは続けた。

「ぜひ、ここでの学校生活を楽しんでください。君たちの青春も、ここでは保証してあげたいのです――はい以上! 皆さん、ご入学おめでとう!」


 拍手が会場の中に響いた。フォルテスはなんだか掴みどころのない人格だと、シエタは思った。


「続きまして、新入生代表より、言葉をいただきます」


 式次第を見つつ、シエタは(代表って誰だろう?)とシンプルな疑問を抱いた。ただ、考えるまでもなく数秒以内にその正体は明らかになるのだ。

(新入生代表ってことは……たぶん、試験のトップ合格者の人かな?)


「新入生代表――レオン・ハルト君」と宣言。


「……え?」

 なにか、ついさっき聞いたばかりのような名前が呼ばれた気がした。登壇していく少年の後姿を見て、シエタは息を呑む――その横顔は、やはり先ほど言葉を交わした彼だった。


(えええー!? えっ、レオン君が代表だったの!?)

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