幕間 春の風吹く、宙色市

第472話 勃発、バーンズ家嫁姑戦争!

 ウチのアパート、午前七時。

 来ちゃったよ、この人。


「へ~、ここがアキラちゃんとみーたんのおウチなんだね~! へ~へ~へ~!」


 美宙井来魅――、ライミ・バーンズ。

 異世界における俺の実母。

 居間に正座して興味深そうにキョロキョロしておられますよ。


「お袋さん、こちらの方が言われたみーたん、とは?」


 ライミと向かい合って座っている俺は、隣に座るお袋に尋ねる。


「……きかないどくれ」


 すると、お袋は頭痛がしているかのように片手で頭を抱えて、低く呻いた。


「何よ何よ~ぅ! お袋はあたしもでしょ、ねぇ! ほら、アキラちゃん。あたしにも、あたしにも~! ママでもお母さんでもお袋でもマミーでもいいから~!」


 ライミが両腕を広げて、朗らかに笑う。

 いつでもカモンと言わんばかりの満点笑顔なのだが――、


「何言ってんだ、あんた」


 俺からするとこんな反応なワケよ。


「えーッ!? 何でよ~! あたしだってアキラちゃんのお母さん……、はッ!」


 急に、ライミが何かに気づいたように目を見開いて、俺のコトをじっと見つめる。

 あ、ギガテラペタエクサ級にイヤな予感。


「そっか、そーよね! おっぱいよね!」

「オイ、コラァァァァァァァァァァァァァァァ――――ッ!?」


 ポンと手を打って『これが正解だわ』みたいな顔してんじゃねェ――――ッ!


「ちょっと待ってて、アキラちゃん。今、おっぱいを……。あれ、今のあたし出るかな? ん~、まぁ、いっか! 気合と根性と努力と信念があれば何でもできる!」

「いそいそと服を脱ごうとするんじゃねェェェェェェェ――――ッ!」


 んっしょ、と上着を脱ごうとするライミを、俺は全力で阻止せんとする。

 それを見ていたお袋が「やれやれだねぇ」としみじみ呟いた。


「やめときなよ、ライミ。こっちじゃお乳は出ないさ」

「むぅ~! 何よ、みーたん! やってみないとわからないでしょ~!」

「やるまでもなくわかれやッ!」


 もうね、朝から絶叫。絶叫ですよ、アキラ君。

 夜は親父と殺伐ピクニックして、ぼかぁ、そろそろ朝ごはんが恋しいんですけど。


「大丈夫よアキラちゃん。気合と根性、努力と信念! それがあれば不敵に無敵!」

「無駄に体育会系だな、あんたッ!?」

「ライミはね、こういう子なんだよ。諦めな、アキラ」


 こういう子とか言われましてもねぇ……。もう割と疲れたよ、俺?


「ライミも、落ち着きな。いくら息子に会えたからって、はしゃぎすぎさね」

「むぅ……」


 お袋に言われて、ライミも頬を膨らせつつも勢いを落とす。

 いや~、出会って二時間経ってないけど、これが俺のあっちでの生みの母親かぁ。


「アキラ」


 お袋が俺を呼んだ。


「驚いたかもしれないけどね、受け入れてあげな。ライミはね、アンタを産んですぐに死んじまったんだよ。生まれたばっかのアンタに初乳もやれずにね」

「……マジかよ、お袋」


 俺は、さすがに言葉を失ってしまう。

 ヘリウムガスみたいな軽いノリのあとで、急に鉛みたいな重さをブッこむなよ。


「お袋――」


 ライミが、俺が口に出したその呼称を繰り返す。そしてお袋を見た。


「みーたん」

「何だい、ライミ」


「みーたんは、アキラちゃんのお母さん、なんだよね」

「そうだね。あっち異世界じゃ育ての母で、こっち日本じゃ生みの母さ。アキラはアタシの子さ」

「……いいなぁ。羨ましい」


 ライミはちょっとだけ声を低くして、そう言って笑う。

 そこに浮かぶ笑みは、さっきまでとは違う、笑っているのに笑っていない笑み。

 寂しい笑顔だった。


「本当だったら、あっちで『お袋』って言われてたのは、あたしなのになぁ」

「ああ、そうだねぇ……」


 お袋も、ライミに合わせて同じような笑みを見せる。

 そして俺は、そんな両者を交互に見比べて、一人だけ思うのである。


 ……な、何か、気まずい!


