第4話

 松平は、そっと声をかけてきた。

「翔太朗君、元気ですか?」

 信じられないほど静かで、暗く、意味深な声。

「元気ですよ」

 でも、そんなもんで私は体勢を崩さない。絶対に、絶対に。

「そろそろ、聴力の低下がドッと来てますよね」

「そうですね。あとは、バランスも・・・・・」

「そうですか・・・・・学校はどうですか?」

「彼なりには楽しくしてるらしいんですけど・・・・・ちょっと」

 ちょっとは、色んな意味がある。体育の授業、普段の授業の聞き取り、そして、友達との会話、彼の授業では毎回カーテンを閉めなければならない・・・・・問題は山積みで、先生も苦闘しているらしい。私は、もう関係ないけど。


 そんな時。

 バスが停まって、何人かの人が下りてきた。その中には、健もいた。

「?!」

 これは、ヤバい。そんな顔だった。同じタイミングで、電話がかかってきた。「アキシダ」という文字。つまり・・・・・章だ。

「もしもし」

『ど、どういうことなんだ、和実』

「そういうことなのよ。書いて、出した?」

『書いてもないし、出してもな』

「早く書いて、出して」

『いや、でも・・・・・』

 もう、腹立ってきたから電話を切った。


 だが、まずいことがある。

「あれ、石田さんどうしたんですか?喧嘩でも?」

「いや」

「それと、奥川さんも・・・・・どういうことなんですか?」

「えっとですね、実は学校のPTAの相談がありまして・・・・・」

 しまった。彼の子供はどうか知らないが、支援学校のPTAに健はいない。だが。

「あ、そうなんですね。納得です。私がいたら迷惑ですよね。それでは、ここで失礼します」

 通じた。このウソ、しっかり通じた。


 店に二人入り、ゆっくりと話していた。この人と一緒はやっぱり楽しい。そんな時を邪魔するのが、電話だった。

「なに?」

『出したよ、離婚届』

 謎に、章はスカッとしているようにも見えた。

『翔太朗は、僕がしっかり育てるから心配するな』

「分かった。それじゃあ、今度こそバイバイ」

『・・・・・』

 会話は終了。そして、健にこれを伝える。

「出したって、章。離婚届を」

「そうか、じゃあ、食べたら出すか、結婚届」

「だね」

 私たちは、ささっと料理を食べ終わると、相合傘で店を出て、市役所へ向かった――。


 引っ越し業者の片づけはもうできたようで。二人は、家の中に入った。そして、自宅で二人で、出前を頼んだ。その間は話をしていた。

蓮伍れんごが心配だな」

「大丈夫だって」

 そう私が言ったけど、彼の顔は曇っていた。


 食事をしながら一緒に映画を見て、それから、二人で会議をして、二人で寝た。まだ、部屋の片づけができてないから、リビングで就寝した。


 ――この時には、健と幸せな暮らしができると思っていた。

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