第8話 悪問
試験終了のベルが鳴って、解答用紙が真っ黒に塗り替わり解答不能になる。
皆が口惜しそうにペンを置く中、シエタはとっくにペンを置いていた。
(精鋭って本当にすごいんですね…。圧倒されました)
「貴方も中々です。講釈に遅れずについてこれてますし、第三試験もこの調子で行けそうですね」
その言葉を聞き、シエタは少し罪悪感を抱きつつも、素直に頷いた。
※
――かたや試験用紙を回収し終えたメルは、青い顔を伏せて会場から逃げるように退室した。
「ちょっとメル先輩、どうしたんですか? さっきから様子が変です。体調でも悪いんですか?」
メルは無言で空き教室に入り、ギーギルを手招く。
「なんですか?」
ギーギルが追いかけて入室するや否や、メルは彼女の胸に雪崩れ込んだ。
帽子が床に落ちる――すると、留められていた長い前髪が露になった。
「……メル先輩?」
「ぁぅぅぅっ、怖かったぁ!」
試験会場での毅然とした振舞いは何処へやら、髪を乱して弱々しい声色と共にメルは涙を滲ませた。精神的ショックの影響か取り乱した彼女を見て、ギーギルはため息を吐く。
「あー?? メルせんがメルちゃんになっちゃったよ。この人、SAN値が減ると幼女みたいになるんだよな。残念美人だなあ。よしよし、大丈夫ですよ〜、怖いのいないよー」
「いたもんんー…! 人間じゃないのいたもん、あの会場!!」
「あっはは、まさかあ? それ、あのライトさんのことですか? どーどー、落ち着いてください」
「うう……」
そうして1,2分。メルはギーギルをグっと突き放した。毅然な目つきに戻っていたが、まだ涙目である。
「くっ、あのライトという受験生、とんでもない化け物…。あんな思考回路を抱えて平然としてるなんて…」
「あっ、戻った」
「その、ギーギルも気をつけてね……」
「あっ? いや、今日は結構あと引いてるな…。急ぎましょうか。休憩時間、10分だけですし」
・・・
「…んん、第三試験はあと1分で始まる。例に倣い、ベルと同時に始めるように」
試験会場でそう宣言するメルを眺めて、シエタは目を細める。
(なんか、あの人、目がちょっと腫れてる……)
目の前には、最後の試験用紙が配られていた。最後も精鋭の助言が有れば解ける……バレようがないカンニングをしている状況に、彼女は多大な罪悪感を抱いていた。だが、もうシエタの意志と関係なく、精鋭が頭の中で直接とやかく言うので、
やがて、ベルが鳴ると「第三試験、開始!」と宣言された。
シエタはすぐ取り掛かる。
「最後、締まって行きましょう!」
(は、はい!)
こうして最後の戦いが始まり、またも精鋭の適切な助言により、ほぼノンストップで問題を解いて行く――
(…でも、本当に良いのかな…。私の力なんて、ほとんど関係なく進んでも…)
漠然とした葛藤を秘めつつも、結局30分を残し、10問中第9問に到達した。
第9問の問題文に目を通すと、シエタは、声を上げそうになった。
『問9
この問いを解きなさい。
ただし、問題文に乱調、落丁、誤字、脱字は無いものとする。』
(え? こ、“この問いを解きなさい”…? ――この問いって、どの問い?!)
問題文に「解くべきもの」が無かった。
動揺したシエタは少し座り直す。
その時、背もたれにかけた彼女のカバンのベルトが引っかかって、ばたりと落ちてしまった。
瞬間……しん――、と静かになるシエタの脳内。
(あれ、精鋭さん?)
「あ、僕が拾いますから、試験を続けてくださいね」
試験官のギーギルが気を利かせて、シエタの席にやって来て鞄を拾うと、元の位置に戻した。シエタは頭を下げつつも、ギーギルが遠くに離れるまで、頭が真っ白だった。
(まさか…カバンが落ちた拍子に、手帳が閉じた…?)
