眩惑の白山ー入山ー
アルバから振舞われた鍋を食べ終え、宿泊小屋に連れてこられた三人は一息ついて荷物を広げていた。龍雅は木の葉が詰められた布の寝床の感触に慣れようと早々に横になっていたが、ロザーナとルイはどうにもリラックスしている様子ではなかった。
「浮かねぇ顔してんな二人とも、なんか……」
龍雅の問い掛けをロザーナが人差し指でシーッ、と落ち着いた表情を崩さず制止する。彼は即座に口をつぐみ周りを見回すが、あるのは木でできた壁と枯れた草や枝を詰めた天井、そしてランタンと深く掘られた穴の焚き火から漏れる明かりだけであった。
頭上に疑問符が浮かびそうなほどきょとんとしていた彼の中でフェイカーが説明し始める。
(恐らく二人は周囲に居る監視者の数を把握している。我の感知範囲からしてすぐそこに居るようではないが……)
(監視ねぇ……もてなした相手を信用してねぇって事か。世知辛いぜ……まったく)
(有用な判別方法が無い以上は仕方あるまい。あちらからすれば、こっちがデチューンドラゴネクター御一行と考える事もできる。そして……)
(その逆もまた然り《しかり》ってか? ったく、おちおち安心して寝てもいられねぇぜ)
(我も勘違いとすれ違いである事を願っている)
そこで静かにしていたルイがロザーナの無言のサインと共に動き出す。
「……コーティング・ウォーター」
ルイの詠唱と同時に床や壁へ薄い水の膜が張られていく。それは器用に火や寝床を避けていくと、あっという間に室内を覆いつくした。
ロザーナは深く息を吸って吐くと現在の状況を説明し始めた。
「はぁー……これでひとまず話はできるわね。これは水を物体に被せる魔法なんだけど、副次的な効果で内側からの音が漏れにくくなるのよ」
「おかげで外から聞き耳を立ててもまともに聞き取る事はできない筈よ」
「簡単に相手を信じられねぇってのはつれぇな。で、何について話すんだ? これからの予定か?」
「それもだけど……さっきのアルバ村長代理の話、どう思う?」
「どうって……そりゃ大変だな、としか言えねぇな。早く家族を見つけてやりてぇけど、どうなるやら」
「……最悪な選択肢を想定して動く。その考え方に則るなら、このアルテニュレス全体が敵の手に落ちている可能性も十分にあると私は思ってるわ」
「敵のやり方が完全に分かってない以上は、アルバ村長もこの村の人々も敵の可能性はある」
「おいおい、おっかねぇこと言うなって……」
恐ろしい可能性に龍雅の顔が強張る。もしそうであるならば彼らは四面楚歌の状態であり、一晩を明かす事すら叶わないかもしれないからだ。
考えすぎとも言える姉の想定に対し、ルイは現実的な想定を出す。
「それは行き過ぎだと思うけど、敵が潜んでいる可能性は十分にあると思うよ」
「リューガさんを
「でも今んとこ動機が分かんねぇぞ? オズマールの方はどうにも俺を恨んでたみたいだけどよ」
「実は……リューガさんが来てちょっとしてから彼は襲撃の裏にはあの男が関わってるって、みんなに言いふらしてて……」
「信用されるわけないと思っちゃいたがそう言われると結構傷つくな……」
「ま、いずれにせよだ。ここの村長の……えぇと」
(プリムス・ハスタム、だ)
「そうそう、そのプリムスさんって人と奥さんと弟を見つけるしか今はできねぇんじゃねぇか? もし生き残ってるなら、先に来た使者達も迷ってるだけで匿われてるかもしれねぇしな」
どちらかといえば前向きな龍雅の考えにルイは頷く。一方、ロザーナは使者の代表としてどう考えるべきかに悩み、神妙な面持ちであった。
(考えられる可能性はいくらでもあるけど、私達の現状からして影響がありそうなものは大まかに三つ)
(一つ、この地方や村に裏切者は居ない)
(二つ、その逆……全員が敵対者になっている)
(……三つ、誰かがこの村に来る前に使者を殺し、皆を騙して今も潜伏している。敵なら私達の事は知ってるでしょうし、監視されてるかも)
(もしそれがあのアルバさんだったら? でもそうなると生き残らせる理由のない家族を逃がした事になる……)
悩み続ける彼女に心中の友人、クーラがそっと語りかける。
(ローザ、悪い可能性を考えて対策を練るのは良い事ヨ。でも、悪い事ばかり考えすぎていたら気が滅入ってしまうワ)
(最悪の可能性は私が貴女の中で警戒しておいてあげるワ。だから貴女は希望のある考えで行動してチョウダイ。潜伏者が居るならそっちの方がバレにくいはずヨ)
(いざとなればフェイカーも居るワ)
(……そうね。ありがとう、クーラ)
「じゃ、どうしましょうか。吹雪が来るなら、外に出る用事は早めにしておいた方が良いわよ?」
「あ、それならよ……」
※ ※ ※
小高い場所にある迎賓館の近くにある来客用の宿泊小屋を出発し、坂を降りて
扉を開ければ備え付けられていた小さなベルが鳴り、店の奥から見知った人間がやってくる。
「おぉ! リューガの旦那方じゃありやせんか! ようこそ、あっしらのサマーエン商会へ。なにがご
「山で必要なもん買いに来たんだけどよ。ここに置いてるか?」
「そりゃもちろん! ささっ、どうぞこちらへ」
「ビンゴだな。言ったろ? ここになら置いてあるだろうってな」
