追憶-純水なる魔法使い-
ルイ・アズリーラ。彼の物語はガイアルドの魔法使いの一家、アズリーラ家に生まれたところから始まる。
母親譲りの蒼い髪と瞳に父親譲りの切れ長の目を持った彼は、姉同様に豊富なマナを保有しており、これまた姉同様に魔法使いとしての将来が幼い頃から期待されていた。
学校という施設がない代わりに各家庭でコーチを雇ったり、親が直々に勉学を教えるこの国で何不自由なく学びを深めていく中、彼はその後の人生を決定づける憧れと出会うこととなる。
憧れの名は、アンジェロ・ドミンガス。ガイアルドでその名を知らぬ者はいない指折りの戦士であり、国内で多くの人間に剣術の指南を趣味でしている男であった。酒癖が多少悪くはあったが、豪放磊落で親しみやすい性格と剣の腕一本でのし上がった生い立ちから皆に慕われてもいた。
ルイが十二の頃、アンジェロが屋敷に指南役として招かれた事で彼らは初めて顔を合わせた。
「ルイ・アズリーラって言います。よ、よろしくお願いします!」
「おめぇがルイか! 俺がアンジェロだ。今日はよろしくな」
戦士のごつごつとした少し硬い手が、少年の柔らかな手を包む。今まで感じたことのない感触にルイは少しばかり驚いたが、顔には出さずに落ち着きを取り戻す。
魔法使いは常に冷静に。父の教えであった。
「さてルイ、剣の修業はどれぐらいしているんだ?」
「今日が初めてです。ずっと魔法の練習をしてました」
「そうかそうか……じゃ、まずは剣を持つ事に慣れるか!」
子供にはまだアーミングソードは重い、と手渡されたのは小さなナイフ。その持ち手には布がきつく巻かれ、力の弱い子供でも滑らないように工夫がされている。
持ち方に素振りと基礎を一通り済ませると、アンジェロはどこからか取り出したぱんぱんに詰まった小さな麻袋をいくつか体に括りつけ始めた。
「よし、ルイ! 今からそのナイフでこれを斬ってみろ!」
「ただし、お得意の魔法は禁止。一個でも斬れたらそっちの勝ちだ!」
「一個だけで良いんですか?」
「……やれるもんなら全部でも良いぜ?」
「本気で来い! 怪我の心配はいらねぇ。全部避けてやっからよ!」
アンジェロの少し大人げない挑発に彼はむっとする。なにせ彼は、これまで目立った失敗というものを経験した事がなかったのだ。彼にとって与えられた試練や試験というのは、そつなくこなして当然のものであった。それゆえに彼には出来ない事が前提のようなその物言いに、少々むきになりだしていた。
遠慮はいらない。そう言わんばかりにルイは猛然と駆け出し、麻袋を目掛けてナイフを突きだす。
だがやはりと言うべきか、アンジェロは彼の攻撃を軽やかに躱す。突きも、縦も横も死角と思っていた場所からの一撃のことごとくが当たらず、あまつさえ、アンジェロはわざとギリギリで避けるといったパフォーマンスまでする始末だった。
「はぁ……はぁ……! なんで……!」
「経験と年季が違うからな。まだやるか?」
「絶対斬る……!」
「へへッ……いい
昼に始まり、夕方まで続いた攻防はアンジェロの完勝で幕を閉じた。ルイは人生で初めて明確な敗北というものをその身で学び、悶々としたまま眠りについた。
翌日、彼はアンジェロ行きつけの酒場へと足を向けていた。ぷらぷらと揺れる扉を恐る恐る開くと、まだ昼間だというのに体格のいい男たちが大はしゃぎしながら酒をあおっている。
男たちはその場に似つかわしくない少年に一斉に視線を向け、最初はぎょっとしていた。そしてそのうちの一人がおどけた様子で彼に話しかける。
「おいおい坊ちゃん。ここは大人が来る場所だぜ?」
「ジュースが飲みたきゃあっちの通りの市場にでも行っときな! ガハハハハ!」
ルイには一体なにが面白いのかまったくもって分からなかったが、酔っ払いたちは心底楽しそうに大笑いしていた。そこへ尋ね人がやってくる。
「おめぇら、いい大人が昼間っから子供で遊ぶもんじゃねぇぜ」
「どうしたよルイ。お前も酒飲みてぇのか?」
「違います」
「じゃあなんだ? まさか……これの引っ掛け方か?」
そう言って小指をクイッと立てると、ルイは顔を真っ赤にして更に強く否定する。
「ち、違います! 違いますよ!?」
「ハッハッハッハ! その歳でこれが分かるたぁ、ませてんねぇ」
「ま、冗談はここまでだ。なにしに来た?」
アンジェロは一転して真剣な眼差しで問いかける。ルイもそれに応えるように息を整え、ハッキリとした声で言い放った。
「僕を貴方の弟子にしてください!」
そこに居た全員が一斉に顔を見合わせる。誰かが噴き出したのを皮切りに皆が笑い出し、口々に「やめておけ」、「その細い体じゃ無理だぞ」と忠告をする。アンジェロただ一人を除いては。
「そりゃぁ、剣士になりたいってか?」
「……貴方に勝ちたいんです」
「勝つ? 俺にか?」
「悔しかったから……いつか全部斬ってみせます!」
ルイは少し恥ずかしそうにそう言っていたが、その目には確かに強い意思の光が宿っていた。アンジェロはそれを見逃さず、ニカッと笑う。
「そいつは大層な目標だな」
「俺に勝つ、か……おもしれぇ! その目が気に入った!」
それまで笑っていた男たちはアンジェロの返事にぎょっとし、近くに居た一人が慌てて耳打ちする。
「お、おい……! このガキはアズリーラんとこのだろ……!」
「どう考えたって先は魔法使い……! それにこんなにほそっこいと怪我じゃすまねぇぞ……!」
「んだよ。魔法使いの家系が剣士の修練しちゃダメってか ?」
「なわけねぇよなぁ! そうなりたいって思っちまって動いたんだ! 応えてやるのが大人ってもんだろ」
「それに人間の体ってのはすげぇんだぜ? 飯食って鍛えてりゃこのほせぇ体も頑丈になるってもんよ」
彼の言い切るような言葉に、誰もが反論できずにばつの悪そうな顔をする。
その目をより一層輝かせるルイに、アンジェロは続ける。
「けどやるなら
「僕はアズリーラの人間です! やってみせます!」
(やる気はよしってか。まぁ、勢いで返事しちまったがカミロに話は通しとかないとな)
「じゃ、善は急げってやつだ。親父んとこ行くぞ!」
ルイは彼に手を引かれるまま、家へと帰っていった。
アズリーラ家の当主カミロは、友人が自身の息子を連れていきなり剣士としての修練をさせてやりたいという申し出に少なからず驚いたが、二つ返事で了承した。それは考えなくという訳ではなく、例え剣士として大成できずともそこまでの道のりで得た経験はきっと役に立つと信じての事であった。
それから暇を見つけては、彼ら二人は剣の修練に励んだ。最初はどこかぎこちなかったルイも次第に柔軟に動けるようになり、その頼りない細枝のような体も日に日に成長していく。その日々の中で彼はアンジェロを単に打倒すべき相手ではなく、尊敬できる人生の指針として見るようになり、その想いも日に日に育っていった。
時が経つのは早く、彼らが酒場で約束を交わしたあの日から既に三年。その日もルイはアンジェロと共に剣を振るっていた。
(隙が……! 隙を見つけなきゃ……!)
