凍える大地、凍えぬ絆ーアルテニュレス編ー
銀世界へ
アルテニュレスへの視察を命じられた龍雅、ロザーナ、ルイの三人は数日間の準備を済ませ、王都を取り囲む壁の東門で八番隊が来るのを待っていた。
雲一つない朝焼けを眺めながら龍雅は言った。
「しっかし晴れてよかったなぁ。絶好の旅日和だぜ」
「観光気分はやめてよね。王命受けてるのよ」
「分かってるって……ルイ、迎えの人ってのは来てるか?」
「ちょうど来たみたいですよ。ほら、あの巨大な……」
そう言って彼が指した方向から、巨大な岩のような何かがのそりのそりと歩いてくる。建物の影を抜け、日の光に照らし出されたその姿は、まごうことなき竜の物であった。
外敵の接近を拒む刺々しい甲殻が全身を覆っており、その巨体を支える四本の脚はさながら巨木の幹をまるまる使った木槌のようである。
だが威圧的な容姿に反し、その表情は穏やかなものであり、起きているのか眠っているのか分からない半開きの目からは何かを害そうという敵意は微塵も感じられなかった。
竜は未だに舗装されていない砂利道をその太い足で踏み固めながら龍雅一行の前までやってくると、ゆっくりと地面に腹をつけリラックスし始めた。
そこへ一人の人間が降り立つ。見慣れた軽装に黒く美しい長髪を高い位置でまとめ、切れ長の目からはどこかさっぱりとした雰囲気が醸し出されている。
彼女は三人が揃っていることを確認すると、爽やかな口調で挨拶した。
「どうもお三方! 今日は私が途中まで案内させてもらうよ」
「その声……こないだの騎竜兵の姉ちゃんか!」
「ご名答! さ、乗って乗って。吹雪が酷くなる前にスーベモンテに着かないと大変な事になるからさ」
「……スーベモンテ?」
急かされるまま梯子で竜が背負っていた箱のような場所に乗りこんだ三人は、朝日を背にガイアルドを後にした。
※ ※ ※
日もすっかり昇って心地よい風が吹き始めた頃、一行は鬱蒼とした森の中を進んでいた。
竜は石と木の根でデコボコとした道をまるで気にもせずに、ずんずんと歩みを進めていく。龍雅はその力強い行進に思わずため息を漏らす。
「すげぇな。最初は馬で行くもんかと思ってたが、確かにこれなら馬よりも早く着きそうだな」
「馬はもっと荒れてない道向けね。あと、竜が通れないような狭い道だとか」
「……そういや俺らが今から行く所ってアルテニュレス、なんだよな?」
「でもそこのマルチナさんとやらからはスーベモンテって場所に行くって聞いたけどよ。いわゆる中継地点ってやつか?」
こいつは今更何を言っているんだという表情で龍雅を見つめるアズリーラ姉弟であったが、ロザーナが何かに気づいてハッした。
「そういえば貴方にアルテニュレス地方について説明した記憶がないわね」
「……アルテニュレスっていうのは二つのものを指す言葉よ。一つはこれから行く寒冷地方全体の事で、もう一つがアルテニュレス連合国の事」
「連合国? じゃあいくつもの国が徒党をくんでんのか?」
「国じゃなくて村ね。五十年前の騒乱の影響で危機感を覚えた各村の代表者達が合意した上で陛下とサタマディナの王が承認した事で、一つの国としても扱われるようになったそうよ」
「そしてこれから行くスーベモンテはアルテニュレスの首都ってところね。山の麓にあって、あの地方じゃ一番人が住むのに適した村よ。大きいしね」
「五十年前って例の竜のやつか。影響ありすぎだろ」
(言ったであろう? 種の存続を賭けた絶滅戦争間近だったと……あれを境に何もかも変わったのだ)
(事あるごとに出てくるし、俺がここに来たのもそのせいだったりしてな)
(だとすれば……厄介よな)
「あ? どういう……うぉおッ!?」
そのとき急に
龍雅はすぐさま体制を立て直すと、運転手へと不満を漏らす。
「おいおい急停車は止めろよ! 首がグッてなったぞグッて!」
「あはは、ごめんごめん……でもあそこ見てよ」
「あそこ?」
そう言ってマルチナが指を向けた先には数頭の馬がおり、大きな馬車の周りには数人の人間がたむろしていた。その動きは何やら困り果てたといった感じのもので、少しではあるが怒鳴るような声も聞こえる。
「なんかあったのか? 立ち往生してるって感じだけどよ」
「気になるんだよねぇ……ロザーナ様、行っても?」
「私は別に良いわよ? それと様はやめてよ。落ち着かないわ」
「一応、立場ってものがあるもんだからさ。それじゃ、ちょっとトばすよ! ハイヤッ!」
彼女の号令に合わせ竜は少しだけ速く走り始めた。動きこそ少しだけだが、その巨体から繰り出される速度は想像を絶するものであった。