 え、何ですかね、この若干の重々しさを含んだ空気は。

 別に俺は何もしていないはずなのに、何だか心がほんのりチクチクしますのよ?


「あのね、アキラちゃん」

「ぉ、おう。な、何……、何です?」


 クァアアアァァァ――――ッ、思わず敬語になっちゃったァァァァァ――――ッ!


「……うん。急な話だからね、他人行儀にもなっちゃうよね」


 やめろ、寂しい笑顔から悲しい笑顔に覚醒進化するのをやめろッ!


「でも、お願い。あたしのことも『お母さん』とか『お袋』って呼んでくれない?」

「え……」


 それは俺にとっては意外な、だが、彼女からすれば当然すぎる願いだった。


「あたしがアキラちゃんと過ごせた時間は、一週間もなかったの。当然、お母さんなんて呼ばれたことはなかった。だから、お願い。あたしも、そう呼ばれたいの」


 ライミの声は、切実だった。

 そして俺を見るまなざしには、必死さすら感じられた。


「そいつは……」


 どうしたものかと悩み、救いを求めるように俺はお袋を見る。

 だが、お袋はゆっくりとうなずいて、


「言ってやんなよ、アキラ。この子は確かに、アンタの母親でもあるんだよ」

「それはまぁ、そうなんだろうけどさぁ……」


 顔はお袋に向けたまま、目だけをライミの方へと流す。

 やはり、俺をジッと見つめている。その瞳には、真摯さが強い光として宿る。


「あ~……」


 マズい、本気で困った。

 何だこれ、俺はこの女を何て呼べばいいんだ?


 お袋、か?

 違うな。俺にとってそれは金鐘崎美沙子のことだ。


 ママ、か?

 それもまた違う。僕にとってそれは金鐘崎美沙子のことだ。


 じゃあ、お母さん?

 これは普段使わない呼び方だから、呼ぶならこれか? これがいいか?


「ジ~~~~……」


 こっち見てるのはわかってるから口に出さないでほしい。

 視線に込められた熱量がヤバいんよ。焼き殺されそうなくらい注目されてる。


 俺は、仕方なくライミのかを見る。

 ウゴァッ、視線の圧がさらに強まった。二倍、三倍、まだまだ増すだとッ!?


「ぉ、お……」

「『お』? 何? アキラちゃん? 『お』の次は、何!?」


 や、やりにくいィィィィィィィィィィィィィッ!?

 つか、改めて『お母さん』って言おうとすると、違和感すごいんですけど!


「お……」

「うんうん! 『お』の次は? 『か』? そのあとは『あ』かな!?」


 期待が、ライミの期待が無限に高まっていくのを感じる……!

 それはもはや天井を突き破って天上にまで至るレベルの、俺に対する期待感。


 ぶっちゃけ、重いッ!

 しかもライミは俺しか見ていない。俺はこの人から視線を外すことも許されない。

 クソッ、誰か俺を助けて――、


 ピンポ~ン。ガチャッ!


