精鋭の不正魔術書《カンニングペーパー》-シエタ・ライトの侵入-

漆葉

§0入学試験

第0話 無才

 とある春、孤児院の庭で。

 真白の髪の少女が、一回り年下の子供に魔法を指南していた。


「そう、そうして……。指を組んだまま、緩い風の流れを思い浮かべて、呪文を唱えて」

「うん――。“風や、手伝って”」


 洗濯籠からタオルが浮き上がり、物干し竿に向かって煙のように漂う――しかし途中で減速して、青々とした芝生の上に落ちた。


「あっ、落ちちゃった。ごめんなさい、シエタお姉ちゃん……」

「だ、大丈夫だよメリー! 芝生の上だから、そんなに汚れないよ」


 シエタ・ライトは慌てて腰を上げ、洗濯物を回収してから、元の場所に戻ってきた。


「お姉ちゃん、お手本できない?」

「えっ、て、手本!? うん、ま、任せて!」

 ――そう言って、シエタは緊張した面持ちで洗濯籠のそばに跪き、すうっと息を吸い、呪文を唱えた。


「“風や、手伝って”」


 すると籠から白いシャツが浮き上がり、物干し竿の方へと漂っていく――ところが、今度はさっきよりも手前の位置で減速して、地面に墜落しかけた。


「わああ、待って待って!」

 シエタはその軌道を予測していたのか、すかさず立ち上がり、シャツが土の上に落ちる前に手を伸ばして受け取った。


「……」

「お姉ちゃん、今日調子悪いの?」

「そ、そうかも……ね、あはは」


 そんな彼女たちのもとへ、笑みを浮かべた男性が歩み寄る。結えるほど長い黒髪が揺れる。眼鏡の奥で目尻は緩くアーチを描き、少し土汚れのついた白シャツはよれていた。シエタは彼を見て慌てた。


「わっ、ハイド。その、これは……」

「良いんですよシエタ。メリーの魔法の練習に付き合ってくれたのですね」


 彼は洗濯かごの方へと向かい、一つシャツを手に取ると、“ばさっ”と広げた。


「ただ洗濯物は、干す前に皺を軽く伸ばしてくださいね。生地がよれてしまいます」

「は、はーい。すみません」

「ああそれと、少しシエタとお話があります。メリー、君は他の子のお手伝いに行ってくださいね、お願いしますよ」

「はーい」

と、メリーは孤児院の中へと駆けて行き、その場にはハイドとシエタの二人が残った。

 彼は手に持っているシャツの皺を軽く伸ばすと、ハンガーにかけた。シエタもそれを真似て一枚シャツを干す。


「魔法はどうですか、シエタ」

とハイドは切り出した。

「へへ……その、やっぱり使うのはちょっと難しいかも」

 シエタは手に持っていたタオルを柔く握り、皺を寄せる。


「長持ちしないし遠くに届かないの。洗濯籠から物干し竿まで持たないんだもん、洗濯物持って歩いた方が早いでしょ。徒歩以下の魔法だよ、あはは……年下のメリーよりも、弱かったし……」


「素質は人それぞれ、成長速度も人によりけり。最初に魔法を教えた時より、ちゃんと上達してますよ」

「……でも、私は魔法に向いてないよ」

「おや、そうですか?」

「なんとなく分かるもん、向いてないって。分かるもん……」


 シエタはしょげた声色で話を終えた。しかし、ハイドが首を振る。


「私はそうは思いません――」

「えっ?」

「ああいえ、君が魔法の行使の才能に溢れていると言うわけではないです」

「もう、じゃあ何?」シエタは少しむくれる。

「もし君が帝國兵団に入りたいなら適性を考えた方が身のためです。けれど、魔法は“行使する”ばかりでなく、“作る人”もいます。“読み解く人”もいます。いろんな人が関わっていますから、魔法の全てを諦めることはないですよ、と言いたかったのです」


「作る人と、読み解く人……?」


「戦士になれずとも、作る人や読み解く人になれます。彼らは、ほんの少し魔法がに使えるだけでも十分です」


「そうなの……? そうなんだ?」

 シエタの表情が少し明るくなる。


「ええ。私は君に魔法を教えてきましたが、君の好奇心と発想力、粘り強さは目を見張るものがある。自分が上手く使えない魔法の理解までも深く、メリーに教えることができる――素晴らしいと思います」


 シエタは照れくさそうにはにかむ。ハイドの孤児院で育った彼女だが、幼い時から魔法への好奇心が強く、難解な魔法も教わってきた。

 才能に恵まれていないのに、それでもめげずに「練習」と言う名の「試行」は止めなかった。

 戦士ではなく、研究者としての適性が垣間見えるものだった。

 

「都に〈クランス校〉という学校があって、魔法がたくさん学べます。どうですかシエタ、その学校に入学してみるというのは。難しい入学試験が課されますし、実力を容赦なく評価する厳しい所ですが、行使の素質だけを評価するのではないのです。そんな世界のほうが、君はふさわしく生きていけるかも」


 シエタは「学校? 魔法が学べるの?」と目を輝かせた。しかし顔を伏せると、でも、と切り出す。


「私すぐ頭がになっちゃうから難しいかも。難しい入学試験に合格しないとダメなんでしょ」

「聡いですね、挑む前から自分なりの難所を見つけられるのは。ただクランス校は懐の広いところです、一度や二度落ちた程度で門戸を閉ざしたりしません。何度挑戦しても良いのです」

「ほんと?」

「ほんと。それに君は十分賢い。どうですか、さあ受けてみましょうよ。私がサポートしますから、ね?」

「……都に行くなら、ここ離れないとだめ?」

 シエタは振り返り、院を見つめた。


「今生の別れじゃありません。いつ帰ってきても良い。けどね、一度クランス校を散歩するだけで君はあそこに惹かれると思います。君は絶対、

「むー…」


 シエタは、しばらく考えた。「――じゃあやってみる。学校行ったら魔法がもっと学べるんだよね!」


 シエタの目は輝いていた。好奇心に手招かれて軽やかに、ひたむきに動くのが、彼女の特徴である。


「ええ! クランス校には、門外不出の秘術もあると言います。いずれ私よりもずっと物知りになれますよ」

「ハイドよりも?ホント!?」シエタは驚いたような顔を見せた。「すごい!私、頑張る!」


 それから一年ほど、さらに魔法の勉強に励んだそうだ。

 クランス校の入試問題は公開されないが、告知によれば「一般魔術書テキスト」に基づく筆記試験のみが課される。

 教材はハイドが選び、勉強の中で、シエタは努力の成果を一冊の手帳にまとめた。それは彼女だけの参考書になり、まるでお守りのように抱えて、シエタはクランス校の受験へ出向く――


「行ってらっしゃい、シエタ! 頑張るのですよ!」

「うん、行ってきます!」


 

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