あっという間に目的地まで辿り着くとマルチナは爽やかに旅人達へ声を掛ける。旅人達は最初、この世の終わりを悟ったような表情をしていたが、やってきたのが善良な人間であると気付くと一気に安堵の表情になった。
彼女の後に続いて龍雅も降りる。彼は馬車を一瞥すると、彼らが悩まされていた問題の正体にすぐ気づいた。
「車輪が完全に逝っちまってんな。あんたら、これで立ち往生してたってか?」
「へ、へぇ! そうなんですよ! デカい岩に引っかかっちまいやして……」
そう答えるのは中でも一番背が低いネズミのような禿頭の男。その容姿に反して着ている服は落ち着きながらも煌びやかさを感じる、そんな上等な物であった。
「あっしはアハタ=サマーエン・マンシーって言いやす。サタマディナで商人をやらせてもらっていやす」
「旦那方は一体どこの……?」
アハタと名乗る男の質問に対し、龍雅は背後に居るロザーナに目配せする。彼女は少し考え込むような素振りを見せると、それまで外套で隠してあった腕章を彼に見せつけた。
「私達こういう者でして……事情は言えませんが、何か手助けできることがあれば手伝いますよ」
(ガイアルドの紋章……! 更にそれを囲むような竜の意匠って事はドラゴネクター……! どうにかして恩のひとつでも売っときてぇけど、今は無理ってやつだな)
「いえいえ! わざわざドラゴネクター様を手間取らせるような……!」
断るような話しぶりだが、その目線は切実に壊れた車輪に注がれていた。
その様子を見かねた龍雅が一つの案を出す。
「なぁ、商人さん。あんたらこれからどこ行くんだ?」
「あっしらはこの先にあるスーベモンテの拠点に行くんでさぁ。この商品を届けて、あっちの
「つまりこれから寒い場所に行くってこったぁな。なぁ、ロザーナさんよ」
「何かしら?」
「あんたも氷の魔法使えるんだろ? クーラの植物の魔法で車輪を巻きつけて氷でガッチガチに固めたら応急処置ぐらいにはなるんじゃねぇか?」
「寒い場所なら氷も長持ちするだろ。ここの空気もだいぶ涼しいしよ」
「良いわね、それ。でも氷の強度はルイの方が上だから、そっちはあの子に任せましょうか」
「ルイー! ちょっと降りてきて! 貴方は馬車を持ち上げてちょうだい。すぐ終わらせるわ」
「あいよ。それじゃちょっと失礼」
彼は軽々と馬車を持ち上げ、そこへロザーナが壊れた車輪を片手にやってくる。彼女が念じると車輪の内側から蔓が生え、割れた部分を引き寄せる。やがて蔓は車軸にもしっかりと食いこみ、ちょっとやそっとの力ではびくともしないほどに固定された。
そこへダメ押しと言わんばかりにルイが魔法を掛ける。
「アクアチェーン……フリージング!」
蔓に沿うように流れた水は美しく凍りつき、先ほどまでの壊れていた姿が想像できないほどに修復された。
その光景にアハタはすっかり治った車輪を回しながらため息を漏らす。
「こいつはァすげェ……壊れる前よりも頑丈になってるんじゃねぇですかい」
「いやぁ、ありがとうごぜいやす! これでいつでも出発できますぜ!」
「良いってことよ。んじゃ俺達は先を急ぐから……」
「あぁっ! ちょっとお待ちくだせぇ!」
そう言うとアハタは懐から真っ黒な板が取り出され、龍雅の手へとねじ込まれる。彼が困惑していると、アハタは早口で説明し始めた。
「心ばかりの礼ってやつでさぁ。そいつは割符って言いまして、店においてある片割れとぴったりハマれば安く商品が買える特別なもんでしてね」
「良いのかよ。結構いいもんじゃねぇか」
「お気になさらないでくだせぇ。ここで立ち往生し続けてたら死んでたかも知れねぇんですから」
「あっしらはもうちょい馬休ませてから出ますんで……ほんと、世話になりやした」
安心しきった表情で荷物をいじり始めた商人達を背に、龍雅達は再びアルテニュレスを目指して歩み始めた。
※ ※ ※
背の高い木々が見えなくなり、砂利と雑草ばかりが生えた殺風景な道をしばらく進んだ頃だった。
強い風が吹き、龍雅達のいる場所に寒冷地に近づいたことを告げる小さな招待状がやってくる。
「つめてッ! ……雪か」
「ってことはもうすぐで現地の迎えとの合流地点ね。そろそろ防寒着来た方が良いわ。はい」
木箱から取り出された厚手の服を身に纏い、三人は眼前の環境に備える。
防寒着の暖かさに感動を覚えていた龍雅ヘ、フェイカーが愚痴を零す。
(いよいよか……そなたら人間は後から皮を纏えるから便利よな。その点は本当にうらやましい)
(お前、ひょっとして寒いのは苦手か?)