「アキラ~、お義母様~、おはようございま~す!」

「ございま~す! ごっはん~ごっはん~、朝ごっはん~!」


 そして、長女の能天気な鼻歌をバックコーラスにして、救いの神はやってきた。


「助けて、ミフユゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ~~~~ッ!」

「は、どしたの?」


 居間に入ってきたミフユに、俺は全力で泣きついた。

 ミフユはキョトンとなるのだが、その目は俺の向かい側に座るライミを見る。


「…………」

「…………」


 ライミも、ミフユの方を見返して、二人はしばしお見合い状態となる。


「「誰、こいつ?」」


 二人の声が見事に揃ったその横で、


「な~な~、おとしゃんのおかしゃん、朝ごはんは~?」


 タマキだけが、今日の朝食に思いを馳せていた。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ミフユとタマキには、俺が昨日の夜にあったことを話した。

 ライミには、お袋がミフユとタマキについて話した。

 それでは、話を聞き終えたカミさんと生みの母のリアクションをご覧ください。


「はぁ。生みの母親、ねぇ……。それはまた、数奇というか、何というか」

「はぁ~!? アキラちゃんの奥さん! こんな派手な子がァ~! えぇ~~!?」


 この二人の反応の温度差よ……。


「え~! おとしゃんのおとしゃん、そんな強ェのか! ヤベェのか!? オレとケンきゅんより強いの? ねぇねぇ、おとしゃん、どうなの~! ねぇねぇ~!」


 そして一人、別方向で盛り上がっているタマキちゃん。

 すまん、親父。

 もしかしたら近日中にウチの長女が突撃するかもしれん。マジですまん。


「ミフユちゃん様、何か反応薄くない?」

「まぁねぇ」


 俺が尋ねると、ミフユは軽く肩をすくめる。


「あんたの出自は前にも聞いてたし、こういうこともあるかなとは思ってたわ」

「こういうこと、って?」

「異世界の方の親が『出戻り』すること。お義母様みたいな例もあるのよ?」


 ミフユが、視線だけでお袋のことを示す。

 ああ、まぁ、言われてみれば確かに、そうねぇ……。


 あっちでの育ての親だった人が、こっちでは生みの親だった。

 いくら『出戻り』だからって、お袋は相当特殊な事例であるのは間違いない。


「そういうことがあるなら、あんたのあっちでの親が『出戻り』することだってあるでしょ。まぁ、わたしとしては想定の内? お義父様が絡んでたのは驚いたけど」

「それっておまえの生みの親がこっちに来る可能性も――」

「見つけ次第ブチ殺すわ」


 言いかけたら睨まれてしまいました。怖や怖や。

 ミフユが殺すっていうなら、もちろん俺はお手伝いしますけどねー。


「ねぇ、待ってよ! 何なのよ、この子! ウチのアキラちゃんとツーカーみたいな話し方してて、元娼婦!? そんな子がアキラちゃんのお嫁さんなの! ねぇ!?」


 そして、果敢にミフユに突っかかっていくライミ。


「あ~、まぁ、それはねぇ。アキラが選んだ奥さんだからねぇ……」


 困り果ててアワアワしてるお袋なんて、なかなか見られるモンじゃありませんよ!


「みーたんはいいの? この子がアキラちゃんの奥さんでいいの!? こんな、早朝からキラキラピカピカしてるよーな派手な子が、アキラちゃんの奥さんなんて!」

「なかなか言ってくれるわね」

「早朝からキラキラピカピカしてることについては反論の余地はないだろ」


 毎日朝からバチッとキメてくるからだよ。俺とかはもう慣れちゃってるけど。


「……大丈夫なの?」


 いきなり、ライミがトーンを落として俺を心配するような目で見てくる。


「あ? 何が?」

「だって、その子、元娼婦なんでしょ? アキラちゃん、騙されてたりとか……」

「殺すぞ」


 その一言は、自然と俺の口から滑り出ていた。


「え……」

「もう一度言ってみろ、ライミ・バーンズ。その瞬間、俺はおまえを百回殺し、百一回蘇生して、百一回目に殺すときにその存在ごと焼き消してやるよ」


 ミフユを貶めるヤツは、俺が許さない。何があっても、誰であっても、許さない。

 それが生みの母親であろうとも関係なく、俺は決して、絶対に、許しはしない。


「えい」

「イテェッ!?」


 ミフユに後頭部をはたかれた。絶妙に当たりどころが悪くて痛ァい!


