眩惑の白山-離散-

真横に生えた木々と白い壁に晴れた空。冷たい地面から体を起こせば、世界は元通りになる。

全身についた雪を払い落し辺りを見回せども、そこは見知らぬ土地。右を見ても左を見ても、自分達が下にいて、高いところから転がり落ちてきてこと以外はまったくもって見分けがつかない。


「ッペ! おいアハタのおっちゃん無事か! 他のみんなも!」


呼びかけに答える声はなく、恐ろしいほど静かな時間が過ぎていく。

そして立ち上がった時だった。積もった雪を一本の腕が突き破り現れる。龍雅が急いで雪を掘り返すと、そこにはアハタが埋もれていた。

大惨事に巻き込まれたとは想像できないほど元気そうな姿に彼は安堵のため息を漏らす。


「悪運がつえぇなあんたも。他の人は?」


「掴んでやしたが途中で放しちまって……!」


「そうか……」


再び周囲を見回す。風は先ほどとは打って変わって吹いておらず、無風に近い状態。しかし鋭いほどに冷たい空気は変わっておらず、一刻一秒を争う状況だった。


(ここは一応平地だ。転がるにしたってそこまで遠くに行くはずがないし、木で止まる事だって考えられる。けどこの雪の絨毯を剝がすのは時間が掛かりそうだな)

(いくら寒い所に来るったって雪に浸かる想定なんてしてねぇだろうからな。……フェイカー)


(いいのか? 一応はドラゴネクターであることを隠しているのだぞ)


(人様の生き死にが関わってんだぞ。んなしょうもない事どうだっていいだろ)


(……なるほど。まぁ、無理もないか。出るぞ)


龍雅の背中から飛び立つと、その二つの翼を力強く振るい雪を吹き飛ばした。突如として現れ、彼の中へと戻っていく赤い竜にアハタは驚きの声を上げる。


「りゅ、竜!? やっぱ旦那もドラゴネクターだったんですかい!?」


「……まぁ、訳ありってやつだ。つーか感づいてたのかよ」


「そりゃ……ちょっととはいえ、荷を載せた馬車を持ち上げる人間なんて居る訳ありゃしませんから」


(言われてみりゃ確かに……軽率だったか? まぁ今はとりあえず)

「見えてるのを助ける。おっちゃんも大丈夫なら手伝ってくれ」


幸運にもアハタ以外の仲間達も無事見つかった。全員命に別条は無さそうであったが腕や脚の骨を折れており、雪道を歩くには厳しい状態であった。

生えていた木を引きちぎって作った粗雑な添え木を怪我人達につけ終えると、二人は今後の事について話しだす。


「とりあえずどうするよ。目印になるなんかでもありゃマシなんだろうが、あいにく俺には土地勘がねぇ」


「とにかく風を避けられる場所見つけて火を起こしやしょう! このままじゃ全員凍えちまいやす!」


(真上に飛ぶだけなら接続を切らずともよさそうだ。我が見てこよう)


今度は小さな姿で現れ飛び立ったフェイカーはしばらくの間、周囲を観察して吉報を持って降りてきた。


「あちらの方向に大きな岩がある。もしかしたらそこに獣が使った洞窟があるかもしれぬ。距離もそこまでない」


「だったら決まりだな。おっちゃんは腕を怪我してる人の世話してやってくれ。俺は脚やっちまってる人を担いでく」

「……ロザーナ達と合流するのが優先になりそうだな」


「分かりやした! 行くぞ、みんな!」


六人は寒さを凌ぐ場所を求め、歩き始めた。



※  ※  ※



「……イ! ……ルイ!」


姉の声でルイ・アズリーラは目を覚ました。まず目に入ったのはヒビのような影が映る真っ白な天井で、彼はそれがいったい何なのかを知っていた。


「蔓で補強したアイスドーム……ここは?」


「分からないわ。とりあえず身を隠す為にを作ったけど……大丈夫? 痛む所はない?」


「それなら大丈夫だよ。リューガさんとアルバさん達は?」


「そっちも分からない。彼はあの商人さん達を助けに行くって言って消えて行っちゃったから……」


「そっか……とりあえず火を起こそう。体を温めないと」


手頃な太さの枝と木くずを集め、ドラゴネクターの怪力で作った火種を放り込めば、パチパチと音を立てて燃え上がり始める。

火を囲む二人と一匹は冷静に現状を整理し始めた。


「全員バラバラになって遭難状態。かつ外には僕達を襲ったアイツがまだ徘徊している可能性があって迂闊には動けない」


「最悪に近いワネ。ルイ、襲ってきたものがなにかは分かっているのカシラ?」


「……信じたくはないけど、たぶん竜だよ」


「竜ってそんな……人を意図的に襲うのは居ないって教わってきたわよね!?」


「だから信じたくないんだ。でも、僕でも感知できないほどの量と濃度のマナに紛れての闇討ち……そこまで練度の高い魔法でもなかった」

「なにより一瞬だけ見えた影……間違いないよ」


それまで落ち着いた雰囲気であったクーラは、焦燥を感じさせる声で呟いた。


「もし、意図的に襲う個体であったなら……五十年前の戦争に逆戻りヨ。もしかしたら先に来ていた使者達も……ローザ」


ドームの中は重苦しい空気に包まれ、嫌が応にも想像を超える最悪の可能性と向き合わねばならない中、この任務のリーダーに任命されていたロザーナは頬を叩いて気合を入れ直す。


