救いの手
少しずつ、確実に、剣はより深い所へと入っていく。
満身創痍で窮地に立たされた
巨大な壁の上で絶叫を聞きつけ慌てた様子で覗き込む人影が一つ。その人影は龍雅と異形の位置を確認すると、助走をつけ眩暈のするような高さから果敢にも跳躍した。
手に持った杖を足元に向けると虚空に突如として氷のスロープが生み出され、そこを勢いよく滑りだす。
次に異形のいる方向にじっくりと狙いを定めるように杖を向ける。何かもごもごと呟くとその周囲に氷の槍が十数本現れ、それを放つと同時に大声を上げた。
意識が朦朧としていた龍雅にはいったい何を言ったかは分からなかったが、何かが近づいてくる事だけは分かった。
異形はハッとした様子で後退するが、放たれた槍の一本がその左肩を貫く。着地した人影は素早い動きで、膝をついている龍雅を守るように異形の前に立ちふさがった。
肩に刺さった氷を引き抜き、異形は剣を構え直す。状況が変わったせいか先ほどよりは冷静なようである。しばし睨み合いが続く中、龍雅は眼前の後ろ姿を見つめている。
(水色の髪……ずいぶんと…なげぇな……誰、だ?)
(ダメ、だ……意識が……)
(………!!!)
「気ぃ失って……たまるか…!」
彼自身にもよく分からない意地で閉じかけていた目を見開き、脚に再び力を入れる。だが切り込まれた鎖骨からは大量の血が流れだし、その意地もいつまで続くか分からなかった。
そして状況が動き出す。
異形が駆け出すと同時に長髪の人物は再び氷の槍を放つが、異形の振るう剣で全て切り落とされてしまう。近づいてくる異形を前に彼女は膝をつくような姿勢で地面を拳で力一杯叩きつけ、不思議な言葉で何かを唱える。
すると背の低い草しか生えていなかった平原に突如として蔓のような植物が生え、異形の体に絡みつき、ぎちぎちと音を上げながら締め上げる。さらに彼女は攻撃の手を緩めない。絡みつき皮膚と接触した部分がゆっくりと凍結し始めていた。
異形はもがけばもがく程に締まっていく蔓に苦戦していたが、凍結していく体を見るや否や、とんでもない行動に出る。
左腕にわざと大量の蔓を絡めつけると、力任せに腕を振るって完全に凍結した表皮を砕き、拘束から腕を解放。筋肉がむき出しでぼろぼろになった左手で、右腕に絡まった蔓を掴み引き千切る。そして自由になった右腕に持った剣を乱暴に放り投げた。
狙いも何もない。視界に映る誰かに何かしらの危害を加えるためだけの、左腕を犠牲に放った無差別な暴力。
高速で放たれた剣を止めようと長髪の人物は蔓を操るが、間に合わない。このままでは後ろにいる誰かが死んでもおかしくはない。慌てて後ろを振り向くと、そこには既に飛び去って行く剣の姿はない。
代わりにあったのは、左手と歯で剣を受け止める龍雅の姿であった。
(何かやるとは思ってたんだよ……!)
