第2話 入試

 シエタが眠りについてから数時間。カーテンに濾過された淡い朝日が瞼を撫でて、彼女は穏やかに目覚める。そのあと慣習的に朝の時計に目が向いた時、彼女は、化学反応のように顔色を悪しく変えたのである。


「わあっヤッバ! 遅刻する!!」


 慌てて起き上がると、腰と背中と首と肩が痛くて、シエタは顔を歪めた。そもそも、どうして床で寝ていたのだ…? と記憶を探るが釈然としない。そんな朦朧とする頭を抱えつつ、シエタは床に落ちている本を拾い上げてカバンに放り込む。カバンのベルトを一回転捩れたまま肩にかけて、鏡の前で前髪と後ろ髪をほんの少し整えると、ドアノブに手をかける。


 ……“がちゃり”


 ノブがくるりと回るとがちゃりと音を立て、ドアの蝶番が鳴いた。

(間に合って〜!!)

 シエタは駆け出していく。入学試験会場にたどり着くまでの間、時間に間に合うか否かを気にして、カバンに異物が紛れていることなど気づくことは無かった。





「メルせん、また鬼神のような目つきになってますよ? そんな目つきで受験生眺めてたら帰っちゃいますって。囚人監視してるんじゃないんですから」


 茶化すような口調で誰かが言う。ツインテールで結った長い髪に小さな身長という可憐な見かけに反し、真黒の学ランを肩に羽織っている。その襟には「3」の数字のバッジと、目のようなシンボルの飾りもあった。


「油断は禁物だ。入学試験では毎年何かしらの不正行為が見つかってる。我々がそれを見つけなきゃいけない。あと“メルせん”呼びやめろ」


 それに答えたのは、端正な顔立ちながら軍人の敬礼のように背筋をただし、目深にかぶった防止の奥で刃物のように鋭い目を光らせる学生。腕組みをして、門扉の向こうから続々と入構する人々を睨みつけている。その厚い胸元には、「4」の数字。


「そうですねえ」

「もし不正行為を見逃せば、負けたようなものだ。試験委員会として、それは許されん」

「そうですねえ。先輩に檄飛ばされちゃ僕もやるしかないです。でもメル先輩、不正行為を見つけたらどうするんでしたっけ?」

「ギーギル……、決まっているだろ、もちろん」と、メルは後輩を睨みつけた。そして、細い拳を握る。

「即退場だ。クランス校のを二度と踏ませはしない」

「ここ、レンガ道もありますよ? レンガ経由で侵入されるかも、新入生だけに」

「土というのは物の例え、慣用表現だ、ギーギル」


 ――そんなやり取りがありつつも、入構者の監視は大きな異常もないまま進んだ。頃合いを見て、メルが口を開く。


「あと数分で入構時間終了だ。そしたら校門を閉じる。今のうちに準備しておいてくれ、ギーギル」

「はあーい、ただ今」


 ギーギルは間の抜けた返事をして、鉄格子のような門扉のもとへと向かう。閉ざされる前のその隙間をくぐり、ちらほらと人々が試験会場へ向かって行く。少しそんな様子を眺めている間に、残りは一分となった。


(30……20……10、9、8……)


 門扉を閉ざそうと準備した、その時。額に汗を浮かべて、肩にかけた鞄を揺らしながら、ひとりの少女が門へ向かって駆けてきた。光に塗りつぶされてしまいそうなほど肌も髪も白く、華奢で小柄だった。その目線とつま先は門扉へと向いている。


(おや、あの子、間に合うかな?)


 すこし意地の悪い笑顔を浮かべて歯を浮かせると、ギーギルは時計を見た。残りはたった、三秒しかない。心の中で指を折り、時間を数える。


(3、2、√3、√2、1……0.9、0.8、0.7…)


「す、すみませえん! 入ります!!」

 そして少女が滑り込むように入ってきたのを、ギーギルは迎え入れた。膝に手をついて息を整えている彼女に、ギーギルは微笑みかける。


「よし、ぎりぎりセーフってことで。ほら、早く試験会場に行ってきなよ。名前は? イニシャルだけでもわかれば、君の試験会場の教室棟の場所を教えてあげる」


「あ、ありがとうございます! えっと、私はシエタです。“シエタ・ライト”」


 少女……シエタはギーギルを見た時、肩に羽織った学ランの襟に装飾された数字に気づいた。

(「3」…、もしかしてこの人、クランス校在学生…?)

 ギーギルはにっこりと微笑み、親指で教室棟の建物を一つ指し示す。


「それなら、あっちの手前のとこだよ」

「ありがとうございます」

「あ、門とじるから、離れてて。入場を禁じないといけないから――。“鉄歯よ、口を閉じな”」


 その一言ののち、ギーギルが片方の門扉を軽く蹴る。

 すると、二対の鉄の門扉が勢いよく動き、

「がん!」

と音を立てて口を閉ざすと、閂が一人でに動いて門を封じた。シエタが驚いて一歩飛び退いて見上げると、さらに障壁が立ち上り、試験会場全体を覆う円筒の壁を形成した。蜃気楼のように揺らぐ壁の表面を、絶え間なく文字列が流れて行く。

 いわく、

『立ち入り禁止:試験中』


 ものの数秒で隔壁を形成したのは、結界魔法だ――シエタはそう察したが、あまりに高度な魔法に息を呑んだ。


(この人すごい…。こんな大規模な魔法を使えるなんて)


 少女にじっと見つめられていることに気付いたギーギルは、首を傾げる。


「なにか?」

「い、いえ!?」

「そう? それじゃあもう時間もないし、行きなよ。試験頑張って!」手をひらひらさせるギーギル。

「は、はい! ありがとうございます!」

 シエタは頭を下げて、小走りで教室棟へと向かった。

 試験開始まで、あと9分。

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