冷や汗を滲ませるシエタ。割れ物の入った大切な箱を落としたような気持ちだった――カバンの中で古びた手帳が閉じれば、精鋭も黙り込むのだ。自分一人だけになった脳内に、自分の心臓の鼓動が警鐘のように響く。
(な、なんとかしなきゃ、自分で…! 自分だけで!)
シエタはもう一度問題と向かい合う。しかし目を凝らしても、上から読んでも下から読んでも、問題文に問題は存在せず、それが大問題だった。
(意味分かんない…! 存在しない問いを解くなんて無理難題…!)
問題が存在しない以上、解が存在しないことも自明である。
こんな理不尽な問いは飛ばすのが正解だと、シエタは思った。
(でも、飛ばせない。だって、問題をスキップする方法は――)
『どうしても解答できない場合は、スキップして次の問題へ移ることは可能だ』
『ただし、次の問題へ切り替える方法は公開しない』
『この試験用紙にかけた魔法を読み解き、自ら見つけるように』
――
(あっ……。スキップ? もしかしてこの問題、スキップが正解そのものってこと…?!)
思い至ったものの、肝心のスキップ方法はまだ見つけていなかった。
……ところがその時、シエタはなぜだが「滾り」を感じた。
(ここまで、精鋭さんの力を借りたから来れた…けど、この問題は…!)
精鋭の性格に影響されたか――、今だけは緊張を克服して、真摯に問題に向き合えたのだ。
『悪問をスキップせよ』
それこそが、問9の真の内容だと、彼女は解釈した。
(絶対に、絶対に見つける! スキップする方法!自分の力で…!)
シエタは問題用紙を注意深く観察して、その性質を思い出していく。
・全10問で今は第9問。
・正答を書けば紙面は次の問いへ自動で移り変わる。
・途中計算や誤答を書いても問題文は移らない。
・次の問いに切り替わる前に紙に書かれたことは一度全て消え、解答は紙に記憶される。
無慈悲なシステムであり、どんな問いがどんな順番で来ても答えられる上位実力者優位の仕組みだ。なによりシステムの中身を解析するのは難しい。
よって、スキップする方法を見つけること自体が「難問」である。
(試験中の発言は禁止だから、呪文は使えない。なにかスペルを書いて試験用紙に働きかけて、なんとかするとか…?)
ペンが回る。思考回路と共に回る。
雲を掴むような問いは謎解きに近いが、魔法の性質を正確に読み解く必要がある。他にも判明している性質はないか考えを巡らせる…
(あっ、そうだ――もう一つ性質があった。この用紙は、
『試験が終わると自動で黒く塗りつぶされる』
――はず。そして解答不能になる)
その時、シエタは何かを閃いた。「魔が差した」というのが正確かもしれない。
(もし試験時間内に意図的に解答不能にしたら、どうなるんだろう? その時点でもう「詰み」なのか、それとも……、不具合を解消するシステムも、組まれているとか?)
そしてシエタは解答用紙に、黒いインクで用紙を塗りつぶした。試験中にあり得ない蛮行だった。血迷ったとしか思えない所業のはずである。
(こ、こんなことして良いのかな…?)
完全に黒くなるまで、ペンを動かす。
(でも――どうなるのか、ちょっと気になる。たとえ不正解でも、やってみたい)
やがて問題文も判読できなくなり――
そして、用紙が黒く染まったころ。
(あっ?)
――試験用紙から黒いインク全てが消え始める。
試験用紙が一瞬白くなり。
そして、最後の問いが現れたのだ。
『問終
貴方の名前を答えなさい。
ただしこの解答によらず、2問相当の得点を与える。
クランス校第三入学試験、以上』
「……」
シエタは顔を綻ばせると、ほっと息をついて、インクの切れかけたペンで、なんとか最後の問いに、答えた。
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