(手を貫かれた瞬間にビビって咄嗟に噛んじまった……まぁ結果オーライだ)
「ペッ! ……いい加減にしやがれ!!」
彼は引き抜いた剣を槍投げのような姿勢で構え、異形めがけて投げつけた。
体のほとんどが凍り付いていた異形に避ける術はなく、剣は眉間へ深々と突き刺さる。
しばしの静寂の後に、彼女がなにかに対し頷いて蔓の拘束が解かれると、肉体はゆっくりと倒れ込み、粉々に砕けた。
激闘の末に勝利した龍雅は全身から力が抜け、膝をつく余裕もなく、その場で大の字になる。
(目の前の人が誰か、あの氷の手品はなんなのか、ここはどこか……)
(聞きてぇことは山ほどあるが……)
「はぁ…はぁ……勝った」
(しょうがねぇとはいえ……命を奪うってのは気分の良いもんじゃねぇな)
そんな彼を救った救世主は、心配そうに覗き込み声をかけてくる。
だが、再び視界もぼやけ始めていた彼には何を言われたのか分からず、何か喋ろうとするが、声も出ない。
そうこうしていると彼女は彼を抱き上げ、その姿をよく観察する。全身傷だらけだが、特に目を引くのは出血の激しい左肩と削ぎ落とされた左耳だ。
彼女はそれを確認すると、先ほど使った蔓で落ちた耳を拾い上げ、今度は水を生み出し汚れた左耳を洗浄する。そして洗浄し終わった物を元あった場所に近づけ一言呟くと、淡い緑色の発光と共に左耳が繋がっていく。
ものの数秒で治された左耳を見て満足そうにすると、次に彼の体を蔓でぐるぐる巻きにし、同じように緑色に発光させる。蔓から解放されると、彼の体は全くの無傷になっていた。
疲労こそ残っていたものの、傷による痛みが無くなり頭が回るようになった彼は心底驚く。
「お、俺の耳が!? 肩も!」
「どうなってやがる! あ、あんた……!」
(いや待て!いくらなんでもここまでして貰って、あんたはねぇだろ)
(慣れねぇが、こんな時こそきちっとした喋り方で……)
龍雅は一呼吸置くと立ち上がり、何年かぶりの喋り方で聞き出そうとする。
「あの…とりあえず、ありがとうございます」
「えぇと……一体なにが起こったんですか? ここは一体……」
そこまで話して彼は気付く。目の前の女性がかなり困惑した表情をしている事を。
蒼い星形の髪留めで淡い水色の長髪をポニーテールにし、薄い金属と布で構成された動きやすそうな服を身に纏った彼女は、その目を忙しなく動かしている。
そして何かを言って龍雅とコミュニ―ケーションを取ろうとするが、彼も困惑した。
「ごめんなさい。よく聞こえ……は?」
「おいまさか……!」
(こ、言葉が通じねぇのか!?)
彼女の話す言葉は彼には全く聞き取れず、彼女もまた彼の言葉を理解できていないようである。身振り手振りを駆使して、なんとか彼に意思を伝えようとするが、伝わる事と言えば伝わらない事だけである。
(まずいな。そもそも英語は苦手だが、これはどう聞いたって英語じゃねぇ)
(……とにかく、悪い人じゃない事だけは確かか)
(見ず知らずの人間にここまでしてくれたんだ)
(しっかしまぁ……表情がコロコロ変わるもんだな。この人)
百面相になりながらあの手この手を使っていた彼女だが、最後は万策尽きたといった表情で肩を落としうなだれていた。
互いにどうにもできず気まずい沈黙が流れる中、どちらのものでもない声が聞こえてくる。
(相変わらず何言ってるか分かんねぇが……この人の仲間か?)
(人が増えるのはありがてぇが、言葉が分からないならどうしようもねぇぞ)
「どうしたもんか……」
龍雅はそんな事を考えていたが、どうやら彼女は違ったようだ。
なにやら焦ったような表情で頭を抱えだして数秒考え込むと、胸に手を置いて深呼吸。そして申し訳なさそうな顔で軽く一礼すると、彼の鼻の頭に人差し指をそっと乗せる。
一瞬ぎょっとした龍雅だが、疑問を持つ間もなく彼の意識はそこでぷつりと途切れてしまった。
(ローザ、いくら想定外の事態とはいえ貴女は……)
「だって仕方ないじゃない!?言葉が話せない人なんて初めてだもの!」
「そ、それに! なんかこっちが下手なことして暴れられたら困るじゃない!」
「悪い人じゃないとは思うんだけど……!」
(……まぁ良いワ。とりあえず、これ以上怪我をさせないように運んであげナサイ)
(素性は分からないけど、この人間は少なくともあの謎の勢力に抗っていた……)
(意思疎通できれば、事情次第では味方になってくれるかもしれないワ)
「意思疎通って、どうやって……?」
(それは後で考えれば良いワ。まずは周辺の状況確認ヨ)
(早くナサイ。避難した住民の治療もするのデスヨ)
「って、そうだ! 急がなきゃ……!」
そこには居ない何者かにローザと呼ばれたその女性は、龍雅を軽々と担いで走り去って行った。
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