異邦人
朧げな夢の中で見たものは、嫌というほど向き合った学習机と宿題だった。
(ここは……どこだ? 俺は確か……)
「ッ! そうだ! あの姉ちゃんになんかされて……!」
ハッキリとした意識で周囲をもう一度見回す。薄暗い中に岩の壁、それは記憶に新しい光景だったが、以前とは違う箇所がいくつかあった。
まず、壁の岩はかなり規則正しく積まれており、明らかに天然の物ではない。そして次にこの狭い部屋らしき場所から出る事を拒むように設置された格子。最後にその格子の向こう側で全身銀色の誰かが、随分と激しく船を漕いでいる。
(おいおい! これってまさか……!)
「牢屋じゃねぇか!!」
思わず出た龍雅の叫びに甲冑の人物は飛び起き、慌てた様子で振り向く。
彼はそんな牢屋に相応しくない綺麗な刺繡の施されたブランケットを荒々しく剥がすと、格子を掴み騒ぎだした。
「お、おいあんた! なんで俺はこんな所にぶち込まれてんだ!? ひょっとしてあの野郎を殺したのはまずかったか!?」
「なぁおい! なんとか言ってくれ! ……あっ!?」
(言葉が伝わんねぇんだった……!)
思い出した事実にうなだれている彼をよそに、甲冑の人物は外へ向かってなにかを叫ぶ。そこから外が慌ただしくなり、龍雅は諦めたように座り込む。
「はぁ……意思疎通ができなきゃどうしようもねぇ……」
(……しっかし上等な毛布だなこりゃ)
(こんなん寄越してくれるなら、普通の部屋に投げ込んでくれよ……いや、贅沢か)
(上等な毛布に、薄暗い牢屋……なんかちぐはぐだな)
「ま、そんな事どうでも良いか」
彼がぼーっと今後どうなるかと考えながら格子窓の外を眺めていると、ドアが開く音と聞き覚えのある声が聞こえてきた。そちらへ顔を向けると、彼を深い眠りに落とした水色の髪の女性が心配そうにこちらを覗いている。
(あぁ、やっぱ来たか)
(事情の一つも聞きてぇがなぁ……ん?)
すると彼女が奇妙な行動を始めた。格子の隙間からその両腕を伸ばしている。龍雅は最初、一体何をしようとしているのか分からずに呆気に取られていたが、試しに自分を指差すジェスチャーをする。
すると彼女は静かに頷き、手のひらを開く。彼はおそるおそる立ち上がると、自分の手を出して彼女の前まで持っていく。触れそうな距離になったその瞬間、彼女が素早く彼の手首をガッチリと掴んだ。
「な、なんだよ!! おい!」
「待て! 待ってくれって! こえぇって!」
(くそっ! 振り解こうとしてもびくともしねぇ!)
(こんな細い手のどこにこんな力が……!)
何かを確認するかのように頷きながら独り言を言ってるかと思えば、あっさり手を離して誰かに向かって話しかけ始めた。そして意を決したような顔で甲冑の人物に指示を出すと、格子戸が開かれる。
龍雅はあれよあれよと変わる状況に呆然と立ち尽くしていたが、彼女が話しかけていた誰かがこちらに来るのを見て腰を抜かした。
(あ、あれは……! 犬……トカゲ!?)
(でけぇぞおい!)
彼の目の前に現れたのは体高九十センチメートル程の全身を鋭い鱗に覆われ、四本の太い足で歩き、二対の角と翼を持った竜としか言いようのない生物であった。
その生物は品定めするような目で龍雅を見つめていたかと思えば、素早く淀みのない動きで牢屋の中に入り、彼にのしかかってきた。
「うおっ!? 何しやがる!」
彼は抵抗するが、その生物はあっさりそれを押さえつけると彼の胸に前脚をそっとおいた。すると緑色の光が彼の胸から溢れ出し、一人と一匹を包み込む。彼女に治療をされた時とは比べ物にならない強烈な閃光に目を眩ませ混乱していた彼を、謎の声が制する。
(落ち着け。見知らぬ人間よ)
「な……!? なんだ……頭の中で、声が」
(我が名はフェイカー。今、そなたとドラゴネクトしている竜だ)
(ドラゴネクト!? 竜!? なんだそりゃ!)
(てかさっきの妙ちきりんなトカゲは……いねぇ!? どこ行きやがった!)
(……なるほど、ここの事を雀の涙ほども知らぬか)
(これは少々、時間が掛かりそうだ。それとトカゲではない。竜だ)
「訳の分かんねぇこと言ってんじゃねぇぞてめぇ! 分かるように説明……!」
「凄い! 本当に何言ってるか分かるわ!」
龍雅の怒声を、鈴を転がすような声が遮る。怒りのまま声の主を睨みつけるが、数秒遅れて気付いた事実に目を丸くする。
「お、おいあんた……どうして日本語喋ってるんだ……!?」
(その者が日本語とやらを喋っているわけでは無い)
(我が……翻訳、というのをしているのだ)
「翻訳!? ……クソッ! 頭がこんがらがるからこれ以上変なこと言わないでくれ!」
(求めたのはそちらであろうに……まぁ、良い)
(目の前の人間に話を聞け。彼女もそなたの事を聞きたがっている)
「あの……状況が理解できてなさそうなところ悪いのだけれど……」
「良かったら、色々とお話を聞かせて欲しいなぁ……なんて」
「……」
無理やり作ったような笑顔での要求に彼は答えず黙りこくっていると、その可愛らしい顔がみるみる青ざめていき、あっという間に笑顔が崩れた。
「あっ! やっぱり急に眠らせちゃったの怒ってた!?」
「ごめんなさい! でもこっちも色々緊急事態のゴタゴタフルコースって感じで……」
「えっと……その、あのー?」
(なんか……自分以上に余裕のなさそうな他人を見ると冷静になれるな)
(とりあえず意思疎通ができるなら希望はあるな……何から聞いたもんか)
彼は深呼吸すると、落ち着いた様子で話し始めた。
「こっちはそっち以上に聞きてぇ事あんだけどよ……」
「その前に一つ。ぜってぇ言っておきたい事がある」
「な、なにかしら……?」
「傷の手当してくれてあんが……んん! ありがとうございます」
「おかげで死なずに済んだ」
彼の感謝の言葉が予想外だったのか、彼女は一瞬呆気にとられたような顔をすると、すぐさま真剣な表情に切り替えてその言葉に応じた。
「……それなら、こっちからもお礼を言わせて」
「貴方のおかげで助かったって人が大勢いるの」
「本当に……本当にありがとう」
「あの人達全員助かったのか!?」
「えぇ、まだ横なって動けない人も居るけど、死人は想定されていた数より少なかったわ」
「そうか……そうか。なら、良かった」
「えぇと、まずは自己紹介からした方が良いか?」
「そうね。じゃあ、私から名乗らせて」
「私はロザーナ・アズリーラ。この国のドラゴネクターよ」
(ドラゴ……?まぁ、後で聞きゃ良いか)
「俺は龍雅。天清龍雅だ」
かくして、格子を隔てた異邦人同士による対話が始まった。
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