追憶ー淀み、濁るー
アンジェロ・ドミンガスが倒れて数か月。彼の体調は一向に良くならず、以前の姿からは想像がつかないほどにやせ細り、ベッドの上で横になっている時間が増えていた。彼の快復を信じ続けるルイ・アズリーラはその日も果物を片手に病室へと足を運ぶ。
「こん……うわっ、凄い量の果物ですね!」
「よう、ルイ。さっき出てった婆さんが持ってきてくれたんだよ」
「あの人にはガキの頃から世話になっててな。早く元気になれってよ」
「あはは……これじゃ僕のは霞んで見えちゃいますね」
「んなこたぁねぇよ。来てくれるだけで嬉しいってもんさ」
「今は昼だろ? 一緒に食おうぜ」
「え、それアンジェロさんのじゃ」
「ありがてぇがこんだけの量を食える気がしねぇんだ」
「腐らせちまうよりマシだろ? 良いから気にすんなって」
彼の提案を受け入れ、少しだけ申し訳なさを感じながらもルイは果物の皮を剥き始めた。なんてことのない世間話をしながら昼食を頬張るアンジェロは、ときどき窓の外を一瞥しては何かを言い出そうとしてやめるを繰り返しており、彼の挙動不審なその様子にルイは違和感を覚えていた。
「どうしたんですかアンジェロさん。なんか様子がおかしいですよ?」
「お、お? そうか? 最近寝てばっかだからなんか変なのかもな」
「……そういや今日はまだやってねぇんだろ? 久々に外に出てぇからついて行ってもいいか?」
「僕は良いですけど……大丈夫なんですか? 寝てた方が良いんじゃ……」
「寝てばっかだと気が滅入っちまうんだ。 医者の爺さんだって良いって言ってくれるさ」
そう言うとアンジェロは目敏く担当医を見つけて許可を貰おうと交渉する。担当医はあまり気乗りのしない様子ではあったが「偶には体を動かすのも悪くはないでしょう」と許可を出した。ただし、診療所内の中庭でという条件付きで。
意気揚々と向かおうとする彼に肩を貸すルイは、その衰えぶりを肌で感じてしまう。かつて鍔迫り合えばあっさりと自身を退けてきたその屈強な体はいまや枯葉のように頼りないものとなり、未だに線の細い方であるルイがその気になれば簡単に突き飛ばせそうな程であった。
中庭に着くとルイは腰のナイフを鞘ごと抜き、準備運動がてらの素振りを始める。その様子を見守るアンジェロの目は衰えた肉体とは対照的に鋭く、強く、以前のままであった。一通り終えたルイに彼は早速アドバイスをする。
「振り向く時の鋭さが良いな。得物もしっかり握れてるし、ブレがない」
「けどやっぱりまだ振るスピードが足りてねぇように見える。そこが課題だな」
「でも途中の突き、ありゃ良かったぞ。足回りは前々から良い方だと思っちゃいたが、また成長してるな」
「あ、ありがとうございます!」
「そんじゃ次は練習試合……! って俺は無理か」
「なぁ、誰か剣技ができる奴は居ねぇか!」
中庭でのんびりと昼の陽気を楽しむ患者達へ向けられた突然の要求を、ルイが慌てて止める。
「アンジェロさん! 相手も居ないですし、ここじゃ流石にできませんよ」
「んな事言ったって、あれが一番分かりやすいんだけどなぁ……」
