第5話 難問
『問1
次の原呪文を詠唱訳し、生成結界の魔力強度を計算しなさい。ただし消費魔力量はMとし、詠唱語調は中性とする。
ΣnXu(n)g(x/n)Σm(x/mn)EqΣunΣ(x/r)Σf(x/r)Σ[mEqr/n]EqΣf|ru(n)EqΣunEqΣfx/rεREqf(x) 』
(最初の問題は、詠唱訳と魔力強度…)
不思議なことに、文章を一通り読むと、心臓の脈拍は少し落ち着いた。真っ白だった頭の中に勉強した記憶が蘇る。
(よし、解けそう!)
震え気味の筆跡で計算を始める。
正解を導き出さなければ、問題用紙は次の問題への進行を阻止する。答えが分からず「スキップ」したくても、その手順は用紙の魔法を解析して見つけなければならない。シエタは息を深くして、怯える心臓をなだめて筆を動かす。詠唱訳に直すために、頭の中で呪文帳が捲られていく……
(――あっ、よし解けたかも? えらい私!)
そして解答にたどり着いたその瞬間、問題文や途中計算の式が滲み、紙面の奥に溶けていくように消えた。
(問題文と解答が消えた…。ってことは、解答が正解だったってこと?)
シエタはじっと、用紙を見つめる。すべてが消えると、続けて別の文字が浮かび上がる――それは、次の問題『問2』だった。
(や、やった! 次の問題は……――)問題文を読もうとした。
「受験番号、F-1099。立て、貴様は失格だ。荷物をまとめて退室しなさい」
メルが突然、そんな宣告をした。シエタは息が止まる。心臓の止まる思いがした。視線を動かして机の隅に書かれた自分の受験番号を確認した。「F-1099」は、彼女の番号ではなかった。その代わり、該当する受験生は会場の奥にいた。
彼は顔を青くして「な、なんで……」と呟く。
「“なんで”だと? 不正行為を見つけた。以上」
「だ、だ、だから!! お前、そこでぼーっと眺めてただけだろ! なんで俺が不正行為したなんて分かんだよ!!」
「爪の表面に文字列を仕込んだな。光の角度を変えれば小さな文字が浮かぶようになっている。魔法で視覚を強化してそれを覗いたな。試験中に文字列を閲覧できる状態で持ち込むのは不正行為――よって、貴様は失格だ」
メルが即答して、失格者の顔がますます青くなった。反射的に、指を隠すように弱弱しく握りこぶしを作っている。
「出ろ」
と、メルは冷たく宣告する。
「……く、くそ……!!」
悪態をついて、失格者は部屋を出ていった。予兆もなく起きた一幕は、シエタの心臓を加速させるのに十分な負荷を与えた。
(爪の模様を見つけたの!? 魔法で……?)
そんな出来事の中、シエタは努めて平静を保ち、解答をつづけようとした。『問2』の問題文を読もうとするも今のハプニングが頭でリフレインされ、心臓の鼓動も交えて増幅されていく――
(何かおかしなことをしたら絶対見つかる……! 落ち着け落ち着け、お願い心臓! 大丈夫、カンニングできるものなんて仕込んでない! 私は
シエタは深呼吸をして、もう一度落ち着いて、映し出された問題文を見つめた。
『問2
問1――文だけを用―て、魔力強―――ったく均質な構造物を生――の半径の真球体――障壁を貴――周囲に生成す―場合、問の壱の原呪文をどのよ――か計算し書き下――い。
ただし、任――径をRとおき、――は無視する。』
(わっ、あっ…! ダメ、目が滑る…! 頭真っ白……!)
動揺のせいか、問題文の内容を掴み損ねる。ペンを持つ手が止まり、代わりに視線が忙しく動く。ようやく読み終えると、まともに計算すると小一時間かかりそうな難問だということが、分かった。
(えっと、つまり、問1の呪文を使って、強度を均質に、真球の障壁を…? ああ、ダメ、頭こんがらがる!)
もはや落ち着きを失ったシエタには酷な話だった。ともかく手を動かした。それから、長い時間が経過した。
・・・
「――そこまで!! 手を机の下に置き、待機しなさい」メルが宣告する。
途端に解答用紙が真っ黒に塗りつぶされ、カーボンシートのようになった。もう解答は不可能であった。シエタは、血の気がひいた顔でペンを机に置く。
目の焦点が揺れる。彼女は「問2」から先の問題に行くことが出来なかった。つまり全10問のうち「問1」――
それだけしか解けなかった。
「う……うう」
シエタの視界が滲む。
俯いて唇を噛んだ。
合格は絶望的だ。
もし残りの試験が全部満点なら希望もあるが、現実的に無理だった。茫然自失としたシエタの情けない解答用紙は、軽やかに浮き上がり彼女の元を離れて回収されて行く――
「第一試験はここまでだ。昼休みを一時間とり、午後から第二、第三試験を行う。以降の試験も同様の形式なので、説明は省略する。定刻五分前までに自分の席に戻るように。以上、解散してよし」
説明が終わり、周囲の人たちが、がたがたと音を立てて席を立つ。シエタはその流れを追えず、椅子に深く座り込んだままだった。
「な、なあ、本当に大丈夫か?」
隣席の少年が尋ねる。シエタは風に吹かれて萎れた稲穂のように、ふらりと頭を揺らし、「……はい、大丈夫です」と、力なく返答した。少年は肩を竦めて、彼女の内情を察すると、シエタを一人にして会場を後にした。
よって、会場に残っているのはシエタ一人となった。
※
「――メぇルせん。待ってくださーい」
ギーギルは試験用紙を抱えて、メルの後ろを追いかける。メルは、振り返って待機しつつ、苦言を呈した。
「メルせんと呼ぶな。メルで良い」
「いや、それはさすがに……、ねえ先輩、昼ごはんどうしましょう」
「弁当を持ってきてる」
「準備良いなあ。僕、購買でも行こうかな…」
「午後も監視が続く。眠くならない程度に腹を満たせ」
「難しいですねえ。はあーあ、にしても僕ら朝から働きづめですよ。入場監視して、試験監視して……あの魔法、目と肩がめっちゃ凝るんですよねえ」
ギーギルはため息をついて、肩を回す。
「文句を言っても仕方ないだろう。それより午後も気を抜くなよ。視線の動きが怪しい奴が何人もいる」
「クク、相変わらず、先輩の魔法はエグイですねえ――」
ギーギルは歯を見せて微笑んだ。
「他人の視界を盗み見するなんて。気が狂いそうになりません? 百人以上もいる他人の視界を同時に眺めたら」
「もう慣れてる」
そう断じたのち。
メルは曲がり角を見誤って曲がり切れず、肩を痛打してうずくまった。ギーギルはつい吹き出す。
「いったぁ……」
「あれれへえ、大丈夫ですかあ? 目疲れてるんじゃないですかピンぼけとか。目薬使いますう? これ、スーッとするやつ」
「いらない!」
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