炎中模索
火事場に踏み込んだ
瓦礫の下敷きになった人がいれば瓦礫を持ち上げ脱出させ、歩行が困難な人間がいれば肩を貸し、火も煙の届かない安全な場所まで逃げる人についていき運んだ。
数人救い出して再び火中に戻った時、子供の泣き声が彼の耳に入る。ぼうぼうと燃える火の音をかき消して響く泣き声を追って子供を見つけ出したが、そこに居たのは子供だけではなかった。
「なッ……!? てめぇ! 火事場に紛れてなにしてやがる!」
二メーターはあろうかという巨体に、体の所々を覆う金属質な鎧。鎧の覆われていない場所から見える肌は、爬虫類のような鱗でビッシリと埋め尽くされている。
なにより異様なのはその頭部である。横顔の輪郭は三角形、口からのぞく歯は全てがナイフのように鋭く尖っており、人とかけ離れたソレは明らかに、竜やトカゲとしか形容できない容姿であった。
そしてその異形はゆっくりと龍雅に視線を向けると、子供に振り下ろそうとしていた大きな剣を振りかぶり襲いかかってきた。
「チッ! やる気かこのヘンテコ着ぐるみ野郎!」
「こんな非常時に子供に刃物向けるたぁ、どういう了見だ!!」
力任せに振るわれる剣を身軽な体さばきで避けるが、そのリーチから彼は自身の得意な間合いに踏み込めず四苦八苦する。更に追い討ちをかけるように火の勢いが増し、煙が少しずつ自由に動ける範囲を狭めていく。
(クソッ! 煙を吸っちまったらアウトだ!)
(こんな状況で、あのでけぇ得物を避けながら拳をぶち込むのはきつい!)
(おまけに……!)
彼が視線を向けた先には子供が泣きながら横たわっている。幸いにも低い位置に倒れていることで煙は吸ってはいないが、このまま何か手を打たなくては、焼け落ちる瓦礫に巻き込まれるのは明白だった。
しかし目の前の異形がそれを邪魔する。斬撃が当たらないことに苛立ち始めたのか、先ほどよりも荒々しく、更に力強く剣を振り回す。ただでさえ山の中を彷徨い歩き、ここに来るために全力疾走し、火事場の中でも走り回っていた龍雅にも疲労の色が見え始め、避けきれなかった斬撃による切り傷が増えていた。
(まずいな……いよいよ逃げ場がなくなってきたぞ)
(次の攻撃、そこで動くか……!)
龍雅は可能な限り距離をとる。互いに間合いをはかり、刹那の静寂が訪れる。
ほんの一瞬の睨み合い、静寂を破ったのは異形の方であった。大声を上げ、右手に持った剣を大きく振り上げ突進してくる。
「単調なんだよ!」
龍雅はその突進に合わせるように思いっきり地面を蹴り、一瞬で相手の懐に飛び込んだ。
これまで防戦一方だった相手が急に飛び込んだ事に驚いたのか、異形は一瞬怯み、龍雅はその一瞬を見逃さなかった。剣を振るわれる前に、右手首とがら空きになった首を渾身の力で掴んで締め上げ、動きを封じたのだ。
だが驚いたのは異形だけではない。龍雅もまた、相手の首の感触に不気味な違和感を覚えていた。
(な、なんだこれ……!?)
(この硬く張りのある……妙な暖かさは)
(き、着ぐるみじゃねぇのかこいつは! 生身だってのか!?)
「なんなんだてめぇは!」
その叫びへの返答は言葉ではなく拳によって行われた。
掴まれていない左手で龍雅の腹部を執拗に殴り、彼の掴む力を弱めようとする。さらに、丸太の如く太い脚で蹴りまで入れて大暴れし始めた。
だが、確実に龍雅の体力を削るこの選択は失敗であった。異形が蹴りを入れたその瞬間、龍雅は無防備になったもう片方の脚を素早く払い、相手のバランスを崩した。
「でけぇ図体のわりに軽いなぁ!」
(ここまで来るルートはあっちだ! じゃあ、投げるべき方向は……!)
「そこだぁぁぁ!」
バランスの崩れた巨体を軽々と持ち上げ、残った体力をふり絞り燃え盛る家屋へと投げ飛ばす。巨体がぶつかった衝撃で崩れかかっていた家は崩壊し、異形は瓦礫の中に埋もれた。
「そっちが殺す気で来たんだ……死人同士のよしみ、文句なら後で聞いてやるよ」
(ッ! 子供は!?)