「節操なしにキレてんじゃないわよ、おバカ」

「だって、こいつがさ~!」


 俺は涙目になりながら、ライミのことを指さした。

 ミフユは「はぁ」と息をついて、俺ではなくライミの方を見る。


「ごめんね、ウチのが。でも、あんたが生んだ子はこういうヤツよ。わたしのことは別にどう思ってもらってもいいけど、こいつは本質は優しいから、怖がらないでね」


 ライミは口を半ば開けて、顔を青ざめさせて小さく震えていた。

 その顔には強い怯えの色が浮かんでいるが、それを見ても俺は別に何も感じない。


「あんたが俺をどう思おうと勝手だけどな、ミフユをバカにするのは許さねぇよ」


 生みの親がどうこうよりも、俺にとってはそっちの方がはるかに重大だ。


「二人して『自分はどう思われても構わない』って? 似たもの夫婦だねぇ」

「何だよ……」

「何ですか、お義母様……」


 お袋に言われて気づき、俺とミフユはちょっとくすぐったくなってしまった。

 一方で、ライミは震えて縮こまったまま、その顔を俯かせ――、


「か……」


 か?


「カッコいい~~! アキラちゃあぁ~~~~ん!」

「ぬあああああああああああああァァァァァァァァァア――――ッ!?」


 き、急にダイビング抱きつきを敢行するじゃねェ~~~~!

 こいつ、別に怯えてなかった。激しい感動に打ち震えてただけだァ~~~~!


「すっごい、すっごいカッコよかったよぉ~! アキラちゃん、カッコよく育ったんだねぇ~! あたし、すっごい嬉しい! アキラちゃん、アキラちゃ~~~~ん!」

「ぐ、ぐわぁ~~! やめろ! 抱きつくな、ほっぺにキスをするなぁ~!」

「「うわぁ……」」


 ミフユもお袋も、ドンビキしてないで助けてくれくださいよッ!?


「お義母様、あれはいいんですか?」

「なまじあっちでライミを看取ってるから、止めるに止められないねぇ……」


 目の前で俺がエマージェンシーなのに、のん気に会話してんじゃねぇよ、コラァ!


「ミフユちゃんこそ、ライミには随分とドライじゃないかい?」

「う~ん、まぁ、アキラを生んでくれたのは感謝してますけどね。氏より育ち、ですからね~。わたしから見たあいつの母親は、お義母様ですね~」


 まぁ、ミフユならそう言うわな。

 こいつは俺と違って、実の親がことごとくカスクズの毒親ばっかりだったし。


 ミフユにとっての『親』は、リリス義母さんだけだ。

 だから、血の繋がりより実際に育ててくれた人が親って認識が強いんだろうね。


 でね?

 それはそれとして、どっちでもいいからそろそろ俺を助けてくれませんかねぇ!?


「……何よ」


 ライミが、俺を抱きしめたまま急にミフユを睨みつけた。


「あたしだってアキラちゃんの母親だモン! あんたなんかに認められないでも!」

「それを言うなら、わたしはあんたに認められないでも、そいつの嫁よ」


 そう言って冷たく笑うミフユとライミの間で、何故かバチバチと火花が散る。

 え、あれ、何この展開。何なんです?


「みーたん!」

「な、何だい、ライミ?」


「あたし、こいつキラ~イ! アキラちゃんのお嫁さんなの笠に着て威張ってる!」

「はぁ~? 何言ってんのあんた。そんなこと言われたら気分悪いんだけど?」


 嫌いと言われたミフユが、こっちも嫌悪感を前面に押し出して鼻で笑う。


「ほら、ほらこれだよ、みーたん! 見た!? こいつ絶対生意気だよぉ~!」


 俺とお袋は、互いに顔を見合わせて、同時にため息をついた。

 どうやら、俺のカミさんと生みの母は、ちょっと相性が悪いようだった。


「おかしゃんのおかしゃ~ん、おなかすいたよぉ~~~~!」


 そんな中でただ一人、タマキだけがマイペースに空腹を訴えていたのだった。

 俺だって、腹減ってるわ……。

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