始まった日常

 陽が昇り、暗かった森もすっかり明るくなった頃、天清龍雅てんせいりゅうがはヴァレンチーナ・ルイスとノルベール・ピレスと共に修練を始めようとしていた。

 周辺は木々が生い茂り、手つかずの状態のように見えるが、その木々の一本一本に杭が打ち込まれている。


「さて準備はいいかい? これからやるのは、杭跳びの修練だよ」

「ドラゴネクターはとにかく派手に動いて戦うんだ。だから小さな足場でも瞬時に乗れる能力が要求されるのさ」


「それであの杭か……ずいぶんと楽しいそうだな」


「そう言ってられるのも今のうちだよ。アタシが手本を見せるから、とりあえず真似してみな」


 そう言うと彼女は軽々とその場から跳び上がり、近くにあった杭に乗る。そうするとあれよあれよという間に、猫の如く杭から杭へ跳び移って、あっという間に一番高い位置にある杭へと到達した。

 下を見るのも怖くなるような高さから何の迷いもなく降りた彼女は、誇った様子もなく龍雅ヘ催促する。


「いきなり一番上は無理だろうから、とりあえずはできる限り跳んでみな」


「ヘヘっ……確かに尋常じゃない修練だな。落ちちまったら大怪我じゃすまねぇ」


「安心しな、怪我ならローザが治してくれるよ。ほら、いったいった」


 龍雅は言われるがまま木をよじ登り、杭に足を乗せる。一番低い場所だというのに、彼は肌で感じる風や視界の違いに、ほんの少しだけ足が竦んでいた。


(いきなりコレかよ……まぁ、尋常ならざるとか言ってたからしょうがねぇな)

(しっかしビビってるってか……ッハ、情けねぇ)


(龍雅よ、そなたは初めてなのだ。無理もあるまい)

(我が思うに、こういった事は勢いが大事だ。うまくバランスを取ろうとするとかえって落ちる)

(ならば、落ちる前に踏み出して次の足場へ到達すればいい)


(水上歩行するトカゲかよ。まぁ、あんがとよ。)

「……さっそく、試してみっか!」


 脚に力を入れ、バッタの如く跳び上がる。風を切り空を切り、次の足場へとどんどんと近づいていくが、明らかに軌道がおかしい。もう脚を伸ばせば杭に触れてもいい筈の位置だが、彼の体はその杭よりも上空にあった。

 その様子を地上から眺めるヴァレンチーナが呟く。


「あーあ……力み過ぎだね、ありゃ」


「まだ体を上手く扱えていない……という事かな?」


「それだとアタシとの組手であれだけやり合えたのに説明がつかない気もするんだけどねぇ……」

「頭で考えるより、とりあえず体を動かすのが向いてるのかもね。まぁ、最初なんて往々にしてあんなもんさ」

「大体のヤツはそもそも杭に届かないんだ。アイツみたいに……木にぶつかれるだけ上々ってもんさね」

「おーい! 気ィ失っちゃいないだろうね!」


 セミの如く木にへばりついている龍雅は黙って手を振る。彼の忙しない日常はこうして幕を開けた。

 ある日は一般の兵士達と一緒に剣技を学び、またある日はロザーナに魔法を教わり、再び杭跳びの特訓をした日もあった。雨が降ろうが風が強く吹いていようが、そんな事は意に介さず、ただ黙々と研鑽を積んで積んで積み続けた。

 そうして訓練が終われば、国から支給される大量の飯を腹に詰め込んだ。龍雅の食欲は初日に比べて増しており、「恐らく体が順応してエネルギーを欲しているのだろう」とは、サー・ヴィルジェインの談である。

 夜になれば、身が凍るほど冷やされた水で体を洗い、そのまま眠りにつく。そして朝が来ればまた修練が始まる。

 日を追うごとに内容にも変化が現れ始め、最初はただ杭から杭へ移るだけだった杭跳びも、移動の間にノルベールが飛ばしてくる風の刃を避けながらのものへとなり、振るう武器も剣だけではなく斧や槍なども練習するようになっていった。天性の才能というべきか、前世での経験が役にたったのか、彼はその実力をめきめきと伸ばしていく。

 だが魔法の方だけは、加減を誤れば国を吹き飛ばしかねない程の力があるせいで慎重になってしまい、一向に上達しなかった。

 そんな日々が続いて約六十八回目の昼頃、彼はいつものように誰もいない城前の階段で大量のサンドイッチを頬張っていた。


(相変わらずの量だな。食っといてなんだが、よく俺の腹に収まるもんだ)

(ほんとデッケェなこの国は、正面の門が霞んで見えるぜ)

(……しっかし米が恋しいなぁ。味付けもやっぱ日本とちげぇし……まさか飯のせいでホームシック、かぁ)


「隣、いいかしら?」


 そこへやって来たのはロザーナ。彼女は龍雅が返事をするのを確認すると、彼の隣で同じく山のような昼食に手をつけ始めた。


「貴方っていっつも一人でごはん食べてるけど、寂しくないの?」


「……別に寂しくはねぇな。一人で飯食ってる時期のが長いから慣れてんだ」


「でも組織の一員なんだから、こういった所で繋がり持たないと変な目で見られるわよ」


「いてぇ所を突いてくるな。まぁ、分かっちゃいるがよ……」

「どうにも苦手なんだよ。そういうの」


「んー……そうだ! じゃあ、これからは私と一緒にごはん食べない?」

「誰かと一緒にする事に慣れたら……嫌そうな顔しないの!」


 彼はしぶしぶ、彼女の提案に乗る事にした。

 最初はあの日がどうだった、あの人はこうだ、どこそこには驚いた、といった他愛のない話から始まり、暖かな陽射しのもとでとりとめもない会話が続く。

 そんな会話の途中で、話題は例の襲撃の事に変わりだした。


「そういやよ。分かったのか? あのそこら中を襲ったって連中の正体」


「ここもサタマディナも、結構な数を調査に使ってるらしいのだけど……なんの情報も掴めてないみたい」


「サタマディナ……ここの次にえらい国だったか。よほど隠れるのが得意みてぇだな。お相手さんは」


「あの数だから、組織的な物があるのは確実なんだけど……目的すら分からないから本当にどうしようもないわね」

「死体も消えちゃってたから、どういった魔法を掛けてたかも分からなかったし……」


「死体が消えたぁ? 敵が持って帰ったのか?」


「ううん、目撃した人が言うには突然死体が燃え始めたって」


「証拠隠滅ってか。それも魔法なんだろうが、抜け目のねぇ奴らだな」

「国ひとつを滅ぼすでもなく、ちょっかいかけただけってんなら……やっぱ竜の王様とやらが目的だったって事にならねぇか?」


「ほう? 見解の一致、というやつだな。龍雅よ」


「私も同意見ネ。恐らくスピカの存在が邪魔だったのデショウ」


 二人の会話に、二匹の竜も入り込んでくる。


「各国に攻撃を仕掛けたのは万全の状態での捜索を防ぐためであろう……だが問題はその後だ」

「こちらが倒した相手も少なくない。多大な犠牲を払ってまで奴らは何をしたいのか」



「スピカを封じて為そうとしているのは一体なんナノカ。確かに気になるワネ」

「人と竜の分断、混沌を招こうとしているノカ、それとも……全世界への宣戦布告カ」


「ひょっとして世界征服ってか? んなコッテコテな悪役じゃあるまいに……」


「とにもかくにも、確かな情報が掴めるまではこっちも下手に動けないから、準備をし続けるしかないわね」

「ってわけで、この後の修練もよろしくね」


「こっちこそ……全く上達してねぇけど」


「気にすることないわ。前よりは調節もできるようになってるし」

「いざとなったらあれよ! 雑に魔法擬きを撃っても貴方なら大概の敵は吹っ飛ばせちゃうんじゃないかしら」


「味方ごとやっちまいそうだな、それ……ま、粛々とやってくしかねぇか」


 彼は最後のサンドイッチを口に放り込んだ。

 昼食を終えて二人は共に修練へと向かっていくが、その影を死角から追う淀んだ目が二つ。その目の持ち主は、短く鮮やかな青い髪を乱雑に搔きむしりながら、視線を龍雅へと集中させてボソボソと何かを呟き続けていた。

 それから数日経った日の事。龍雅は月が雲に隠れ、明かりがなければ伸ばした手すら見えない程に暗い深夜に、広大な屋内修練場の燭台に火を灯していた。

 彼ら以外は人影は一つとして無く、その奇妙な行動にフェイカーが問いかける。


(龍雅よ。そなた、なにゆえにこんな夜中に修練をするのだ)

(寝ねば明日に響くぞ)


「明日は修練のねぇ日だぜ。夕方にベッドから起きても怒られやしねぇよ」

「わりぃが、付き合ってもらうぜ」


(構わぬが……何を焦っておる)

(最初に比べれば、周囲の評判も良くなっておろう。実際、そなたの動きは確実に良くなっておる)

(このように寝る間を惜しんでまでもする必要は……)