子供がいた方向へ目を向けると、変わらず横たわっているが泣き声が聞こえない。
慌てて近寄ると、荒い呼吸で苦しそうにしている。
「おい無事か! しっかりしろ!」
(泣く体力もなくなっちまったか!)
「今、安全な所に連れてってやるからな……!」
彼は子供を抱え、記憶を頼りにもと来た道を走り出した。焼け落ちる瓦礫や煙を避け、迫りくる炎からなんとか逃げ切り、安全地帯に辿りつく。いよいよ体力の限界を迎えた彼は、その場で膝をついた。
そこへ声にならない声を上げながら近づいてくる女性が一人。煤にまみれた顔で今にも泣きそうな彼女は、龍雅が抱き締めていた子供へ手を伸ばしてきた。
(こいつのお袋か…)
「…良かったな。お母さんだぞ」
そう言って女性に子供を手渡すと、彼女は愛おしそうにその子の頭を撫で、その場で泣き出した。その光景をどこか遠い目で見つめていた龍雅は、最大の疑問に対する考えを巡らせている。
(切り傷はいてぇし、疲れも溜まってる……幽霊なのにか?)
(血も出てる……間違いない。俺は、生きてる)
(じゃあここはどこなんだ? 少なくも日本じゃ……)
(俺はどうなって……なにが起こったんだよ)
「はぁ…はぁ…ちくしょう……マジで訳が分かんねぇ……」
体を休めようとした時だった。誰かが叫び声を上げて、そこにいる皆がある方向に一斉に視線を向ける。
龍雅も何事かと起き上がり、誰かが指差す方向に目を向け見たものは、死んだと思っていたあの異形が揺らめく炎の中から飛び出してくる光景であった。
「あ、あの野郎! まだ生きてやがったのか!」
異形はなにかを探すようにきょろきょろと見回していたかと思えば、遠くの方にいる龍雅と目が合った途端、奇声を上げて安全地帯めがけて全力疾走し始めた。
(狙いは俺か! ここにいる連中を巻き込む訳には……!)
立つのもやっとの体に無理やり気合を入れ直し、龍雅も敵めがけて走り出す。安全地帯にいるのは怪我人ばかりであり、彼以外に駆け出す者はいなかった。
走り出した二人がかち合うと同時に、異形は奇声をあげながら彼を斬り殺さんと剣を振り回す。そこに冷静さや余裕はなく、その眼には狂気が宿っている。
背後にいる人たちに近づけないようにと龍雅も応戦するが、もはや斬撃を掠るように抑えるので手一杯であり、足捌きもおぼつかなくなっていた。
横薙ぎの攻撃を避けようとした時、地面の石ころに足をとられバランスを崩してしまう。その隙を相手は見逃さず、彼を真っ二つにする勢いで剣を振り下ろす。
膝をつきなんとか倒れずに済んだ龍雅だったが、目の前には今まさに振り下ろされた剣が迫ってきており、彼は一か八かの賭けに出た。
(いけるか……!? 白刃取り!!)
一瞬の判断。両手で剣を受け止めようと可能な限りの最高速で手を動かす。迫りくる殺意。それに手のひらがかすかに触れる……が、手で挟み込むよりも速く、剣がその間をすり抜けた。
しかし彼はまたも瞬間的な判断で上半身を素早く右に逸らし、真っ二つにされるの回避した。
だが完全に避けきれるわけもなく、左耳を削がれ、鎖骨に深く切込まれてしまう。骨に当たり勢いを失った剣を両手で押さえつけ、これ以上切込まれないようにするが余力は相手の方が圧倒的であり、剣が少しずつ彼の体を引き裂いていく。
痛みに耐えながら何か方法はないかと龍雅は考える。
(クソが! このままじゃ二枚下ろしにされちまう!)
(……いっぺん死んだ身だ。死ぬのはそこまで怖くねぇ)
「だが……訳も分からず…!」
「火事場にかこつけて、無抵抗なガキの命奪おうとするようなクズ以下のド畜生に……!」
「殺されてたまるかぁぁぁぁぁぁ!!!」
龍雅の魂の叫びが、響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます