§1クランス校

第10話 合否

「ああぁ〜…、受かってますように受かってますように……」


 シエタは天に祈りを捧げて、家の前の玄関で座り込んでいた。手を擦る彼女の仕草はまるで寒さに耐えているようだが、良い陽気な春の朝の出来事である。燦々とした陽光に似つかわしくない緊張の面持ちである。


 まもなく、クランス校の合否通知が届くのだ。今や彼女にとって、その如何は個人の問題ではなくなっていた。試験に協力してくれた“精鋭”も、彼女の合格を祈っているのだから。


(いやでも、やっぱりアレってカンニングだよね……。考えれば考えるほど、罪悪感が……私なんか、ほんとは落ちた方が良いのかな)


 シエタは眉を下げ、顔を伏せた。

 あれから毎日、こんなことを考えている…


「玄関で通知が来るのを待っているのですか、シエタ」


 背後から声をかけられて、シエタは振り向く。ハイドが微笑みながら、彼女をみていた。


「あ、ハイド」

とシエタが短く応じる。

「私はシエタの合格を信じていますよ。君はこの孤児院創設以来の天才ですから。君のような子がうちで育ったのは、とても嬉しいことです……しかし、世間はもっともっと広いので、ぜひ君には世界へ羽ばたいてほしいです」


 まるで彼女の師であるかのように、彼はしみじみと告げた。シエタは孤児院の一員であり、そして、その院長が彼であり、しかもシエタにクランス校の受験を勧めた張本人である。なので実際彼はシエタの師であり、親でもあるのだ。

 彼は「いやあ、良い天気ですねえ。これは吉兆かな?」などと呟きつつ、シエタの横に腰を置く。


「もしクランス校に入れたら、何がしたいですか?」と、ハイドは尋ねた。

「べ、勉強…」

「良いですね。では、他にはどうですか?」

「他…? その、今はあまりいろんなことは考えてなくて、ごめんなさい」


 なぜなら、合否のことだけでなく、カンニングであったり精鋭であったり、いろいろなことがあってまだ整理がつかないのだ。シエタは誰にもそのことを明かしていない。当然、ハイドにも――当の彼は、そんな彼女の内情を知らないまま、肩を少し揺らしてほほ笑む。


「私からすれば、緊張しいの君がクランス校まで出向き、試験を無事終えただけでもうれしいですよ。私だって、クランス校に入れなんて言われたら腰が引けます。断るかも。だから、試験を受けただけでも君はすごいんです」

「そうなの?」

「そうですよ。合格したら、きっと楽しいことがたくさん待っています。魔法の勉強も出来ますし、一生の友達もできるかも」

「えへへ…」


 シエタは年相応の仕草ではにかむ。先ほどまでの緊張した面持ちはほぐれたようだ。


「それどころか、もしシエタが合格したら、私は一生自慢しますよ。一生かけて自慢しますとも、ええ! この孤児院に語り継がれる伝説になるまで語りましょう!」

「ちょっとそれはやめてほしいかも」

「ははっ。まあ2割は冗談ですから」

「えっ、8割は本気なの?」


 妙に本気度を感じる数字に顔を青くするシエタ。

 精鋭の助力をもらった背景を加味すると(あるいは、そんな事情がなくても)そんな風に仰々しく語られるのは、気が引けることだった。


 彼女が肝を冷やしていると、ぎい、と門が開く音がした。庭の向こうに帽子をかぶった配達員が見える。だいたいいつも同じ配達員がここにやってくるので、孤児院の者は皆、配達員と顔見知りだった。


「おや、シエタちゃん良いところに。君あての封筒が来ていたんだよ」


 彼は赤い蝋で閉じられた白い封筒を掲げる。まるで招待状のようだった。


「あ、あり、あありがとうございましゅ」


「?? どうしたの?」

「はは、お気になさらず。いつもお疲れ様です」


 配達員とハイドが短いやり取りをしているのを、シエタは封筒を両手で抱えながら見ていた。やがて配達員が帽子を軽く上げて頭を下げ、庭から出ていくのを見届けると、シエタは緊張した面持ちで封筒を見つめる。


『シエタ・ライト殿

 重要通知書 在中

 クランス校より』


 シエタはなんとなく、ハイドのことを見上げる。彼はいつもの穏やかな笑顔で、彼女のことを見つめていた。何も言わず、シエタが自身のタイミングで封筒を開けるのを待っているようだ。なんだか、中身の結果の如何によらず、封を解いたら後戻りできない。そんな感覚が脅迫的に背中を伝っている。

 彼女は息をついて意を決する。そして封を切った。


『合格』


「………あ」

と、シエタは短く呟く。その僅かな間に、目に涙が浮かびそうだった。

 内心、色々な感情が渦巻く。嬉しさもあるし、同じくらいの罪悪感もある。どちらの感情が、涙を生んだのかは、分からなかった。

 進めば手に入る物。

 進まなければ手に入らない物。


 進んでもいいのだろうか。

 進んでもいいのだろうか…


「は、ハイド、私……!!」

「やりましたああああ!やったあああ!!いやあ良かった良かった!!Foooo!!」

「ええ…? 私より喜んでる、この人」

「いやあ素晴らしいですねえ゛!今日はお祝いでず!!ずびっ」

「わあ泣いてる!?」


 大の大人が本気で泣いていてシエタは少し驚く。


「いやあ、今日用意していたご馳走の準備が祝勝会に使えて良かったです! ああそうだ!みんなにも伝えませんといけないですね、シエタ伝説をね!」

「いや伝説は止めてって! ちょっと待って、ハイド!」


 院内にそそくさ戻っていったハイドを、シエタは追いかけていった。

 そして結局、シエタは精鋭のことを明かすことは無かったし、ついに話す勇気もないまま、入学式を迎えたのだ。

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