第473話 僕という人間に、君がくれるもの

 どちらがアキラに『あ~ん』するかでライミとミフユが激突していた頃の話。

 宙船坂集は自宅地下にある『観神之宮』にいた。


『…………』

「――――」


 神が宿る鏡の前で、集は座り込んで目を閉じている。

 座禅を組んでいるというワケでもないが、やっていることはそれに近い。


 その場に座し、目を閉じて、思考を放棄しながらも意識は集中する。

 誰もいない、何の音もない場所でのそれは、集を己の深い所へといざなっていく。


 どこまでも深い穴を落ちていくような、どこまでも高い空を昇っていくような。

 そんな不思議な感覚をほのかに感じ、集は闇の中に己を探っていこうとする。


 深く。高く。

 どこまでもどこまでも。


 高く。深く。

 果てまでも果てまでも。


『何が見えるかしら、集』


 神が、集に声をかける。

 集中しながらも拡大した意識で彼はそれを捉え、己を探りつつ、同時に応える。


「僕の『罪』が見えます。カディ様」

『そう』

「はい、はっきりと」


 声だけで認めて、集はまた黙り込む。

 そしてしばらくの間、その場は無音となって、鏡と集は向かい合う。

 自ら声に出したことで、集の中にある『罪』はよりはっきりと像を結んだ。


 それは、美沙子とアキラを守れなかったこと。

 それは、来魅を守れなかったこと。

 それは、堪え続けてきたものを解き放ってしまったこと。


 彼が積み上げた『罪』に対して、ならば『罰』はどこにあるのか。

 カンジ・クリューグを自らの手で殺したこと。それに尽きる。自分は人殺しだ。


 まだ、来魅――、ライミには言えていない。

 しかし、自分の口からはっきりと言わねばならない。それで『罰』は完成する。


 完成だ。

 完結ではない。


 この『罰』は完結してはならない。

 集は、生涯その『罰』を胸に宿して生き続けなければならない。


 自分は罪人である。

 自分は咎人である。

 自分は許されざるものである。


 許されてはならない。

 許されてはならない。


 永劫に。

 死んでも、生まれ変わっても――、


『おまえには、我の言葉は届かないのよ。それでも我は重ねて言うのよ』


 神の声が聞こえる。


『集、おまえに『罪』はないのよ。少なくとも我はそれを『罪』とはしないのよ』

「…………」

『けれど、おまえ自身がそれを『罪』としている。おまえ自身がおまえを許せずにいるのよ。そしてその想いは鎖となっておまえ自身を三重に縛っているのよ』


 続く、神の言葉。

 もちろんわかっている。言われずとも、わかっている。


 自分を許してはならない。

 その想いは、自分の中にあるものの中で大きな割合を占めている。


 許されてはならない。

 許されてはならない。


 一生涯。

 暮れても明けても、墓の下に入っても――、


『けれどね』


 だが、そこで神の言葉は潮目を変える。


『おまえは気づいていないけれど、三重の鎖のうち、一つ目の錠はもう外れているのよ。その鎖は、時間が経てば徐々に外れていくことでしょう』

「…………?」


 集には、それが何のことかわからなかった。

 疑問の念が強まって、せっかくの集中がにわかに乱れる。


『ところで集、ご飯は食べたのよ?』

「あ」


 気づかされて、集中が崩壊した。


『やっぱりなのよ~。今日はアキラ達が帰ってからず~っとここにいるから、もしかしたらと思っていたのよ。全く、ご飯はちゃんと食べないとだめなのよ~』

「恐れ入ります……」


 瞑想の邪魔をされた、などとはいえまい。完全にあっちの方が正論だ。

 それに言われてみると、急に空腹感が増してくるのを感じる。


「ああ、まずはご飯を炊かないとですね。よっこいしょ」

『立ち上がるときに『よっこいしょ』はオッサン臭いのよ、集』

「オッサンですからね……」


 通勤してた頃は部下から時々『若い』と言われることはあった。

 しかし、自分にそんな自覚はなく、年相応にオッサンのつもりではあるのだ。


「あ~、ご飯……。来魅ちゃん~、じゃなくて、ライミさんの分は~……」


 と、その名前を口に出して、集は髪を掻いた。