どうにかできないかと頭を捻るアンジェロと困った様子のルイの背後から、一人の男が近づいてくる。男は目の前のベンチに座っている人物がアンジェロ・ドミンガスである事を認識すると、親し気な雰囲気で話しかけだした。
「アンジェロさん! お久しぶりです!」
「んぁ? お前は……あぁ! ガレアーノんとこの!」
「セルジオ! お前も病院来てたのか!」
鮮やかな赤髪と宝玉のような緋色の眼を持ち、短めの上下から覗く腕や脚はかなり引き締まっており、一目で鍛え上げられている事が分かる。そしてその腰には標準的な長さの剣を携えられていた。
彼の名はセルジオ・ガレアーノ。彼もまたアンジェロから剣技を教わっていた人間の一人であり、ルイとは幼少の頃から付き合いのある友人でもあった。
「日光浴ですか? こんな天気が良い日にはうってつけっすよね!」
「ルイは……アンジェロさんの見舞いか? 行くなら呼んでくれりゃ良かったのに」
「セルジオは何しに来たんだ?」
「俺か? 実はここに知り合いが入っててさ。近くにくる用事があったから寄ったんだ。そしたら中庭でなんかやってて気になったから来たんだよ」
「ちょうど良いじゃねぇか! セルジオ、ルイと練習試合やってくんねぇか」
「えっ!? 今、ここでっすか? 危ないんじゃ……」
セルジオもルイと同様の反応を示していたが、意外にも周囲の人々は歓迎するような雰囲気であった。不思議そうな顔をする二人にアンジェロが楽しそうに説明する。
「ここは爺さん婆さんばっかだろ? 昔は路上で剣を抜いて喧嘩する事も多くてよ」
「周りからすりゃそういうのはちょっとした娯楽だったのさ。だからここの人たちゃ気にしねぇよ」
二人は顔を見合わせ、半ば観念したような表情で得物を抜いて向き合う。
「ルイ! 手を滑らすんじゃないぞ!」
「そっちこそ……! それが飛んだら僕じゃ取りきれないぞ!」
「へへッ! 良い緊張感じゃねぇか。そんじゃ……始め!」
合図と同時にルイが先手を取り、素早い踏み込みからナイフを真っ直ぐと突き出しながら突進する。セルジオはそれを剣で受け流すと、がら空きの脇腹めがけてショルダータックルを繰り出し彼を大きく吹き飛ばす。
「相変わらず軽いな! ルイ!」
「ッく……! まだまだ!」
先ほどまでの迷っていた様子が噓のように二人の攻防は苛烈さを増していく。それを見守る
(やっぱセルジオは体の使い方が上手いな。あくまで剣がメインってだけで手足もちゃんと使ってる)
(それに対してルイは動きこそ良いがナイフでしか攻撃してねぇ。魔法を使うのを制限してるとはいえ……)
「言うべき、なんだけどよ……」
アンジェロが再び目を向けると既にルイが地に伏せ、セルジオが剣を掲げている場面であった。
「おッ!? もう終わったのか!?」
「はぁ…はぁ……! ……ふぅ、俺とルイの勝負はいっつもこんな感じっすよ。やられる時はどっちも一瞬です」
「はぁ……はぁ……! もう一回! もっかい!」
「ハハハッ! やる気があるのは良いけどよ。その前に反省……!」
(嘘……だろ……!? こんな時に……!)