「今取れる選択肢は二つ。彼が事前に話しておいたはぐれた時ので居場所を教えてくれるのをここで待つか」

「それとも、出発前にアルバさんから言われていた唯一の目印であるマジェスタス山の山小屋に向かって合流を期待するか……どっちにする?」

「因みに私は選ぶなら後者よ。土地勘のある人間と一緒にいなきゃ三人とも迷子になっちゃうわ」


マジェスタス山。それはいくつもの山があるアルテニュレス地方で最も標高が高く威厳に満ちた山であり、冷静さを保ててさえいれば目印にもなるこの地方のシンボルとも言える山であった。

燃える焚火を眺めながら、ルイは自分の意見をゆっくりと述べ始める。


「僕もそう思う。それにって、リューガさんの魔法を僕と姉さんが感知してそこへ行くか、フェイカーに見つけてもらうかの二択でしょ?」

「リューガさんとフェイカーだけならともかく、他の人と一緒にいて見つかる危険性を考えたらその手段はとらないと思うんだ」


「だったら決まりネ。ではここでもう少し体を温めマショウ。冷えてると私の魔法の精度が落ちてしまうワ」


「ところで姉さん」


「何かしら?」


「その……今聞くことじゃないかも知れないけどさ。リューガ・アズリーラってなんだったの? 少なくとも僕は聞いてなかったよ」


「あぁ、それ……聞いちゃう?」


ルイの質問に少し気恥ずかしそうに、それでいてばつの悪そうな顔で頬をかきながら彼女は答えた。


「事前に養子の弟が居るって情報はあったから、同じ感じで養子の身内ですって言えば怪しまれないかなと思って……」


「それは別にいいけど、なんで教えてくれなかったの?」


「……ドラゴネクターだし、いつかこういった役回りが来るのは分かってたんだけど……緊張で頭が一杯で二人に伝えるの忘れてた」

「待って! 私が悪いけどそんな酷い目で見ないでよ!?」



※  ※  ※



一方その頃、岩まで辿り着いた龍雅はその巨大な岩壁を両手を使って掘っていた。怪我人に極寒の環境を考えると、周りを調べている余裕がないと判断したためだ。

冷え切った金属のような質感の強固な岩もマナイトの手甲とドラゴネクターの力をもって握れば、まるで豆腐のように脆く削れていく。身長約百八十六センチメートルの彼が掘った横穴は、横になって焚火をするには十分なスペースを確保していた。火を囲みながら暖をとる最中、誰かが呟く。「腹が減った」と。

アハタ達は薬草をいくらか採って早い段階で村に帰る算段だった為に碌な食料を持ってきていなかった。そして龍雅の居た捜索隊の食料は護衛の一人であるオクルスが持っていたので、その場で食料と呼べるのは魚の干物を薄くスライスした物だけだった。


「そんな事言ったって、俺らにはこれしかねぇ。これが尽きる前になんとか村に帰らねぇと……」


「……よし。火はあるし、魚でも釣れば焼いて食えるだろ。俺が行ってくる」


「えぇ!? リューガの旦那、それはちょいと無謀じゃ……」


「けどそうしねぇとここで全員飢え死にだぞ。自分の命なんて惜しくもねぇが、こんなつまらん死に方は勘弁だし、あんたら死なせるのはもっとごめんだ」


なんとか言い返そうとするアハタだったが、どうしよもないこの状況に口をつむぐ他なかった。そうして立ち上がり穴から出ようとする龍雅の体からフェイカーが顔を出し制止する。


「我もその意見に賛成ではあるが焦るな龍雅。アハタとやら、なにか目印になりそうな物を持っていないか」

「ここは少し木の間隔が開いている。目立つのを避けるためにも極力飛びたくはない」


そう言われアハタはハっとした顔で荷物を漁りだすと、いくつかの杭と真っ赤な紐を手渡してきた。


「こういった遠出の時は必ず持ってくる道具達のひとつでさぁ。こんだけ真っ白な景色なら赤は目立つってもんですぜ」

「木に打ち付けて紐を縛って繋げば、順路が分かりやす!」


「いいもん持ってんじゃねぇか。じゃ、借りてくぞ。火は絶やさねぇようにな」


「勿論でさぁ。それじゃリューガの旦那、お気をつけて! ……あ、でも命が最優先ですぜ! 生きてりゃチャンスなんていくらでもありやすから!」


(生きてればチャンスがある、か……)

「……おう。あんがとな」


商人達から離れた龍雅は目印を打ち込みながら水辺を求めて山を進んでいく。しかし何も見つからぬまま三十分ほど彷徨い、新たな杭を打った時だった。

顔の皮膚がつねられていると感じるほどの尋常ではない殺気や気配が、彼の元に届いてきたのだ。


「なんだ……!?」


(マナの探知とは違うこの感触……そなたのものか。便利よな)


「呑気な事言ってる場合か……!」


殺気のする方向ヘ忍び寄っていくとそこは崖になっており、下には複数の人影があった。茂みから顔を判別しようと目を凝らすと、予想外の人物がそこには居た。


(龍雅! あの者達は!)


(行方不明になってた村長一家! それを囲んでるのは……)

(デチューンドラゴネクター……!)


アルバ達の服装と似た柄の破れた布を纏った六匹の怪物デチューンドラゴネクター達は、研ぎ澄まされた刃物のような爪を向けて一家へとにじり寄っていく。

怪物達の視線の先にいるプリムス・ハスタムは腕から血を流し、フォルティスとティグリズがそれをかばいながら槍と弓を構えて応戦しようとしている。まさしく絶体絶命と言える状況であった。


(お互いに不幸中の幸いって奴だな。行くぜフェイカー! フル装備で初の実戦だ!)


(鎧を着けているとはいえ油断はするな。龍雅!)


内心の興奮を表すように、彼は木々を蹴って高く高く昇って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る