「そうか、彼女はもうこっちには帰ってこないか」

『あら、そうなのよ?』

「はっきり聞いたワケじゃないですけど、帰ってこないと思いますよ。だって彼女はアキラの実母なんですよね? だったら、アキラの近くにいたいと思うでしょう」


 自分で言っておいて何だが『アキラの実母』という呼称に対する違和感がすごい。


「それよりカディ様」

『何なのよ?』


「ライミさんが蘇生する前の時点で、彼女のこと、わかってましたね?」

『それは当然。我は冥界の神。死せる者の魂に対しては全能なのよ』


 鏡の中で、少女の姿をした神が腕を組んでフフンと鼻を鳴らしている。


「どうして教えてくれなかったんですか?」

『あのときの心が死にかけてたおまえにそれを教えてどうなるのよ?』

「うぐ……ッ」


 集は呻くしかなかった。

 どうするのよと問われたら、どうにもならないと返すしかないからだ。


「僕はあなたを崇敬していますけど、時々意地悪なあなたは好きじゃないです」

『それでいいのよ。おまえはおまえが愛するべき者を愛しなさい、集』


 そうしてまた神っぽいコトを言う。

 全く、敵わない。それを痛感させられるばかりである。


「ご飯炊いてきます」

『いってらっしゃいなのよ~』


 可愛く手を振る神に見送られ、集は『観神之宮』を出ていった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 集が、地下へ通じるドアを開けたのと同時だった。


「おじさん、ただいま~!」


 元気な声と共に、ライミが家に帰ってきた。


「え、ライミさん?」

「ん、ライミさんだよ~ィ!」


 玄関にライミ。その延長線上、通路にドアから出てきたばかりの集。

 集は固まり、ライミは右手を挙げて元気よく応じた。


「あれ、アキラのところに行ったんじゃ?」

「行ってきたけど~……」


 何故か、いきなりライミはブスッとした顔をして、唇を尖らせる。

 露骨なすね顔。集には何が何だかわからない。


「え、どうかしたの?」

「何なのよ、あの女ァ~! アキラちゃんの隣に陣取って、ベタベタしてさ~!」


 玄関口で足をダンダン踏み鳴らすライミに、集は何のことか思い当たった。


「ああ、ミフユちゃんかぁ」

「あんな子がアキラちゃんのお嫁さんだなんて、あたしは認めないぞぉ~!」

「え、でもアキラにはミフユちゃんしかいないでしょ?」


 集は当たり前のように言う。

 ちなみにこれは、美沙子との共通認識である。


「おじさんまで~! 何でよ~!? あんな、ことあるごとに色々と気づいて、周りにもちゃんと気配りして、人の話もキチンと聞いてくれるだけの子なんか~!」

「それは俗に『非の打ち所がない』というんじゃないかな?」


 一体、何が不満なんだろう?

 話を聞けば聞くほど、集は理解から遠ざかっていくのを感じる。


「信じらんない! アキラちゃんはまだまだ子供なんだよ~!?」

「異世界ではしっかり天寿を全うしたらしいけど……」

「おじさんはあたしをロンパして何が楽しいのよ~! あの女の味方なの~!?」


 徐々に顔を赤くし始めるライミに、集は腕を組んで「う~ん」と唸る。


「別にどっちの味方でもない、かなぁ……。あえて言うならアキラの味方かな」

「ひどぉ~い! 同居人なんだからこっちの味方してくれてもいいのにッ!」


 と、言われて集は思い出す。


「そうだよ、ライミさん。どうしてこっちに?」

「え、何で?」


 キョトンとされてしまった。


「いや、せっかくアキラと会えたんだから、てっきりあっちで暮らすのかと……」

「それは――」


 ライミの顔に、急に陰が差す。

 彼女は一瞬だけ目線を下に落として、すぐに無理やり笑って取り繕った。


「そりゃ、そうできれば最高だけど、あたし、異物じゃん?」

「異物……」


 彼女が言い放ったその一言は集に思うがけない衝撃を与えた。


「だってそうでしょ? あたしはアキラちゃんが可愛いけど、今のアキラちゃんは異世界で人生を全うして、こっちでもおじさんとみーたんっていう両親がいるじゃん。アキラちゃんにだって家族がいるんでしょ。あの女と、たくさんの子供が……」

