第2話 入試
シエタが眠りについてから数時間。カーテンに濾過された淡い朝日が瞼を撫でて、彼女は穏やかに目覚める。そのあと慣習的に朝の時計に目が向いた時、彼女は、化学反応のように顔色を悪しく変えたのである。
「わあっヤッバ! 遅刻する!!」
慌てて起き上がると、腰と背中と首と肩が痛くて、シエタは顔を歪めた。そもそも、どうして床で寝ていたのだ…? と記憶を探るが釈然としない。そんな朦朧とする頭を抱えつつ、シエタは床に落ちている本を拾い上げてカバンに放り込む。カバンのベルトを一回転捩れたまま肩にかけて、鏡の前で前髪と後ろ髪をほんの少し整えると、ドアノブに手をかける。
……“がちゃり”
ノブがくるりと回るとがちゃりと音を立て、ドアの蝶番が鳴いた。
(間に合って〜!!)
シエタは駆け出していく。入学試験会場にたどり着くまでの間、時間に間に合うか否かを気にして、カバンに異物が紛れていることなど気づくことは無かった。
※
「メルせん、また鬼神のような目つきになってますよ? そんな目つきで受験生眺めてたら帰っちゃいますって。囚人監視してるんじゃないんですから」
茶化すような口調で誰かが言う。ツインテールで結った長い髪に小さな身長という可憐な見かけに反し、真黒の学ランを肩に羽織っている。その襟には「3」の数字のバッジと、目のようなシンボルの飾りもあった。
「油断は禁物だ。入学試験では毎年何かしらの不正行為が見つかってる。我々がそれを見つけなきゃいけない。あと“メルせん”呼びやめろ」
それに答えたのは、端正な顔立ちながら軍人の敬礼のように背筋をただし、目深にかぶった防止の奥で刃物のように鋭い目を光らせる学生。腕組みをして、門扉の向こうから続々と入構する人々を睨みつけている。その厚い胸元には、「4」の数字。
「そうですねえ」
「もし不正行為を見逃せば、負けたようなものだ。試験委員会として、それは許されん」
「そうですねえ。先輩に檄飛ばされちゃ僕もやるしかないです。でもメル先輩、不正行為を見つけたらどうするんでしたっけ?」
「ギーギル……、決まっているだろ、もちろん」と、メルは後輩を睨みつけた。そして、細い拳を握る。
「即退場だ。クランス校の土を二度と踏ませはしない」
「ここ、レンガ道もありますよ? レンガ経由で侵入されるかも、新入生だけに」
「土というのは物の例え、慣用表現だ、ギーギル」
――そんなやり取りがありつつも、入構者の監視は大きな異常もないまま進んだ。頃合いを見て、メルが口を開く。
「あと数分で入構時間終了だ。そしたら校門を閉じる。今のうちに準備しておいてくれ、ギーギル」
「はあーい、ただ今」
ギーギルは間の抜けた返事をして、鉄格子のような門扉のもとへと向かう。閉ざされる前のその隙間をくぐり、ちらほらと人々が試験会場へ向かって行く。少しそんな様子を眺めている間に、残りは一分となった。
(30……20……10、9、8……)
門扉を閉ざそうと準備した、その時。額に汗を浮かべて、肩にかけた鞄を揺らしながら、ひとりの少女が門へ向かって駆けてきた。光に塗りつぶされてしまいそうなほど肌も髪も白く、華奢で小柄だった。その目線とつま先は門扉へと向いている。
(おや、あの子、間に合うかな?)
すこし意地の悪い笑顔を浮かべて歯を浮かせると、ギーギルは時計を見た。残りはたった、三秒しかない。心の中で指を折り、時間を数える。
(3、2、√3、√2、1……0.9、0.8、0.7…)
「す、すみませえん! 入ります!!」
そして少女が滑り込むように入ってきたのを、ギーギルは迎え入れた。膝に手をついて息を整えている彼女に、ギーギルは微笑みかける。
「よし、ぎりぎりセーフってことで。ほら、早く試験会場に行ってきなよ。名前は? イニシャルだけでもわかれば、君の試験会場の教室棟の場所を教えてあげる」
「あ、ありがとうございます! えっと、私はシエタです。“シエタ・ライト”」
少女……シエタはギーギルを見た時、肩に羽織った学ランの襟に装飾された数字に気づいた。
(「3」…、もしかしてこの人、クランス校在学生…?)
ギーギルはにっこりと微笑み、親指で教室棟の建物を一つ指し示す。
「それなら、あっちの手前のとこだよ」
「ありがとうございます」
「あ、門とじるから、離れてて。入場を禁じないといけないから――。“鉄歯よ、口を閉じな”」
その一言ののち、ギーギルが片方の門扉を軽く蹴る。
すると、二対の鉄の門扉が勢いよく動き、
「がん!」
と音を立てて口を閉ざすと、閂が一人でに動いて門を封じた。シエタが驚いて一歩飛び退いて見上げると、さらに障壁が立ち上り、試験会場全体を覆う円筒の壁を形成した。蜃気楼のように揺らぐ壁の表面を、絶え間なく文字列が流れて行く。
いわく、
『立ち入り禁止:試験中』
ものの数秒で隔壁を形成したのは、結界魔法だ――シエタはそう察したが、あまりに高度な魔法に息を呑んだ。
(この人すごい…。こんな大規模な魔法を使えるなんて)
少女にじっと見つめられていることに気付いたギーギルは、首を傾げる。
「なにか?」
「い、いえ!?」
「そう? それじゃあもう時間もないし、行きなよ。試験頑張って!」手をひらひらさせるギーギル。
「は、はい! ありがとうございます!」
シエタは頭を下げて、小走りで教室棟へと向かった。
試験開始まで、あと9分。
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