第4話 監視

「……ねえアンタ、大丈夫? ぼーっとして」


 夢幻を脳内で反芻して呆けるシエタに、誰かが声をかける。はっと顔を上げると、褐色の肌の少年が覗いていた。金色の綺麗な瞳を向けている。


「あっ、え? だ、大丈夫です! 熱はありません元気です!」


 シエタは慌てて、机の上に放置された手帳をバッグに戻した。これを持っていて大丈夫か、という一抹の不安はあった。でもどうしても、捨て置けない気持ちもあった。


「ははっ、そう? なら別に良いけど、無理しない方がいいよ。試験中に気を失ったりしたら、誰も気づかないかもしれないし」

 彼は可笑そうに言うと、そう告げてシエタの隣の空席に座った。


 シエタは驚く。空席の主が遅れてやってきた、ということに気付いた。彼はカバン代わりの小さな包みからペンを出して席に着くと、もたれるように座してじっと前を見つめていた。試験前に詰め込みを行わないタイプの人種らしく、つい、その過ごし方を観察してしまった。


「……あの、なに?」と少年。

「あっ、ごめんなさい。貴方は欠席かもって思ってた。空席だったから」

「あーうん。ぎりぎりまでその辺歩き回っていろいろ見てたんだ。今日は落ちるかもしれないけど、クランス校を観光してきたくらいの冗談を言えるように」


 そう戯れたことを言うと、彼はニッと歯を覗かせた。緊張感というものが、これほど感じられないのはシエタにとっては衝撃的だった。と、同時に――

(この人、変わり者…)とシエタは率直に思った。


 その時、最後の入場者二名が部屋に入ってきた。

 一人はツインテール学ラン。

 もう一人は鋭い目つき――見た覚えのある二人は、ついさきほど、門で入構者を見ていたギーギルとメルだった。


「――うん、揃ってますね。メル先輩、試験用紙を配っておきます」

「頼む」


 やり取りのあと、ギーギルは試験用紙を手に持ち、その紙束の断層のような側面を薬指で、ざあっとなぞる――すると紙がひとりでに飛び出して机へと移動し、それぞれの受験生の目の前に一枚一枚と落ちていった。


 しかし、それは全くの白紙だった。シエタは首を傾げた。

(これ、落丁…?)と思い、シエタは横目で隣の少年の机の前を見たが、それも同じく白紙だった。


「その試験用紙には、試験開始まで何も表示されない」

と、メルが切り出したので、シエタは視線を講堂の前に戻す。


「第一試験は全10問。試験用紙は最初に第1問を映す。その正答が紙に書かれれば、問題文と解答は消え、次の問題文が映し出される。誤答、未解答では次の問題へ移行しない」


(つまり正解が分からないと前にも進めない。話に聞いてたけど、この条件は鬼畜すぎる…)

 例えば全く知らないことが出題された場合、原則的に次の問題に進む事はできない。


「どうしても解答できない場合は、スキップして次の問題へ移ることは可能だ。ただし、次の問題へ切り替える方法は公開しない。この試験用紙にかけた魔法を、自ら見つけるように」


 メルは説明を続けた。説明を聞いているうちに、シエタの緊張が脈拍とともに高まっていく――。


「一つ断っておくが、一度スキップした問題はやり直せない。その設問は無回答、ゼロ点とする。試験終了後は回答を禁じ、用紙を回収する。君たちの回答はペンの筆跡としては残らないが、紙の“記憶”に残る。それでもって採点する。午後から第二、第三試験も同様の形式で行う――ここまでで質問は?」


 その最初の設問に対して、誰も手を上げなかった。メルは続ける。


「次に、試験中の君たちの行為は我々に監視させてもらう。魔法による妨害、外部からの情報の獲得など不正行為カンニングがあった場合は、直ちに失格とし、退室させる。失格者は金輪際の受験資格も永劫、失う」


(まあカンニングはダメだよね。でも、監視って言っても……この会場だけでも300人くらいいそうなのに、できるの?)


 シエタは自分の番号と、会場の席の位置から受験生の数を見積もった。この大人数を前に二人で監視は無理があると思った。5秒ならともかく、2時間の試験だ。それを第一試験~第三試験の3回もやるのだ。

 そんな他人事を心配する彼女をよそに、ギーギルが自分の目に両手を当てた。


「“架空の目を拝見せよ”」


 そう呟くと、会場内の300名あまりの受験生の背後に、眼球のようなオブジェクトが浮かび上がった。シエタは思わず悲鳴を上げそうになった。

 おそらく脈絡から判断するに、ギーギルが使った魔法の効果なのだろうが、ずいぶん気味の悪い魔法だった。


 会場がどよめくなか、メルは目を一秒つむり、それから見開く――その時、赤色の眼光が宿った。シエタはそのことに目ざとく気付いた。


(あの人も「何か」使ってる……? 本当に、二人だけでこの会場全体を監視するつもりなの?!)


「試験はあと1分で開始される。その際にベルが鳴るので、それを以って試験開始とする」


 その発言を合図に、会場の受験生の視線が時計へと差し向けられる。秒針が不連続な脈動で時間の経過を機械的に歩む中、息をひそめ、つばを呑み、皆がじっと、試験開始を待つ―――しん、とした講堂で、時計の駆動音だけが小さく響く。


(うゎ、なんかもう、静かすぎて、吐きそう……! 早く始まってぇ……)


 シエタの心臓がまた高鳴る。隣の少年にも、この心音が太鼓のように聞こえるのではないのだろうか――などと、冗談めいたことを考える余裕すらない。彼女の視線が、まだ問題文が表示されていない真っ白な試験用紙の表面を千鳥足で滑る。そんな風に過ごしていると、頭の中も真っ白になりつつあった。


(あ、あ…、落ち着け、落ち着け、落ち着け……落ち着け)


 目の前の問題から視線を逸らし、横目で隣の少年を見る。彼は、目をつむっていた。


「……」


 シエタと違い落ち着き払っている彼の様子を目にして、シエタも少し、冷静になった。

 また秒針が動く。また秒針が動く。

 あと5秒。

 4秒、3、2、1……――




 ……ごーーん、ごーーん……

「――試験、開始!!」というメルの号令と共に、受験生たちはいっせいにペンを手に持った。

 そして真っ白だった試験用紙に、最初の問題文が浮かび上がった――!

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