第1話 幽霊

 クランス校の校風は、お膝元の帝國首都クランスではよく知られている。「純実力主義」を謳い、受験資格が存在せず、入試の点数のみで入学資格を定める。


 在校中も容赦のない試験で実力を測り、退学者を出すことに躊躇が無い。卒業できなくても「在学期間」すら、世間では社会的ステータスになる。特にクランス校で数年学んだ者は学者志望が強く、帝国兵団でエリートになる事例も多少あるが、どちらにせよ非常に優秀な人材、と認識される。



 クランス校入試前夜、帝國首都でのこと。


「わあ、ここがクランス校…!」


 シエタは閉ざされた立派な門扉柵の向こうを見つめて息を零した。荘厳なつくりで背の高い教室棟が林立し、道も丁寧に舗装され、都内にもう一つ特別な街があるようだ。その区画こそ、クランス校である。


 ハイドに送り出されて都に到着後、「ぜひ下見を」という彼の助言に従い、彼女はクランス校門前に来ていた。残念ながら正門から入ることはできないが、それでも、視界に目一杯広がるクランス校の世界に惹かれつつあった。


(これ全部、魔法を学ぶところなの? 外から見えるところだけでもすごく広い。孤児院いくつぶんなんだろう…)


 高揚――同時に、緊張が心臓の鼓動を早める。


「こんな所で試験するんだ、ドキドキしてきた……」


 いろいろと思いを馳せつつも、いま入るのは無理と悟り、宿に戻ることにした。最後に一目、振り返ってクランス校の中を見遣る。

 その時、なにかが見えた。

 光る物がチラついている。


「ん…?」


 シエタは目を凝らす。…さっきまで無かった“光の球体”が浮いて、ふよふよと緩慢に漂う。発光するシャボン玉のようだ。輪郭は朧げに色づいている。


(泡?…光?)

「なにこれ…」疑問を零すシエタ。


 あっけにとられて目で追う――。光が反射して彼女の眼が輝く。すると泡沫は突然俊敏に動きだし、シエタの脇を通り過ぎていった。


「わっ、わっ! な、なに!?」




 ―――くすくす、汝――や――




 声が聞こえたかと思うと、光はもう消えていた。

 月と、星と、街の光がぽつぽつと夜を照らし、歓談が響く。シエタは目をこすって再度確認したが、やはり、不思議な光は見当たらなかった。移動のせいで疲れているのかもしれなかった。それが原因で、疲れた頭がおかしなものを目に映したのかもしれない。


(今のなんだったんだろう、魔法?)


 光の正体が気になったシエタだったが、心臓の鼓動を落ちつけつつ深呼吸する。そろそろ宿に戻らないといけないシエタは、宿への路についた。





 ところが、宿のベッドにて――

(ね、眠れない!! だめだ心臓張り裂けそう…!)


 シエタは焦りの中、爛々と開いた両目で宿の天井を見つめていた。


 


 という事実にますます焦り、さらに眠れなくなる。頭の中に予想問題が浮かんでは消えて――その淡い記憶の泡が脳内で弾けては絶え間なく雑念の波紋を打ち付る。眠れ眠れと念じるほど安らぎから遠ざかることに、彼女は気づいていない。

 シエタは、頭は悪くなく、好奇心が強く、素直に学ぶ才能もあるが、いわゆる「緊張しい」である。

 せっかく魔法の勉強にあこがれて赴いたのに、最初の敵は試験問題ではなく自分の性格にあった。

 今や心臓は、それ自体の鼓動で自爆してしまいそうだ。


「眠れない。あああ、どうしよう」


 シエタは寝返って時計から目を背ける。もし、既に針が日付の変わり目を指していたら?と考えたら怖くなった。少し気分を変えたほうが良いと思い、飲み水を取りに行こうとベッドを降りる。

 ドアノブを回すと、金属音が響く。


 がちっ…がち、

 がち、

 がちがちがちがち!!


「え…、ええ、あれ?」

 ドアは金属音をリピートするだけで全く開かない。シエタは肩でドア板を押しつつ、ノブを回すが、微動だにしないドアを前に踏ん張って反動で息が詰まるばかりだ。


「…くう! はあっ? 全然開かない! なんでえ?!」


 シエタはドアを何度も叩く。実はその時、もうあと数分で日付が変わろうという真夜中の時間であったので、彼女の行為は公序良俗に反する騒音公害に匹敵する暴挙だった。

 しかし“背に腹はかえられぬのだ…!”と思うと、シエタは声を上げる。

「ちょ、ちょっと! わあ、ねえ誰か!」


 しかし誰も来ない。

 足音もしない。

 声もない。

 気配がない――こんなに騒がしいシエタがいるのに、助けも嗜めもない。扉に耳を当てる。。元々白いシエタの顔が青くなっていく。血の毛が引いて背中にじっとりと汗が伝うと、ナメクジが這うのを彷彿させた。


(えっ、誰もいないの…?)


 彼女は振り返り、今度は窓の外を見ようと思った。その時、目に入ったものを見て、ぎくりと固まってしまった……――「それ」は、月光の照らす床の上にいた。


(…なに、あれ?)


 シエタは目を細める。

 可視部は、深いフードで顔全体が陰る白いローブ。装飾は凝っているのに生地はボロボロにほつれている。


 外套の空乏は、深淵のように暗く。

 じっと、シエタに向いていた。


 シエタは薄ぼんやりとした白影を見つめたまま、ドアにもたれて崩れるように腰を抜かした。驚きすぎて、力が入らなかった。

 影は声を潜めて笑っている…



 ――くすくす、

 汝、精鋭たちの集いに寄る者や、

 精鋭たちの集いに寄る者や?

 くすくす、

 くすくす……



(ゆ、幽霊? もしかしてこの部屋、曰く付きなの…?!)

 彼女はそう思った。心臓が高鳴って、胸の裏側を太鼓のように囃し立てる。



 精鋭たちの元へ寄るか否や、

 寄るか否やを聞かせたまへ、

 さあ、汝、

 寄るか否やを、聞かせたまへ…!



 狂気めいた声色に気圧されながら、シエタは気づいた。影は自分に問いかけているのだ、と。

(寄るか否や? 寄るか、寄らないか…? どういうこと?)

 何を答えればよいか、黙っているべきか、考えてから恐る恐る口を開く。

「じゃあ……よ、“寄る”?」


 …寄る? 寄るか?


「よ、寄る! 寄ります!」


 くすくす、くすくす!

 寄るか、寄るか寄るか寄るか!

 あっははは!!

 さあ、汝…――




 受け取れ


「ひっ!」

 低く反響する声が頭に響いたかと思うと、ぼす、と音がした。何かが床に落ちた音だ。

「………ぁ…」急に力が抜けて気を失うように視界が暗くなり、そのまま倒れ込むように硬い床に寝そべって眠りについた……


 そのとき、時計は零時を示していた。

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