(ほとんどの竜は苦手だ。あぁ、思い出すだけでも忌々しい……この甲殻の隙間から入ってくる、あの身を引き裂くような北風をまた感じねばならんのか)
(俺の中にいれば寒くはねぇだろ。あんま外出るんじゃねぇぞ)
荒れた道を抜けると、雪化粧をした世界が一行を出迎えた。
目印がなければ今どちらを向いているかも分からない恐ろしくも美しい自然の中で一行は迎えを待っていたが、いくら待っても案内人が来る気配はなかった。
マルチナは風が強くなる中、苛立った様子で辺りを懸命に見渡す。
「吹雪にあったら立ち往生じゃ済まないっていうのに……! この子もお腹壊しちゃうよ。まったく!」
「俺達だけで行く……ってのは無謀か」
「ここで迷ったら雪の下で氷漬けになっちゃいますよ。リョーガさん」
「ヒーッ! そいつはお断りだな」
「……変ね。ここの恐ろしさは現地の人が一番分かってるでしょうに」
「とにかく、今はなんとかしてスーベモンテに行かなきゃ……マルチナ、その子はダメなの?」
「寒いとこだけはダメなんだよ。数歩でも進んだら凍えて動けなくなるよ」
「困ったわね。どうしたものかしら……」
「あれ、ガイアルドの旦那方じゃねぇですか! こんな寒い場所でどうしやした?」
そこへやってきたのはアハタであった。寒冷地に似つかわしくない薄着で馬車の窓から身を乗り出している。
ロザーナは自分達が置かれている状況を説明すると、アハタはうんうんと唸りながら考え込み、気持ちの良い声で提案した。
「あっしらもスーベモンテに行きやすから、乗っていきますかい?」
「え、良いんですか?」
「さっき助けてもらったお礼みたいなもんでさ。こういう助け合いが商売じゃ大事なんですよ」
「それに迎えってのもここの人間なんでしょう? ここでの過ごし方なら分かってるでしょうから、後でスーベモンテで会えやすよ」
「うーん、でも……」
悩むロザーナの背中をルイ達が押す。
「最優先はスーベモンテへの到着だし乗せてもらおうよ。姉さん」
「俺もそれに賛成だな。一晩かけてこんな場所で干物になるのは勘弁だぜ」
「あとさっきからフェイカーが寒い寒いってうるせぇんだ」
(ローザ、私も早く到着する方を優先すべきだと思うワ。何よりここは寒いノヨ)
「そうね……分かったわ。それじゃお言葉に甘えて乗せてもらいましょうか」
「よろしくお願いします!」
「あいよ! ささっ、乗ってくだせぇ」
案内された馬車の中は小さな倉庫と呼んで差支えないほどに広く、火が漏れないように結界が張られたストーブ擬きのおかげで薄着でも過ごせるほどに暖かかった。
「それじゃ、私はガイアルドに戻るから三人とも気をつけてね!」
「ありがとうね、マルチナ。貴方も気をつけるのよ」
マルチナと別れ、雪道を進みだした一行は安堵のため息をつく。
窓から外を眺めながらリラックスしていた龍雅は、その景色に違和感を覚えていた。
「煙? 誰か野宿でもしてんのか?」
「自然発火かも知れやせんぜ。死んでカッピカピになった植物っていうのはよく燃えやすから、ここじゃわりとよくあることなんでさァ」
「なるほどな。まぁ、気にし過ぎか?」
一行はスーベモンテヘ向けて進んでいく。
彼が見つけた煙の元に、案内人の死体が埋められいるとも知らずに……。
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