「それは、そうだね」


 ライミが語る事実には、集もうなずくしかない。

 しかし、それが彼女の顔に浮かぶ陰をますます色濃いものにしていく。


「……じゃあ、今さらあたしが入る隙間、ないじゃん」


 寂しそうな声。

 だけどそこには潔い諦めがあるようにも感じられてしまった。


「ライミさん……」


 集の脳裏に、永嶋来魅であった頃の彼女の顔が浮かぶ。

 壊れかけた家族を、それでも案じ、求め続けた彼女の姿が、克明によみがえる。


「あるさ」


 気がつけば、その呟きは紡がれていた。


「え、おじさん?」

「例えそれが正しい親子としての形じゃなくても、君はアキラと繋がれるよ」


「そんな、どうやれば……」

「どうとでもなるさ、そんなの」


 集は笑って、それを軽々断言する。


「これまでの経緯はどうあれ、君とアキラは世界を越えて出会えたんだ。零ですらなかったものが、零になった。これからそれを一や十や百にすればいい。だから――」


 言いかけて、思いついた言葉が何ともクサいもので、言うのに逡巡する。

 だが、ライミは言葉を待っている。ならば告げるしかないだろう。


「僕も手伝うよ。僕も、同居人という形で、今は仮初めでも家族だからね」


 言ったあとで「全く、どの口が」と思ってしまった。

 素直に思ったことを告げたまでだが、家族面などして、自己嫌悪が深まりそうだ。


「おじさん……」


 だが、ライミは見開いた瞳を潤ませて、靴を脱ぎ捨てて駆けてくる。


「おじさぁんッ!」


 そして彼女は、集の胸に飛び込んできた。


「な、ちょ、来魅ちゃん……?」


 これには集もビックリして、呼び方が以前のものに戻ってしまう。


「あたし、できるかな。アキラちゃんと、ちゃんと仲良くなれるかな……」


 何を言うのかと思った。

 集は鼻から息を抜き、彼女の背中を一度だけ軽くポンと叩く。


「できるさ。当たり前だろ。君とアキラは家族だよ。これから積み上げていけるさ」


 今までの思い出が零でも、これからいくらでも紡いでいける。重ねていける。

 そのことを、集は知っている。そして、ライミにも知ってもらいたいと思った。


「うぅぅぅぅ~、おじさぁ~~~~ん……!」


 泣いてるっぽいライミが、集の胸板で顔をグシグシやっている。

 それで気分が晴れるならいくらでもやればいい。と、彼が思っていると――、


「おじさんもだよ?」


 急に、彼女がこっちを見上げてきた。


「え?」

「おじさんも、アキラちゃんとどんどん思い出作っていくんだよ? いい?」

「えっと……」


 いきなり自分に話を振られて、集は困惑する。

 ライミは彼を見上げたまま、強いまなざしで言ってくるのだ。


「もう、逃げるのはやめようよ?」

「逃、げる……?」


 何故か、その言葉に心が竦んだ。


「アキラちゃんと話して、あたし、思ったよ。おじさんは自分のことを悪いと思いすぎてる。アキラちゃんが『出戻り』した原因は自分だって思って、自分を恨んでる」

「……来魅ちゃん」

「それだけじゃないよ。あたしのことだって、そう」


 そしてライミは、ライミ・バーンズは――、


「あたしが『出戻り』したのは自分のせいだって思ってるでしょ、どうせ」


 宙船坂集の胸の内を、ピタリと言い当てたのだった。


「それは、だけど……」


 集が、声を震わせて返そうとする。


「だけど僕は、むざむざ君を死なせて、その上、僕はこの手で、この手で……」


 この手で、君の弟を殺した。

 それを言い出そうとした途端、震えは体にまで及ぶ。言えない。言い出せない。


「ミキは自滅したんだよ」


 だが、ライミは集に抱きついたままの状態で、きっぱりとそれを告げた。


「おじさんが一緒に行かなくても、あいつはアキラちゃんにやられてた。誰が手を下したかなんて、関係ないよ。あいつは自分から破滅の道に進んでいったの」

「でも、だけど……」


 集は問いたい。

 それでいいのか。と。それで君は、納得できるのか。と。


「集おじさんさ、自分を責めすぎて一番大事なこと、見えてないよ」

「大事なこと?」

「そうだよ」


 ライミが、朗らかに笑った。


「おじさんがいたから、あたしはアキラちゃんとみーたんにまた会えたの」

「あ――」

「あたしには他のどんなことより、それが一番大事なこと」


 彼女はさらに笑みを深め、軽く首をかしげて「ね?」と集へ促す。


「ありがと、おじさん」


 感謝の言葉を口にしたライミは両腕を集の胴に回して、顔を寄せた。


「あたしのそばに、集おじさんがいてくれてよかった」

「…………」


 集は、返す言葉が見つからない。

 だけど、感じる。

 この感覚は、腹の底にある重たいものが薄れ、和らいでいく、この感じは。


『――僕は、パパが大好きだよ』


 愛する息子の声が聞こえた気がして、集の中に一つの納得が生まれる。

 カディルグナが言っていた『一つ目の錠はもう外れている』とは、このことか。


 そして今、二つ目の錠が外された。

 ライミが自分に『許し』をくれたことで、それは外れたのだ。


「あ、そうだ」


 浸りかけていたところに、ライミがまた顔を上げる。


「あのね、おじさん」

「な、何だい?」

「アキラちゃんの子供のタマキちゃんが、近日中にケンカ売りに来るって」


 …………何で?

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