アンジェロは苦しそうに体を抑えると呻き声を上げながら倒れだす。ルイは今度は固まらずにすぐさま彼の元へ駆けつけ、頭が地面にぶつかる事を防いだ。周囲に緊張が走り、職員達も慌てて駆け寄ってくる。ルイの必死の呼びかけにも彼は応えず、職員達の手によって運ばれるその様子を彼らはただ見守る事しかできなかった。
「大丈夫かな。アンジェロさん……」
「信じるしかねぇ……よな。俺たちにはなにもできねぇ」
「ルイ、どうする? 心配だけど俺は家に帰らないと……」
「……僕はもう少し残るよ。できる事、あるかもしれないし」
「そっか……分かった。アンジェロさんが起きたらよろしく言っといてくれ」
セルジオを見送り、しばらく残り続けたルイは午後の修練の為に妙な胸騒ぎと共に診療所を後にした。そしてこの胸騒ぎは的中する事となる。
その日の夜、ルイが翌日に向けて荷物整理をしている最中に父からアンジェロが危篤状態になったとの報せを受けた。息を切らせて病室にたどり着くと、そこには既に見知らぬ顔も含め何人もの人間がベッドの上の彼を見守っていた。彼はルイが来たことに気が付くと、掠れるような声で喋りかける。
「よぉ……すまねぇな……こんな夜…中……に……」
「アンジェロさん……!」
「ハハッ……そんな顔……するもんじゃ……ねぇぜ……」
「良いか……ルイ……それに他の若いのも……俺はもうだめだ……」
「だから……今から言う事……よく聞いとけよ……」
「……人ってのはよ……間違っちまう……もんだ……」
「俺も昔は馬鹿ばっかやって……何回も……ぶん殴られたもんだ……」
「でも……そうやって…殴ってでも止めてくれる奴らが居たから……俺は今ここに……居られるんだ……」
「だからよ……! ……そういう奴らを大事にして頼れよ……そんで……そいつらが間違いそうになったら……今度は…お前らが止めてやれ……!」
「そしたらきっと……また助けてくれる……! そういう奴らが……居ない奴の末路ってのは……ひでぇもんだから……よ」
「そんな奴だけには……なるんじゃねぇぞ……!」
ふり絞るようなアンジェロ最期の教えに多くの者が嗚咽を漏らしだす。自分の手を握りながら大粒の涙を流すルイに彼は視線を向ける。
「アンジェロさん……嫌ですよ……! まだ……!」
(結局……言えねぇなぁ……情け…ねぇ)
(でもよ、ルイ……俺には変な……自信があるんだ……お前はぜってぇ強くなれるって……なんでだろうな……)
「……ルイ。難しいこと……だけどよ」
「強くなれよ……道さえ踏み外さなけりゃ……どんな形でだって……良い…か…」
「アンジェロさん!」
ルイの手を包んでいた微かな力が無くなり、その目が閉じられる。泣きじゃくるルイの横で医者が慣れた手つきで胸の辺りを調べ……アンジェロ・ドミンガスの死を告げた。
その二日後に行われた葬式では国中から多くの人間が集まり、彼の死を悼んだ。そしてこれを境に、ルイ・アズリーラは少しずつおかしくなり始めた。
まず第一に彼はアンジェロがその生涯で唯一弟子にした人物である。周囲は当然の如く期待の眼差しを向け、彼自身もアンジェロの弟子を名乗るに相応しい剣術を身に付けなけらばならないと躍起になっていた。
そして第二にアズリーラ姉弟がドラゴネクター候補として選ばれ、周囲の期待がますます高まった。これによりルイはより責任ある立場に身を置くようになり、生来の生真面目さが災いして無意識に自分自身を追い詰めて続ける事となる。
更に追い打ちをかけるように姉であるロザーナには相棒たる接続竜のクーラが早々に見つかったのに対し、ルイの接続竜の候補は全く見つからなかった事で彼の焦りは募るばかりであり、次第に姉との会話も少なくなっていった。
そして第三に、異世界から現れた謎の人物・天清龍雅の存在が彼の精神にトドメを刺す事となる。その特異な来歴に強制とはいえ接続竜であるフェイカーを与えられ、そのまま自分より先にドラゴネクターとなり、更には大した問題行動も起こさず真面目に修練に撃ち込んで少しずつ評価を上げていくその光景は、ドラゴネクターになれていないというルイのコンプレックスを嫌というほど刺激していた。
次第に自身に欠けていると感じていた剣技に熱を上げ、魔法を疎かしていった彼の心は酷く淀んだモノに変化してしまっていた。だがそれ程までに修練に打ち込もうとも既に開いた龍雅との差は埋まる事がなく、勝手に進退窮まったルイは凶行に及ぶ。
(あの人を負かせれば、僕はきっとドラゴネクターになれる……!)
(アンジェロさんの弟子である事を証明するためにも、魔法は使わない……)
(この剣一本で倒してみせる!)
泥水のように濁った目が、龍雅を見据えていた。
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