「こういった時の考え事はスピードが命だぜ! ルイ!」
「ッ!!」
咄嗟に防御の姿勢をとるルイだが、その手に握られたナイフでは斬撃をいなしきれず、大きく吹き飛ばされてしまう。
「うわッ!? ……いてて」
「やっぱりアンジェロさんは強いですね……!」
「ルイもずいぶんと強くなったじゃねぇか。最初は一個も切り落とせなかったってのに……いやぁ、泣けるねぇ」
「でも……まだ勝ったことはないですよ」
「そりゃそうよ。こっちだって流石に三年目のルーキーに負けてられねぇからな」
「次は勝ちますよ! もう一本、お願いします!」
「タンマ! 一旦休憩だ。ちょい疲れたから水飲もうぜ」
「なんか最近疲れるのが早いんだよな……歳か?」
木陰で呼吸を整えながら小さな水筒を傾け、乾いた喉に癒しを流し込む。喉を撫でる心地よい冷たさに彼らが浸っていると、バスケットを片手にロザーナがやってきた。
「ルイー! アンジェロさーん! お昼の時間ですよ!」
「んぁ? もうそんな時間か」
「よく見たら太陽が真上ですね。どうりで暑い……」
「重そうだな……ちょっと手伝ってきますね」
「おう……ッ。……頼むわ」
ルイは彼の詰まるような答え方に違和感を覚えたが、目と鼻の先に行くだけだからと気にせず姉の元へと急ぐ。
「姉さん。僕が持つよ」
「ありがとうね。にしても……前の細さが噓みたい。ほんと成長したわね」
「あはは……これでもまだ細い方だよ。アンジェロさんとか、他の戦士の人に比べたら」
「ふふっ、アンジェロさんに感謝しないとね。……アンジェロさん?」
それまで朗らかであった彼女の表情が一瞬で血の気が引いた表情に変わり、焦った様子で駆けだす。
「アンジェロさん! 大丈夫ですか!?」
「……え?」
何が起こったか分からないルイが振り向いた先で見た景色は、苦しそうに呻きながら倒れている恩人の姿であった。
彼は目の前で起こっている出来事を理解できずにその場に立ち尽くす。ロザーナは必死にアンジェロから何かを聞き出そうとしているが彼は呻く事しかできず、どうにもならない。
(苦しすぎて喋る事もできない……!? こうなったら……!)
「アンジェロさん! ちょっと失礼しますね!」
アンジェロが抑えていた腹に手を当てて力を込める。彼の腹の中を探るようにマナを操るが、彼女はそこでどうしようもない現実を知る。
(うそ……怪我じゃない! これは……!)
「ルイ! ……ルイ!」
状況を吞み込めず、茫然自失としていたルイは姉の喝で目を覚ます。慌てふためく彼にロザーナは慣れたように指示をする。
「向こうにあるアコリーナの診療所は分かるわよね!? あそこに連れて行くから、ルイは先に行って急患が来るって伝えといて!」
「え……あ、え……」
「早く!」
急かされたルイは不安と困惑に満ちたまま診療所へと走りだす。アンジェロ・ドミンガスが倒れた、というニュースは瞬く間に診療所を超え国中へと広がっていった。
担ぎ込まれたアンジェロは気を失っており、ベッドに横たえられたまま静かに眠るその様子をかねてより親交のあったアズリーラ家の面々が傍で見守っていた。
「アンジェロさん……大丈夫かな」
「ルイ、もう夜になりそうだし帰らない? 疲れてるでしょう?」
「大丈夫だよ、姉さん。それよりもアンジェロさんが……」
「……! そうだ! 姉さんの治癒魔法で治せない!? 姉さんの魔法なら……!」
一縷の望みをかけた彼の言葉に、ロザーナはひどく悲しそうな顔をして悩むような素振りで口ごもっていた。
そんな娘を見かねてか、父カミロが口を開く。
「いいかい、ルイ……よく聞いておきなさい」
「ローザの治癒魔法は、あくまで怪我を治すものなんだ。病気は治せない」
「え……」
「アンジェロは内臓の病気らしいんだ。だから、医者に任せるしかない」
「ごめんね。ルイ……」
心臓を締め付けられるような息苦しさに耐えながら、その日はそこで屋敷へと戻っていった。力強く、豪快で、弱さとは無縁だと信じてやまなかった恩人の苦しむ姿は、青年の脳裏に焼き付いて離れなかった。
翌日、アンジェロは目を覚ましたが顔色は悪く少しだけやつれていた。ルイは毎日かかさずに修練の後に見舞いへ行ってはその日にどんな事をしたのか等を話し、アンジェロの快復を祈り続けた。この見舞いは少なからず弱り始めていた彼の心の支えになり、話をしている間は病魔に蝕まれ続ける苦しみをほんの少しだけだが忘れる事ができた。
そんな療養生活の中、彼はある事実をルイに伝えるべきかどうかで悩んでいた。
(あいつは間違いなく、並の衛兵程度に戦える能力はついた)
(最初の頃に比べりゃ上等も上等だ。だが……目指してるのはもっと上だ)
(でもあいつには……あいつには才能がない)
(努力で行けるところまではちゃんと行けたが、こっからはそこに才能も必要になってくる)
(これからどれだけ修練重ねたところで今以上は無理だ。だったら……)
「アンジェロさん! こんにちは!」
「よぉルイ。今日も元気じゃねぇか」
(こんな純粋な目ぇした子供にそんな事を言えってか?)
(……クソが。酷にも程があるぜ……情が湧いちまうとはな)
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