 その質問に彼は、どこか浮かない顔をしながら答える。


「……どんなに修練でいい評価を貰ったとこでよ」

「俺は実戦に出てねぇ、才能だけで凄い凄い言われてるペーペー」

「俺はその才能とやらに胡座かくのはゴメンなんだ」

「とにかく動いて動いて、他の人らとの差を埋めてかなきゃなんねぇんだよ」

「それに……本気で俺を凄いと思ってくれてるかどうかなんざ、分かんねぇもんさ」


(龍雅よ。賞賛というのは、素直に受け取っておくべきだと我は思う)

(自惚れぬは美徳とは思うが、かといって斜に構えすぎるのは美徳ではないぞ)


「……っけ、もっともだな。だが癖なのさ」

「そう簡単に治りゃしねぇ。なんせいっぺん死んだ上でだからな」

「うっし! そんじゃぁ始めっか!」


 目の前に置かれた的は、地上だけではなく、柱や壁の上部、果ては天井付近で浮かぶものなど、およそ剣を握る人間が戦うべきではない場所にまで設置されていた。

 グッと地面を踏みしめ、力強く飛び出す彼の身長約百八十センチメートルの体は、まるで重力は存在しないような振る舞いで、縦横無尽に的を両断していく。

 彼は一呼吸し、バラバラになった残骸を見つめ満足そうに呟く。


「ちったぁ形になってきた、か?」

「んじゃ、配置を変えてもう一回やっか」

(しっかし便利だよなぁ、これ。壊れても魔法の印とやらでいくらでも再生可能……ゴミが出ねぇのが一番良いとこだな)


 残骸に手を伸ばそうとしたその瞬間、彼の体に奇妙な感覚が走る。まるで皮膚を力いっぱいつねられているのに、痛みはこない不思議な感覚。

 彼はそれがどういった時に感じるものなのか、ここで過ごすうちに理解していた。


(おい、フェイカー……こいつは)


(どうやら、夜更かしをする変わり者がもう一人居るようだ)

(入り口、といったところか……どうする)


(なんか機嫌悪そうな気配してるぜ……ま、悪いのはこっちだ)

(謝ってささっと部屋に帰るか)

「あのー……すいません! もしかしてここ、夜中に使っちゃダメでしたかね?」


 彼の少しばかりおどけたような雰囲気の謝罪に、入口の影に隠れていた何者かは驚くように体をビクッと跳ねさせると、影からゆっくりとその姿を灯りの元に晒しだす。

 頭の上から足首まで黒いローブを纏い、フードからかすかに見える濁りきった目は鈍く輝いている。ローブの人物は龍雅の前に立ち止まると、確かめるような口調で話しかける。


「テンセイ・リューガさん……ですよね?」


「あ、あぁ……そうだけどよ。どうした? あんた……顔色わりぃぞ」


「貴方にお願いがあるんです……聞いて頂けますか?」


「お願い? 別に構いやしねぇが……一体なんだ?」


「僕と、勝負をしてほしいんです。今ここで」


「勝負? ……組手か? それならいくらでも相手していいけどよ」


「……もしも、僕が勝ったら……」

「貴方の接続竜のフェイカーを、僕に譲っていただけませんか」


 さらっと言い放った無茶苦茶な要求に、龍雅よりも先にフェイカーが彼の肩から異を唱える。


「なにをバカげた事を……! 貴様、何者だ!」


「僕はルイ・アズリーラ。貴方に魔法を教えているロザーナ姉さんの……弟です」


「ルイ・アズリーラ!? 音に聞く天水の魔法使いか!」

「そなた、自分が何を言っているのか理解しているのか!」


激昂と困惑が入り混じり語気を荒げるフェイカーに対し、龍雅はまったく気にする様子もなく返事をする。


「へぇ……あんたがルイって人か。姉ちゃんが心配して愚痴ってたぜ?」

「最近、弟が魔法の修練を全然してねぇってな」


「姉さんがそんな事を……心配かけちゃったな」

「僕は……本気で言ってます。 戦ってください!」

(僕は勝って、あの人に……報いなきゃいけないんだ!)

(この人の竜を奪って、僕はようやくドラゴネクターになる!!)


 睨み合う二人の間に剣呑な空気が漂い始める。激しくも静かな夜が、幕を開けようとしていた。


(龍雅! 本気でやるつもりか!?)


(たりめぇよ。殺し合いってわけじゃねぇんだ)

(それにあの目……よく知ってる、大っ嫌いな目をしてやがる)

(あっちがどんな過去を抱えてんだが知んねぇが、喧嘩売られたついでにあの目を覚まさせてやんのさ)




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