「そうね。現地の物ならより効果的かも……二人とも、予算はツォール金貨十枚ぐらいだから気をつけてね」
そう言うとロザーナは一人離れて大量の植物が展示された棚を物色し始めた。
ルイと龍雅の二人はアハタに案内されるまま衣類のある一角に来ていた。そこには現地の人間が着ているような動きやすさと暖かさを兼ね備えた毛皮の上下一式や、靴底に金属質なトゲがつけられた履物などが置かれている。
「これは獣の皮を数枚重ねて作ったここの伝統衣装を参考に作った防寒着でさぁ。薄いのにしっかり寒さから守ってくれる上に動きやすいときた優れモノ!」
「こっちの靴はここで使われていた滑り止め付きの物を改良した自慢の商品! これで歩けば硬く凍った地面でも滑る事はありやせんぜ!」
「靴の方はこの鎧に爪がついてるからあれだけど、その全身タイツみたいなのは良いな。ルイは両方買った方が良いんじゃねぇか? 暖かいけど動きづらいだろ、それ」
「確かにそうですね。一応ガイアルドで渡された釘付きの靴はありますけど、こっちの方が良さそう……この二つ貰えますか」
「まいど!」
「んじゃ俺はこの上下を……ん?」
龍雅がふと視線を向けた先には大きな肖像画が飾られていた。一人はアルバ・ハスタムであり、その横にはアルバとよく似た白い肌と髪に水色の瞳を持った女と、黒く長い髪を紐で結った顔にいくつもの傷があるアルバとよく似た目をした屈強な男。さらにその横に他の三人の誰とも似ていない一番背の高く、精悍な顔つきに黒く尖った髪型が特徴の男の四人が描かれていた。
「なぁアハタさんよ。ありゃ家族写真……いや家族絵か?」
「あぁ、あれですかい? そうですぜ。ここで村長してるプリムス様一家の絵で、ここに来たいって絵描きが居たもんですから連れてきたついでに描かせたんでさ」
「へぇ……じゃああんたとは仲が良いのか、村長様一家は」
「そりゃここに店出すのに許可がいりやすからね。仲良くさせてもらってますぜ」
その言葉にフェイカーが反応する。
(ふむ、ちょうどいいな。もし家族内で確執があればアルバ・ハスタムが村長の座を欲しさに裏切る可能性が出てくる。我は表に出られない、聞き出せ)
(
「どんな人なんだ? 本当の村長のプリムスサマってのは」
「見た目はおっかねぇですが、柔軟で冷静で穏やかな人でさぁ。村の皆からも慕われていやすし、アルテニュス連合の長になるのも納得ですぜ」
「奥様のフォルティス様はいつも微笑んでるとびっきりの
アハタは周囲、特に窓の外を見ながら囁くように続けた。
「ちょいと怖いところといいやすか……雰囲気がある人でしてねぇ。いっぺん子供が仕留め損ねた
「まぁでも良い人なのは間違いありやせんぜ! 芯のある強さを持った人でさぁ」
「残りはアルバ村長代理で、じゃあもう一人が……」
「弟のティグリズさんですぜ。確か一家が獣に襲われて、唯一生き残った赤ん坊をプリムス様が引き取ったんだとか」
(なるほど、それで似てねぇのか)
「義理の兄弟ってことか。仲は良かったのか?」
「ここでも特にですぜ。あっしはこの人をちっちゃい頃から知っていやすが昔っからアルバさんの後について行ってて、アルバさんも熱心に色々教えてたみたいでさぁ」
「あの災いが起こる直前に一回ここに来やしたがその時も、自慢の弟ですって言ってましたぜ。いやぁ、良いもんですね! 仲がいい家族ってのは!」
「……あぁ、そうだな。……本当に」
(どうした龍雅。心がざわついているぞ)
(うっせ。とりあえずアルバ側に野心みたいなものは今んとこねぇ感じだな。隠されてたら分かんねぇが……)
(それを言ってはキリがないというもの。とりあえずはこの事を後でロザーナに伝えておこう)
龍雅が再び何かを聞こうとした時、後ろから大量の草の束を持ったロザーナが声を掛けてきた。二人が振り向くと、窓ガラスから見える外の景色が不穏な色になっていた。
「二人とも! なんだか急に天気が悪くなり始めたから早く買って帰るわよ」
バタバタと会計を済ませて外へ出ると、強い風がむき出しの顔を殴りつけるように吹いており、三人はそそくさと小屋へと戻っていった。
※ ※ ※
翌朝、三人とアルバとその護衛達はバリケードのように倒された木々の前に立っていた。ロザーナが蔓を操り軽々と木をどけていく様子を彼らだけではなく、意外な人物も見ていた。
「しかしあんたまでついて来るとはな。アハタさん」
「今回来たのはここでしか採れねぇ薬草を採りに来たからでさぁ。こんだけ人数が居るなら安心できるってもんですぜ」
「お前ら、迷惑はかけるんじゃねぇぞ」
アハタは大きな鞄を背負っており、同様の恰好をした仲間を数人引き連れている。やがて木が全てどかされると、まるで同じ絵を何枚も貼り付けてできたような奇怪な雪景色が見え始めた。
アルバは先頭に立つと、三人へ向けて警告を発する。
「お気をつけください。この山の木は均等に近い感覚で生えるという特徴がありまして、慣れない人間が入るとどこを見て同じ景色に見えて自分がどこに居るか分からなくなってしまいます」
「そこでついた名が
覚悟を決めたように頷くと、プリムス・ハスタム捜索が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます